×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


風の挽歌

第13章 砕け散った祈り 1


扉へ/とっぷ/戻る




「――で、地震騒ぎのゴタゴタに紛れて、そこまで追い詰めた魔物に、あっさりと逃げられたってわけか」
 金髪碧眼の青年の、相手を嘲う台詞は、成人してもなお健在だった。椅子の上で膝を組み、頬杖(ほおづえ)をつきながら見上げてくる双眸に、悪戯じみた光が浮いている。黙ってさえいれば飾っておいてもよいような風貌だが、口を開けばあらゆる皮肉や嫌みが、信じられないくらいの速さで飛びだしてくる。
 地位も身分も関係ない。彼は皇帝や宰相の前でさえ、平気でこういう口のきき方をする。
「おまけに、その翌朝速くに、近衛隊の隊長さまが、こんなしがない賞金稼ぎに何のご用で?」
「……皇子」
 昨夜の地震は、まだ夜の浅い頃の出来事であった。それから断続的に続いていた余震も朝には止み、備蓄の開放、救助隊の派遣や、念の為に皇族方の避難――すべての仕事を終えたのは、もう空も白みがかってきたころだ。
 その上、更にまだ、お偉い方はこんな厄介ごとを押し付けてくるのか。赤みがかった茶色の髪をわしわしとかき上げ、若き近衛隊長は、うんざりと、息を吐いた。
「まあ、どうであれ、これでまた被害者が出たら、お前らの責任だぞ、キール。賞金を倍額出すって言うんなら、狩ってやってもいいが」
「……まったく、貴方という方は、少し女心を学ぶ必要がありますね」
「はぁ?」
 「皇子」と呼びかけられる男と、近衛隊の隊長。皇家に極めて近い関係にある2人の青年が今ある宿屋の食堂には、見事なまでに人の気配がなかった。天井に触れるほど高く積み上げられた椅子やテーブルのいくつかは、埃を被って冷え固まっている。――あれらが最後に使用されたのは、一体何時頃なのだろう。
 ――何だって皇族の息子が、好き好んでこんな萎びた宿屋に滞在しているのだ。
「おいキール、話がいきなりぶっ飛んでないか?」
「別に飛んじゃいませんよ。これが本題なんです。私の今日の仕事は、貴方のお迎えですから」
「……皇宮に例の王女が来ているとかっていう話なら、俺は行かんぞ」
「――そういう問題じゃなかろうが!」
 身分の隔たりこそあるものの、同じ歳、同じ人物を師と仰ぎ、同じ敷地内で育った幼馴染みでもある2人である。言葉こそ丁寧だったが、その実、敬意なんてどこにもありはしない。苛立ちもそのまま、ばしん、と叩いたテーブルの表面から、細かい木っ端が飛び散った。
「俺だってな、お前が、国のために顔も知らない相手と結婚するとは俺も思わんさ。だけどな、彼女はわざわざお前なんかに会う為に宮殿にきたんだぞ。このままじゃ一生、タリアの皇子に顔も見て貰えなかった女だ、といわれることになる。一国の王女にとってそれがどれほど不名誉なことか、わからんのかっ!」
「……」
 唖然、呆然と、皇子――カイは押し黙った。
「というわけで、今日は縛り上げてでも皇宮にお連れしますので、覚悟してください」
「……わかったよ」
 多少、感じ入るものでもあったのか。カイはやけに素直に頷き彼を見た。昔はこれくらいで素直に人に従うような男ではなかったのだが、5年の空白で、少しは性格も変わったのだろうか。近衛隊の紋章をつけた若者は、ふと思い至った思考を、そのまま口にした。
「女といえば、おい、カイ、あの時一緒にいた女はどうなったんだ?」
「あの時?」
「こないだ、ここに連れてこられた大雪の日の話だよ。お前、言ったんだってな。自分はどうなってもいい、おとなしくどこへでも行くから、その女だけには手を出すなって」
 ほとんど、冷やかしのつもりだった。だが案に反して、口の悪い幼なじみの目は一瞬で、何の灯火もない夜の暗闇なみに、真っ暗になった。
「あれ、違ったのか?俺はあの時、お前を捕まえにいった部下たちに聞いたんだぜ」
「……いや。言ったな。そういえば」
 かろうじて、唇が笑みの型に形作られる。そうしてそのまま、カイは視線を逸らして、窓の外を見た。
「あれはもう、会うことのない女だ。……もう二度と」



 眼下広がるのは、鉛色の空。重苦しい雲に隠れた朝陽は大地を照らさず、所々で上がった白煙は、昨日の災害の名残だろうか。
 空気は淀み、大地はひび割れ、樹木の緑は深緑というよりは、赤茶けた枯れ葉の色をしていた。都の土地は基本的に国有だが、民はそれぞれ幾らかの土地で、家族が食べる程度の作物の栽培を認められている。だが既に耕されていなければならない大地には鍬が入れられず、若菜が芽吹く季節はまだまだ先のようだ。
 揺れが大きかった割に、地震の被害は軽そうだった。路肩が崩れ、煉瓦色の水路の内側に褐色の土が盛り上がっているが、家屋の多くは形を保っている。
 石造りの水路のあるべき部分で水が枯れ、あってはならない場所に泥濘が溢れているのはご愛嬌か。それを覗けば、家並みに大きな変化はなく、道行く人々の数にも変化はない。
 ――もっともこの後、再び地震や大雨が来なければ、という注釈はつくが。



「――ここだけの話だが、皇帝陛下はもう長くない」
 誰にも気づかれないように、ひっそりと。宮殿内の一室に招き入れられるなり、ぎょっとするようなことを聞かされた。心底驚いたので、懐から取り出した煙草をくわえそこねて、床に落としてしまったほどだった。
「なんだ、そりゃ。随分あちことまわったが、全然聞かなかったぞ、そんな話は」
「当然だろう。陛下は病で床に伏していらっしゃる。たった1人の御子は5年前に亡くなっているし、ただ1人の継承者の甥御殿は、どこをほっつきまわっているのか、現在行方不明だ。なんてこと、国民に知らせられるか」
 まあ、それはそうだろう。新たな煙草を取り出しながら、カイは改めて、再会した旧友に向き直った。
「で?」
「この際だから、お前、皇帝になってみるか?」
「俺の柄じゃないだろが。第一、そんなこと、あの伯父貴が絶対許すもんか」
 病床だろうが、墓場の中におわしまそうが、それだけは全身全霊をかけて阻止するはずだった。何しろ――
「……俺は5年前、あいつの息子を殺した男だぞ」
「おい、カイ。お前、俺にくらい、そろそろ本当のことを言ってもいいんじゃないのか」
 さすがに、20そこそこで近衛長を勤めるだけのことはある。この若者は決して愚かではない。真っ直ぐに見つめられて、カイは思わず視線を逸らした。
 彼を信用していないわけではない。しかし「本当のこと」は、今もまだ、多くの人を罰したり傷つけたりする。
「――俺が殺したんだ。5年前にも、そう言ったろ」
 それだけ言って、もう返答する気はない、とばかりにカイは瞼を閉じた。閉じた瞼の裏側でひらひらと、赤いものが散っている。
 喉に食い込む指の力。叩きつけられる呪詛の言葉。吹き上がる血飛沫の色。
 誰も好きで好んで、こんな中途半端な位置に生まれてきたわけじゃない。だけどあの頃は、誰も彼の言葉なんて聞いてはくれなかったのだ。
 大人の両腕で3人分はあろうかという窓は一面の硝子張りで、晴れていれば国境の山脈まで、一望の許に見渡せる。だが今日は生憎の曇り空で、外の景色は見ることはできない。そのかわりというわけではないのだろうが、良く磨かれた窓の表面で、青白い頬をした、荒んだ目の男がこちらを向いて笑っている。
 いや、これは――
 俺が殺した、もう1人の俺の姿だろうか。



 ――昨夜は、地震のおかげでほとんど寝られなかった。
 ティティが起床して衣服を整えた後もなお、ラウルはまだ寝台で鼾(いびき)をかいていた。彼も地震とその後のごたごたで、昨夜はほとんど寝ていないのだ。
「寝かしておいてあげた方が、いいわね」
 明け方近く、カイは訪ねてきた人間と共に出かけていった。彼が使っていた寝台は、整えられることもなく、起きあがったそのままの形で放置されている。
「まったく、この人たちは」
 ラウルといい、カイといい。何だか手のかかる子供のようだ。
 宿屋によっては、食事だけでなく洗濯や掃除もしてくれるらしいが、もちろん、彼ら現在が泊まっているような宿には、そんな仕組みはない。食事こそ出るが、洗濯は裏の井戸場で、掃除は全部自分たちでしなければならないのだ。だが妻子もちで、子供が赤ん坊の頃はおしめも洗っていたというラウルはともかく、カイの家事能力は、並みの男と比べても著しく低かった。
 壁と寝台の隙間に落ち込むようにして、カイがいつも来ている白いシャツの、襟の部分がのぞいていた。まったく、脱ぎっぱなしにして。もう完全に温もりの消えた後の寝台に膝を突き、袖を掴んで引き抜いて――そこで、ティティは凍り付いた。
 洗濯を繰り返して、よい具合に柔らかくなった布地の胸から裾にかけての部分に、べっとりと黒いものがこびりついていた。土汚れや油汚れの色ではない。もっとどす黒く、生臭くて、べとべとしたもの。もう渇いてぱりぱりになっているけれど、多分、もとはかなりの量があったのではないか。
 ものや人に触れた時、その相手の未来が垣間見える。ティティのその能力は、彼女の意志や感情に、かなり強く左右される。
 未来を見る時には、彼女の体はただの器となり、空っぽの自分を駆け抜ける映像のを読み取るのだ。だからティティ自身がその相手に何らかの感情を抱いている場合、確かな未来は見て取れない。精々、ぼんやりとしたイメージが――それは方角だったり、温度だったり、明暗だったりした――かろうじて読み取れるだけである。
 だから最近では、ラウルやカイ、そしてシナにまつわる未来を読み取ることを、ほとんどあきらめていた。これだけ親しくなれば、どうしたって主観が混じる。
「これって……」
 ティティの知る限り、最近の彼はどこにも怪我なんかしていなかった。少なくともここ数日の間は、こんなに血が出るような怪我人や死人に行き当たったこともない。
 知らず、声が震えた。
「まさか、吐いたの……?」
 ――間違いない。
 これは……血の色だ。






扉へ/とっぷ/次へ