×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


風の挽歌

第12章 皇都の夜


扉へ/とっぷ/戻る




 闇を貫くのは、馬の嘶(いなな)き。
 大地を舐め上げる炎は、その根元から先端までもがほの赤い。間近まで迫りつつあるその色で、既に互いの顔が見分けられる程に、周囲の闇は薄らぎつつあった。
「このままではどうにもならん。何とか、女子供だけでも逃がせんか」
「だがどうやって。この外は――」
 暁から続く戦闘により、街には死が満ちていた。炎に炙(あぶ)られ漂う風は、屍臭を帯びて生々しい。
 今、まさに滅び逝かんとする一つの部族、その数は総勢でもわずかに数百。――ここにいる、生き残った人数よりも、射抜かれ貫かれ、地に伏せた数の方がはるかに多いことになる。
 死神の訪れには、病床も、敵の襲撃も関係ない。生あるものはいずれ死ぬ。例え、矢で肉体を射抜かれなくとも。駆け抜ける異民族の馬蹄に頭を踏み砕かれ、大地に脳漿を撒き散らさなくとも。
 だが、熱がたぎる石で囲まれた広場に取残された数十名が辿る不帰路(ふきじ)は、この戦闘で死んだ誰が味合うものよりも、最も悲惨な形になるに違いなかった。
「お父様……」
 握り締めた父の手が、じっとりと湿っている。周囲を見渡す2つの漆黒で、揺れる焦燥。
 齢わずかに9歳。族長の娘として、一族の誰もに愛されてきた美しい少女の頬は、しかし、今は恐怖によって歪められていた。
「ああっ――」
 石で作られた外壁の上に、ちろり、と顔を見せた赤。終に――灼熱が、彼らの目前にまでやってきたのだ。人の輪の最外端にいた女が、天を仰いで膝を突く。両の頬が朱色に爛れ、白目は熱風に嬲(なぶ)られ黄濁している。わなわなと震える唇からちり、とはみ出した舌は皮膚とは対照的に真っ白で。
 ――こうしてじわじわと、蒸し殺されていくのだ。膨大な量の炎と熱の中で。
 族長――と、低い息吹がティティの耳朶を打った。
「どうか、ここはお嬢様の命だけでも――」
「この恨み、憎しみ……奴らの手で、一族を終わらせるわけには参りませぬ」
「お前達……」
 父の横顔が、苦悩に歪む。
「長、ご決断を!」
「ティティ……、お前、生き延びてくれるか」
「お父様……?」
「すまない、説明している時間がない」
 するり、と父の腰を支柱に、刃が半円を描くのを、少女は見た。その先端が、人の身体、その内側深くに沈み込んでいく瞬間を。
 吹き散る血潮に、父親の頬が朱で染まる。
「お父様?!」
 屠られ消え逝く者達は、いずれも彼女が慣れ親しんだ人間たちだった。館の内で、下男として彼女の生活を見ていてくれた者。馬の乗り方を教え、飼い葉の積み方を教えてくれた者。母を亡くした少女の肩を抱き、心ゆくまで泣かせてくれた者。
 彼らの命が消えていく。他でもない――少女の父親の刃によって。
「そんな――やめて、お父様!」
 凶刃を操る父の目は、異様な殺戮の場においてなお冷静だった。淡々と――周囲を囲む、同族の人々に刃を振るい続ける。鬼神のごとく染まった父を引き戻そうと、駆け寄る少女の袖は、倒れいく同胞によって縫いとめられた。
 ――どうか。
 慟哭が、震える大地を撫で上げた。
「どうか、我等の命、お収め下さい。そしていつか、いつか必ず、この無念が晴れる日を――」
 熱の勢いに堪えきれずに、悲鳴を上げて崩れ落ちていく石の壁。炎が、広大な波型となって雪崩込んで来る。視野を埋め尽くす赤褐色は、火の赤か、それとも朽ちて重なる、同胞達の屍の色なのか。ティティの目の中で、それらすべてが捻れ、歪み、濁り、混ざり合って渦を巻く。
 意識が焦色の空間に消えていく刹那、彼女は確かに、滅び行く一族の、最後の声を聞いた。

 どうか、我々の願いを。ハザイ一族のこの深き恨みを、叶えて下され――

 建国暦3年の春、タリア族による北方征伐、通「北伐」によって、1つの民族が歴史から姿を消した。
 その名をハザイ族。天意に聡く、良く祈祷を行い、呪(まじな)いに優れた一族であったと言われている。



 今宵の月は、満月だった。
 皇国首都、城門警備にあたる兵の数は5人。詰所(つめしょ)の内はかがり火が灯り、月の明りと合わせて周囲はぼんやりと明るい。今月になって2名程の増員があった所為か、室内は通常よりもやや手狭で、未だ春が遠い北方の夜の中に、薄っすらと汗ばむ程の陽気があった。
「今日は今のところ、異常はなさそうだ」
 見回りを終えて戻ってきた兵の1人が、襟を緩めて息を吐く。掌をひらひらと仰いで軍服の内側に風を入れる光景は、本来北部では真夏にしか見られない光景である。奥まった机で書物をしていた年配の男が、筆を置いて顔を上げた。
「しかし、何なんだろうな、この陽気は」
 隊長の台詞に、若い兵士達は答えない。
 一体、都はどうなってしまったのだ。
 民の問いはいつも一方通行、それに対する答はない。
 男達は、出かけに妻に言い残す。夜、空を見あげてはいけない。決して、幼い子供の手を離してはいけない。日が暮れたら家に引き篭もり、夜が明けるまで、決して外を見てはいけないよ――
 皇都の夜はもう、人だけのものではないのだから。
 その時不意に、かたり、と何かが動く音がした。
 軍服姿の兵士が次々と剣を取る。だが次いで訪れたのは実に弱々しい、蚊の泣くような声で。
「た、助けて」
 年の頃は12,3歳か。扉を押し開けるように倒れ込んで来た子供の顔に、兵士達は慄然とする。濡れて固まり、べっとりと肌に張り付いた柘榴(ざくろ)色の髪――ではない。額からこめかみにかけて、ざっくりと割れた傷口から溢れる、血の色だ。
「おい、坊主、どうしたんだ!?」
「……ヤフーが」
 力なく、呻くように言う。外を指差す細い手は、指先から肘にかけて血の色をしていた。縛り上げ、止血してやるその端から、ぽたぽたと幾筋にも及ぶ雫が垂れる。生成り色、手作りと思われるシャツの布地は汚れ、破け、裂け――あちこちの布が欠けて、半分以上が消えてしまっている。
 予想以上の深手に、若い兵士の一人が思わず、少年の口許に手を寄せた。よく――生きてここまでたどり着いたものだ。
「おい、坊主、話せるか?」
「……」
 返事はない。伏せた瞼は動かない。子供らしい、ぽってりと厚い唇の端から朱の色が、糸を引いて頬を辿る。滴る先の腹部にも、鋭利な爪で抉られたような傷が口を開いていた。
「……助かりそうか」
 低い声は、この中でただ一人、年齢を重ねた壮年の男のものである。軍服の上からでも、鍛え上げられた筋肉の隆起がわかる。慈父のごとき視線で少年を見下ろした後、きっと前を見て声を張り上げる。威圧感に満ちた声音が、狭い煉瓦色の空間を響いた。

「――1人はここに残って手当てを。皇宮への伝令に1人、残りはわしと共に来い!」



 闇の中で、彼は震える息を噛み殺していた。
 両の手に深紅の爪。抉った贄の肉片が、今もその先端にこびり付いている。だが殺戮に付随する愉悦は、すでに彼の中からは消えていた。
 ――逃げられた。あと1歩というところで。
 白月の光が石で舗装された地面を照らし、路端に設けられたかがり火が、その表面に淡い翳を落として揺れている。空はまだ、夜の気配が広まったばかりで、深夜というには、かなり早い。だがそれにも係わらず、周囲にはまったく人影がない。
 ――皇都の夜を我々が支配する。彼らの当初の目的は、あとわずかで貫徹するところまでやってきているのだ。
 遠くで、人が叫ぶ声がした。石畳を踏み鳴らす、無数の足音。先刻逃した獲物の一匹が、助けを求めて、駆け込んだのか。
 1本、また1本。五指に結わえた爪を引き剥がす行為は、遅々として進まなかった。焦りが滴る汗となって、首筋の窪みに溜まる。――暑い。やけに暑い。
 ずるりと、目に見えぬ覆いを取るように、彼は頭部から無数の毛に覆われた被りものを取り去った。
 その下から現れたのは、白光に映える漆黒の髪。褐色に光る肌の表面は、無数の雫で濡れている。
「畜生…」
 軍靴の音は、確実に先刻よりも近づいていた。
 彼が紛れ込んだのは、民家と民家の間に設けられた石塀の隙間であった。当然のことながら高さはなく、だが同時、合間を進んで歩む程のゆとりもない。もう逃げるしかない、と石を積み上げた壁を乗り越え様とした彼の背を、暗がりから、1つの声が打った。
「……そこで、何をしている?」
「お前……」
 少年のような服装に、首の後で束ねた黒髪だけが異質なほどに長い。猫のようにしなやかな身のこなしと、小柄ながらもすらりと伸びた手足。襟元から匂い立つような若い女の香は、確かに彼の知る5年前までのこの娘にはなかったものだった。
「何だ、シナか。……驚かせるな」
 少女が、微かに息を呑む。2つの瞳が、彼の胸から腹にかけてを染め上げた、どす黒い染みの跡を追っているのは明かだった。今宵の眩しい程の月光が、今だけはやけに忌まわしい。
「その血は、何だ?!」
「……」
「答えろ、一体、誰の血なんだ!」
 そういえばこの娘は、昔から、女のくせにやけに気が強かった。料理や裁縫といった女の仕事を嫌がって、男兄弟と共に家畜を追い、武術の鍛錬では、彼を含む同年代の少年達をいつも蹴散らしていたのだ。
「お前は黙って、力だけ提供すればいい。……<あのお方>に忠誠を誓った以上、問いかけは必要ない」
 瞼の裏で、橙の光が瞬いた。明確な意図の許、鋲を打った靴音が近づいて来る。かがり火を弾いて輝くのは、軍兵達の掲げる武具の先か。
 苛立ちが、心奥を焔のように舐め上げていた。だから少女に向けて振り上げた右手に、凶器が据えつけられたままであることに気がついたのは、彼女が手の甲を抑えて呻いた、その後で。
「痛っ」
 少女の悲鳴が、闇の中でぶれる。足下の石が、かたかたと小刻みに震えている。――ように感じ、思わず、動きを止めて空を見る。だが震えはすぐに消え、見上げた先には驚くほど大きく白い月が、ただぼんやりとこちらを眺めているだけであった。
 彼女は異変に気付いていないのか。見上げてくるその顔には、些かの動揺もない。凛とした双眸が、何の迷いもなく彼を向かえ打つ。
「確かに、死んだ仲間の無念を晴らすための力は貸すと言った。だけどどうして、そんな血が流れたりするんだ。僕は聞いてない。答えろ、それは、誰の血なんだ!」
 同時。
「居たぞ、血の跡がある。こっちだ――」
 低い響きが、石造りの屋根に木霊した。刃先を向けて、駆けこんでくる無数の人影。振り上げられた剣が発する白い閃光と、眩しい程に照り輝く炎の赤。
 ちっと舌打ち、塀の向こう側へ身体を引き上げかけた――その時のことだった。
 今度は至極はっきりと、誰もに聞こえる形で、鈍い地鳴りが鳴り響いた。まるで、彼らの足下の大地そのものが、今そこにあるものの重さに堪えかねて、悲鳴を上げている――そんな感じに。
 いや事実、本当に地面が揺れたのだった。遠くの山が、近くの家が、その上に立つ人々の姿が、上下に揺さぶられている。
 大地の奥深くで、何かが激しく蠢いていた。300年以上もの年月を、皇都の地底でたわめられ、押し込められていた何かが。
 今、長き眠りから目を覚まし。

 建国暦336年の春。大災厄から数えて6年目のこの年、皇都を襲った、2度目の地震であった。








扉へ/とっぷ/次へ