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風の挽歌

第13章 砕け散った祈り 2


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 ――お前は何者だ、とその男は言った。
 その言葉が、もう何も感じるまいと固く誓っていた少年の心に、小さな小さなさざ波をたてあげた。ちょうど夜更にかわされるささやき声が、思いの外、遠くまで聞こえてくるように。
 動きを止め、思わずまじまじと、相手の男の顔を見た。
「……あんた、俺を殺しに来たんじゃなかったのかよ。自分が殺す相手が誰だかもわからないっていうのか?」
 声が変わってから、まだ日が浅い。大人の男と呼ぶにはやや甲高いその声は、子供のものとするには少し低い。少年の赤みがかった青色の双眸は、男を見据えたまま、何の感情も映し出してはいない。
 ただ口の端を歪めるようにして、彼は笑う。
「答えろよ、誰を殺しに来た」
 鋭い光の波線が、幾筋の束となって押しよせてくる。少年の金色の髪も、その動きに合わせてゆらゆらと波打つ。束の内の一筋が、緩やかな弧を描いて跳ね上がり、地面に伏せた男の頬をひた、と打ち据える。
「お、皇子……」
 言葉と同時に、光の波が、一気に一点に向け収斂された。体の一点を射貫かれ、男は小刻みに震えながら全身の力を抜いた。飛び散るものの暖かさと色合いに、少年の白い頬が濡れる。
 完全に絶命した男を見下ろす双眸は渇いたまま、やはり何も映すことがない。ただ、うつろな声だけが、闇が支配した世界に響く。
「……違うよ」
 ――ちがう。
「俺は……皇子なんかじゃない」



 タリア皇国の皇家には、かつて、「皇子」と呼ばれる子供が二人いた。
 1人は現皇帝の唯1人の男子。もとは宮殿の下働きをしていた女を母親に持つ、妾腹の皇子。そしてもう一人は、30年以上の治世を誇る先の皇帝の皇孫にあたる、皇弟の第2子。本来ならば「皇子」と呼ばれる立場にはないはずのこの男子は、しかし母方からも皇家の血を引く、皇家の構成員の一員でもあった。
 そして、極めて近しい血縁関係にある2人の皇子が、一見ではどちらがどちらとも見分けられぬ程、とても良く似た風貌を持っていたことが、後にこの皇子達の運命を、大きく狂わせる一因となる。



 眼下に広がる鮮やかな緑に不意に眩暈を覚え、カイは思わず、その場に立ち止まった。振り返った彼を訝しんで、隣の少女も歩みを止める。彼らが振り向いた先では、朽ちかけた煉瓦の塔の先端が、大人になりかけた少年と少女を見下ろしている。
 足下に広がる草木は未だ夏の気配を残していたが、彼らを取り囲む山の稜線は、日の光を跳ね返し、白々と雪色に光り輝いていた。皇都の夏は短く、冬は長く厳しい。短い秋を一足飛びに、山々には冬が訪れようとしている。
「どうしたの、カイ?」
「今、誰かがこっちを見ていなかったか?」
 え、と華奢な体が跳ね上がる。彼女を安心させる為、カイは普段は滅多に人に聞かせることのない、心の底から慈しむような声を出して笑いかけた。
「いや、多分気のせいだ。……ごめん」
 ――みんなの目が、節穴なのよ。どちらがカイかなんて、そんなもの、ちょっと見ればすぐわかるじゃないの。
 かつてそう言って、後者の皇子に笑いかけた少女がいた。
 3,4代程前に降嫁した皇女の血筋だという地方の名家の生まれだった。早くに両親と死に別れ、引き取られた伯父の家から、皇宮に行儀見習いの名目で差し出された、だが実際には自身が皇家の女と子を儲けられなかった皇帝が我が子に与えた、「その為の」女。
 そして彼女の言葉と対となるように、もう1つ、カイの中にいつも何かの拍子に、蘇ってくる言葉がある。
 ――お前に役割を与えてやろう。先帝亡き今、皇孫の称号は既にお前のものではない。しかし、たかだか十にも満たぬ幼子を、市井に放り出すのはあまりに不憫――
 1つの国に、2人の皇子は必要ない。この日から、2人目の皇子は「影」となる。皇帝の寵愛する1人の皇子の身代わりとなり、彼に襲いかかる厄災のすべてを被ることが、カイに与えられた役割だった。
「……」
 思い返してどうにかなることならば、そもそも、こんな泥沼にはまりこんだりはしない。振り切りたくて、そっと手を伸ばし、自分のものよりもっと鮮やかな金髪に触れてみる。彼女はくすぐったそうしたものの、その手をはねのけようとはしない。
 ――もうそろそろ、良い頃合いだろう。
 ここ最近、皇宮内でそんな会話を何度か耳にした。齢14の皇帝の長子とこの少女がまだ床を共にしていないことを知る者は、宮殿内でも数が少ない。ましてや時折、こんな風に宮殿内を抜け出しては「影」の皇子と会っているなどということは、誰にも知られてはならないことだった。
 その時、一瞬だけ吹き抜ける風の力が強くなり、彼らの足下の緑が左右に割れた。太陽と同じ色をした髪がふわり、と舞い上がり、つまずきかけた少女を支えようとして、ほんの一瞬、2つの影が重なる。しかし、再び風が舞い上がり、草の先端が今度は別方向に倒れた時には、既に2人の体は離れていた。
「――レノラ」
「……」
「もしも、いつか……俺がここを出る日が来たなら」
 多分、そんな日はやってこない。カイが死体になるその日まで、皇帝は我が子に瓜二つのカイを手放したりはしないだろう。「いつか」の後に続くのは、あまりにもむなしすぎる仮定。
「俺と……一緒に来ないか」
 ――それは多分、恋と呼ぶには、あまりにささやかな。
 300年続いた皇家を守る、その為だけに。差し出された少女と、影となることを強いられた少年。芽生え始めた感情の行く手で待つものを、この時まだ、彼らは知らなかったのだった。



 風の強い夜だった。
 念入りに手を加えられた皇宮内の木の葉のざわめきも、時折夜空に浮かぶ星々の瞬きも、その下でうごめく人々の感情さえも、吹き飛ばしてしまいそうな夜だった。
 頭上を見上げると、藍色の空に浮かぶ黒い雲の数片が、ものすごい速度で流れ落ちていくところだった。カイは思わず、上着の襟をたてて背中を伸ばした。
 ――皇宮外れの老人の館で、剣の稽古を終えたところだった。
 影となった自身の身を守るためには力を使わざるをえず、だがそれによって、カイの体は確実に消耗する。そんな綱渡りのようなカイの生き方を、あの老人は見はていられなかったのかもしれない。
「あ、れ?」
 ――部屋の鍵が、開いている。
 カイに与えられた一室の扉の表面には、忌み事を示す呪の文様が鮮やかに刻み込まれていた。その昔、寵を失い発狂した皇帝の側室が、発狂して首をくくった部屋であるという。自身の一子の影となった弟の子供に、皇帝はその部屋をあてがった。我ながらよくもここまで嫌われたものだと思うが、ここまでくると、ほとんど子供のいじめのレベルでしかない。
「……?」
 扉が開いた時、どこかからかすかに、花のような匂いがした。出かけに閉めたはずの窓が開いている。
 そうして、ようやく目が闇に慣れたとき、扉に手を触れた状態のまま、カイはその場に固まっていた。
 見慣れた自分の部屋の絨毯の上に、引き裂かれた布地が散っていた。開け放たれた窓から風が吹き込み、カーテンが激しい勢いではためいている。その動きに合わせて室内に差し込む月の光の下に、少女の白い裸身が鮮やかに浮かび上がっていた。
 首筋から胸にかけて、散り散らばった赤い跡。酷く殴られたのか、目の下が腫れ、唇からは血が滴っている。咄嗟に上着を脱いでかけてやろうとした時、カイは気づいた。少女の太股の内側にも、同じものが滴っている。
「レノラ……」
 一体、誰がこんなことをしたのだ。握りしめた手のひらに、爪が食い込む。
「お帰り。遅かったね、カイ」
 その時、不意に背後でぎぎ、と扉が鳴いた。振り返ったカイは、そこに自分と同じ顔を見た。現皇帝のたった1人の実子であり、伝統在るタリア皇家の誇り高き継承者――「もう1人の皇子」の姿が、そこにあった。
「お前、ここで何を――」
「変なことを聞くね。この女は僕のものだよ。どうしようが、僕の勝手だ。……知ってるだろう?」
 にやり、と皇子は唇の端を持ち上げた。つま先で、横たわったままの柔らかな体に触れる。彼女は身じろぎ1つしなかった。気を失っているのか――何も映さない虚ろな瞳を、ただ天井に向けているだけで。
「この女はさ」
「……」
「この場所でだけは、頼むからやめてくれって、泣いたよ。もうすぐカイが帰ってくるよって教えてやったら、舌を噛んで死のうとするんだもの。押さえるの大変だったんだから」
「貴様――」
「かわいそうにね。カイは20までしか生きられないんだろ?だったらあんまりどん欲にならない方がいいよ。どうせ、あと5年なんだし」
「てめぇっ!」
 もつれあうようにして、2人の少年の身体が床の上に倒れ込む。起きあがろうとした瞬間には、のしかかってきた相手の膝に、鳩尾を押さえつけられていた。
 鏡を見るように同じ顔をした少年が、笑いながら、馬乗りになってくる。
「ねえ、何でカイは、ここにいるの?」
「……」
 ――何が言いたい。一体何を考えているのだ、こいつは。
「何を考えてるのか知らんが、俺に言いたいことがあるのなら、俺に直接言えばいいだろうが。他人は関係ない」
「母上が、泣くんだ」
「……?」
「カイ、知ってる?こないださ、他国の使者を招いて、宮殿で立太子の礼の日時が発表されるはずだったんだ。なのに見送られた。タリアの周りの国じゃ、下働きの女から生まれた王はいないからね。母上は泣いて僕に謝った。自分の身分が低い所為で、すまないって言って。母上は何も悪くないのに。母上の所為なんかじゃないのに」
「……」
「何で、お前が宮殿にいるの?母親も父親も皇家の人間だってだけで、カイがここにいるから、余計なことを考える奴がいる。おかしいよね?そう思うだろ?」
 上になった少年の指先が、喉の奥に食い込んでくる。呼吸を奪われ、目の前が白く霞んで行く感覚の中で、思わずカイは叫びそうになった。
 ――それでも、お前は幸せだろうが。
 俺の母親は、病気だろうが死にかけていようが、会いに来てはくれなかった。生み捨てただけで、一度も謝ってなんかくれなかったのに。
「お前の所為だよ。お前さえいなければ、皇太子が決定して、国中みんなが幸せになるはずだったんだ。お前の所為で、お前がいると、みんな不幸になる……」
 目を閉じ、息を止め、体を駆けめぐる血の流れに耳を澄ます。そうしているうちに、いったん白くなった視界が、今度は暗くなり、やがてすべてのものが色を失っていった。カイ本人でさえも正体の知れぬ、だが強烈な熱を帯びた<力>が目の前の一点をめがけて集中している。
 「皇子」を狙う刺客を相手に力を使ってから、まだ3日とたっていない。もしかするとこれでまたしばらく寝込むことになるのかもしれないが、長年、押さえ込まれていた怒りの方が先にたった。
 が、カイが完全に力を解放するよりも早く、もつれあっていた2人の皇子の体が離れた。唐突に肺の中に飛び込んできた空気に、喉を押さえてむせかえる少年は、自分の下にじわじわと広がる濃い色の影に気がつかない。
 ようやく彼が顔を上げた時、ちょうど頭の真上のあたりで、鮮やかな金の髪が揺れていた。先刻よりさらに激しくなった風を全身で受けて、裸身の少女が微笑んでいる。
 ――こんな時だというのに、綺麗だと、心の底からそう思った。
 白い手が、剣の柄に添えられていた。カイが先ほどまで、あの老人の館で振るっていたものだ。
「お前、何を……」
 ゆっくりと引き抜かれるその端から、赤いものが滴っていた。先刻まで、彼の上に被さっていたはずの体が。糸の切れた操り人形のように力を失いながら、小刻みに痙攣している。震えながら、それでも何かをつかみ取ろうかとするように、指先が、まっすぐにカイの方角を指し示す。
 ――お前の所為だ。お前が生きている限り、こうして、誰も彼もが不幸になる。
「あ……」
 もがき続ける肉体に、再び、剣が振り下ろされた。5つ指の先が、床に散る。
 引き抜かれた刃を手に、ゆっくりと少女は腕を引き上げていく。その先端が白く滑らかな肌に触れる。鋭利なものがその中に呑み込まれて行く瞬間を、彼は息も出来ずに見ていた。すべて見ていた。目をそらすことが出来なかったのだ。
「……よせ」
 刃を引く手に、ためらいはない。白い裸身が、斜めにぶれて視界から消えて行く。彼女の体から吹き出す血の色は、これまでにカイが目にした、他のどんなものよりも美しかった。
「やめろ、やめてくれ……」


 そこは、かつて1人の女が首を括った部屋。愛されない我が身を厭(いと)い、皇子に生まれてこなかった女の我が子の首を絞め、そして自らも首を吊って果てた。


 ――そうして、皇都の宮殿から、2人の皇子が姿を消した。皇帝の長子とその妾を殺害し、宮殿を逃亡した1人の皇子の行方はその後の5年間、誰にも知られることがなかったと云う。





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