×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


風の挽歌

第1章 焼け野が原


扉へ/とっぷ/戻る



 体を離した後もしばらくは目を閉じたまま、消えて行く快楽の軌跡の中にいた。
 目を開ければ壊れた神殿の柱の向こうで、驚くほど大きくて白い月がこちらを見下ろしている。青白い光が、かつては輝いていたであろう石柱の先端にぶつかって、粉々に砕けて散っている。その先端が刃のように鋭いのは、5年前の大災厄で崩壊したまま補修されずといっても仮にも神域で、けしからぬことをしていた若者たちを見咎めているのかもしれない。
 ――まあ、僕には関係ないや。
 足の爪の先から髪の先端まで、倦怠感がべったりと張りついている。脱ぎ捨ててあった男もののシャツを拾って腕を通しながら、シナは思った。
 辺境遊牧民族出身で「国を持たぬ民」である自分にとって、この国に祭られている神様など、そこらへんに転がっている石ころなみに、価値が無い。守ってもくれぬ変わりに、信じたりもしない。しかし、傍らで寝息をたてている男はこの国で、最高神官の位を持つ皇族のたったひとりの跡取息子だった。その大事な大事な総領息子が、平気な顔して神殿跡で女を抱いているのだから、国が乱れるのも無理はない。乱暴に裸の肩を掴んで、揺り動かした。
「カイ、起きて」
「……」
「起きろっ!」
 金髪碧眼に、女かと見紛うほどの白い肌。この滅法美形の青年は、朝は弱いが寝入りばなはもっと弱い。耳元で大声で怒鳴ってやると、いたって不機嫌そうに前髪を揺らしたあと、がばと起き上がった。
「……あれは、なんだ?」
 折り重なって眠っていた二人を見下ろしていた影が、長い首を巡らせて、月明かりを浴びながらふるりと振るえた。長い毛がさらりと風になびいて、頭に1本、鋭くそびえた角が闇の中で煌々(こうこう)と輝いている。一角獣だ。
「何って、この神殿のご神獣じゃないの?」
「べつに祟られるようなことはしてねぇぞ」
 さっきまでさんざん、人の体を弄んでいたくせによく言ったものだ。だが少しずつ近づいて来る獣の輪郭が明らかになるにつれて、シナも同じ思いを抱かずにいられなかった。
 ……やつれている。全体的に。
 良く見ると毛並みに艶がないだけではなく、ところどころに毛玉が見える。大きさは小さめの馬1頭ほどはあったが、随分痩せていて、胴回りなど子どもの両腕でも抱えられそうだ。頭の角だけは鋭く雄雄しくそり立っていたが、それも重そうで、かえって一角獣の憐れさをひきたたせる効果しかない。二人はしばらく、あんぐり口をあけて近づいて来るそれを見た。
「おい、シナお前、これ、どこから連れてきたんだ?」
「……何で僕がこんなの連れてこないとならないんだ」
 床を覆うかつては大理石であったはずの残骸は、今は見る影もなく荒れ果てて、ところどころからぺんぺん草が顔を出している。向こうの方に転がっている麻布は旅の商人が、以前ここを仮宿に使ったことでもあったのかもしれない。異国の文字だった。その布の端を踏みつけた時、獣が言った。
「お前たち、旅のものか?」
「――喋った?」
「言葉がわかるの?!」
 ふるりふるりと獣が体を震わせた。まるで犬みたいだ。事実舌を出してはあはあ言っている。ほんのわずかの距離を歩いただけで息が上がったらしい。
「あ、あのすいません。ここ、空き家かと思って。僕たちはすぐに出ていきますから」
「……お前、僕、はやめろといつも言っているだろうが」
 神獣の2つの目が一瞬、薄布一枚隔てたシナの膨らんだ両胸や、くびれた腰のあたりを無遠慮にさ迷った。だがすぐに目をそらし、ほうと嘆息する。「まったく、最近の若いもんは……」なんだかそんな台詞が聞こえてきそうだった。
 シナは襟元をかきつくろって、真正面から一角獣を見た。
「……え、と、その、ほんとに、すみません」
「最近、この町を訪れたという2人連れの賞金稼ぎを知らぬか?」
「!?」
「おい、お前、賞金稼ぎに何の用だ?」
 はあはあ、と獣はさらに肩で息をした。目の淵に、黄色い目やにがたまっている。間近で見れば見るほど、みじめさがつのるような風体だ。ご神獣は不死身のはずだが、もしかするとかなりの老齢なのかもしれない。上体を起こしたカイが、自分の上着の下から剣を持ち出してきた。上着もシャツも安物だが、剣だけは一級品だ。
「って、賞金稼ぎに用があるとしたら、依頼以外にはないよな、普通」
「カイってば!」
「その通りだ」
「えっ?」
 すとんと腰を下ろして、犬で言うちょうど「おすわり」のような格好になった。そのままずるずると上体を滑らせて、今度は「伏せ」の姿勢になる。風向きが変わって、獣臭い体臭が、そのままこちらまで香ってきた。
「賞金稼ぎに依頼がある」
 思わず、顔を見合わせた。そして、恐る恐る、言った。
「あの……、その賞金稼ぎって……、僕達のことです。多分」



 どの街の広場にも一つある、デルフィ神の石柱(せきちゅう)と呼ばれる柱に日時と場所を書きこめば、賞金稼ぎが依頼を聞いてくれる――
 そんな習慣は、ちょうど5年前この国を襲った大地震、通称「大災厄」の後にはじまった。
 崩壊した家屋と割れた地面。泣き叫ぶ子供とその名を呼ぶ親の悲鳴。ところどころであがった火の手はしずめるものもなく、秋風に吹かれて天高く舞い上がる。血を流した女と、頭を抱えた男と、空から不気味に覆い被さる不吉な影と、そこから降ってきた矢の雨と。
 そして人の血肉に群がる、大量の魔物の影。
 地を這い、空(くう)を飛び、子どもを食らい、女を攫い、大地を荒し。5年たった今でもなお、その姿はつきることがない。
 国のお偉いがたが、多少腕に自信のあるものが魔物を1頭退治するごとに、20リラの報奨金を出すことを決定したのは、大災厄後の復興期のことである。災厄後は物価が上がる一方なので一概にはいえないが、100リラあれば普通、黒いパンなら大の大人が1年食べていけるといわれている。最近では依頼成功のおりにいくらか御礼が包まれることもあって、なかなか結構、おいしいところのある仕事だといえないこともない。
 しかし、ご神獣からの「ご依頼」など前代未聞だ。神獣が町を守るならまだしも、賞金稼ぎごときに守護を依頼するなんぞ、誠に世も末である。第一事情が知れたら、町役人が賞金を出してくれるかもわからない。
 それでも彼らが依頼を聞くきになったのは、神獣が約束した報酬が、法外で――もっというならば目の玉が飛び出るような額であったから――であるに他ならない。一体なんのお金かと思ったら、災厄前、神殿がまだ町の人々にあがめられていたころのお賽銭(さいせん)だという。そんなことが知れたなら、大災厄以降、崩れるに任せてあった神殿は、怒り狂った町の民に滅多打ちにあうかもしれない――と、シナは思った。



 すでに、日が暮れつつあった。白っぽい夕暮れ色が遠くの町並みを包みこみ、煉瓦色の屋根の向こうにうっすらと、木苺色した夕焼けが一筋の光となって輝いている。風上からふきつける風は冷たく、昼間は今もうだるように暑いので忘れがちだが、もう夏も終わりに近いのだということを思い出させた。
 ――カイのやつ、一体どこに消えたんだ。
 魔物が出るという森を懐手に眺めて、シナは小さく舌打った。
 路地裏でまだ子どもたちが群れて遊んでいる時刻だが、その奥の盛り場ではそろそろ、灯りに炎がともされているに違いない。あの男の消えていった方角を思い、心が重たくなった。
 ――まったく、あの男は……。
 シナとカイが相棒となってもうすぐ1年近くになる。その間、彼らは互いに束縛し合ってはいなかったし、今までだって、彼らが個人で仕事を請け負って、それぞれ20リラの報奨金を手にしたことも何度かある。だから、二人で組んで行う仕事以外でカイがどこで何をやろうと、シナには係わりがないし、文句を言う筋合いでもない。
 だが今回のように明らかに2人に依頼された仕事で、シナ1人をほっぽってどこかに消えてしまうなど、言語同断である。御礼の金など、1銭も渡すものか。
 それでも今回は、大した準備もいらないだけ、大分気が楽だった。大抵の魔物はおてんとさまが照りつけている下では森か山奥でぐうぐう寝ているから、夜になるのを待って、首根っこを叩き切るが、心の臓を一突きに突き刺してやればいい。手のひらの中で小刀をもてあそんで、シナはそろそろ日が沈み切るな、と思った。
 中性的といえば聞こえはいい。着ているものや無造作に束ねられた黒髪の所為で、シナは自分が一見、少年のように見られることを知っている。あえて、そのように振る舞ってきた。あの大地震の起こった後は。
 シナはかつてこの国の南端の砂漠で暮らしていた、遊牧民の長の娘であった。遊牧の民は本来国を持たず、町も村も作らない。一族単位で家畜を連れ、水を求めて旅をする。土地に縛られることのない、自由の民だ。だから大災厄で土地が割れ、気候が変わって容易に水を得られなくなったこともあり、あっという間に滅んでしまった――
 無意味なもの思いはいつも、懐かしさと微妙な切なさを帯びて、少女の心に分け入って来る。普段は思い出すことも少ない故郷の風景を感じるのはいつも、こんな日暮れ時だ。
 ――来た。
 森の奥のほうで、何かがごそりと蠢いた。ずしりと地響きが鳴って、空にまだ、かすかに残っていた夕暮れ色が消えて行く。ぎしぎしと枝がしなり、青々した葉が、はらはらと散っている。今回の獲物は図体だけは大物らしい。
 刀を鞘から引き抜き、少女は森の中へと見を翻した。




 何度目かの攻撃の切っ先は、確かに相手に届いたはずだった。
 己目掛けて放たれた敵の一撃を、軽やかに身を宙に舞わせてすり抜けると、シナは空中で、ちっと小さく舌を打った。
 ――案外、やっかいな相手だったな。
 何しろ夜は向こうの性分。出たばかりで驚くほど赤かった今宵の月は、深い森奥までは届いて来ない。こんな奥までひきずりこまれては、一人きりで戦うシナの勝機は薄い。かといって、ここから飛び出す訳にもいかないではないか。そんなことすれば、民家に被害が及ぶ。
手頃な大木の茂みの中に身を隠し、シナは己の武器である三日月型の剣(つるぎ)に手をかけ、荒い息を整えた。
 神獣さまご依頼の今宵の獲物は、蜥蜴(とかげ)によく似た形の魔物であった。ここ二月ほど、町を荒らしまわっているという。さほどの魔力は擁していないが、その再生能力はあなどれない。斬っても斬っても再生する大蜥蜴との体力戦は、小柄なシナの体力を容赦無く奪い取っていく。
 倒す為には――
 一撃。
 相手の間合いに踏み込んで、一撃で心の臓をぶち抜く。
 掌に収納された白い刃が、遠い夜空のどこかに存在する淡い月をかすかに映して、小さく光った。すかさず、魔物の目が光る。大蜥蜴の緑の目が己が獲物の姿を捕らえる。胸元目掛けて一直線に迫り来る魔物の巨大な影に立ちふさがり、シナは唇の端に小さな笑みを浮かべた。
 さあ来い。その時が。
 ――お前の最期だ。



 だが。
 迎え撃とうと待ち望んでいた衝撃は訪れなかった。――時が、止まったかのようにも思われた。
 気がついた時、目の前が金色の光に覆われていた。目前の樹木の1つが、白煙を上げながら倒壊していく。木だけではない。草も、土も。そして魔物の体躯さえも。まさしく一網打尽意に。
シナが敵の懐に踏み込まんとしたまさにその瞬間、何者かが放った金色の光が、目の前に存在したすべての生ある物体を、瞬く間に焼き払ったのだ。
 ぎりぎりまで張り詰めていた緊張の糸を寸前で断ち切られ、シナはその場に力なくへなへなとへたりこむと、恨めしげな視線を、己の頭上の方角に目掛けて突き刺した。
「これは僕の獲物だ。邪魔をするな、カイ!!」
「ちょっと遅れたと思ったら、こんな小物相手に何を手間取ってんだ、お前は」
 カイはこの国の皇家の血筋を引いている――という。ついでに、どこでどういう修行を積んだかしらないが、最高位の「神官」の位まで持っていて、剣を使わずに魔物の体をぶった切ることも不可能ではない。おまけにシナはてんで疎い呪術関係にも詳しくて、剣の技の方も、なかなかどうして、大したものなのだ。
そんな男が、何を好んで市井で賞金稼ぎなんかをやっているのか。
「ちょっと、じゃないだろう。一体どこに行ってたんだよ!?」
「野暮用でな」
 シナの見上げた先で、相棒――カイがそこらの無頼漢のごとく、に、と笑っていた。



「ご神獣さまが、魔物を退治して下さったそうじゃ」
「ありがたい、ありがたい」
 いいだけ壊れていた神殿に、今は花が添えられていた。割れた壁が漆喰で修復されて、屋根の上下で十数人の匠(たくみ)が、えっちらおっちら石材をかついでいる。さっきこっそりのぞいてみたら、即席巫女の町娘たちに湯浴みされ、神獣は随分気持ち良さそうに毛繕いをされていた。この分では、シナたちに手渡した報酬くらいの賽銭は、あっという間に集まりそうだ。
「カイ、もしかして最初から全部そのつもりで……」
「別に俺は何もしてねぇぞ」
 少し笑って、青年はぽりぽりと頬をかいた。
「ただ町の瓦版書きの同業組合に金を渡して、神殿のご神獣さまが森で魔物退治をするらしい、という噂を町中に広めさせただけだ」
 あの晩の森近辺には、噂を聞いた町の民が、わんさか駆けつけていたという。――勿論、カイの扇動だ。
 そこへ、あの閃光だ。
 どうりでたかが蜥蜴一匹相手に、派手に森全部を焼き払ったはずだった。
 おかげで今朝からこの町は、「町が悩まされていた魔物を、退治して下さったご神獣さま」の話で持ちきりだった。年寄りはともかくさほど信仰心を持っているとも思えぬ若者までも、我先に、と神殿に向かって集まっているのは、カイが金をつかませた瓦版書きが、よほどできの良い作り話をこさえて朝刊に載せたのだろう。
 そういえば、と思った。この傍らの男は、一応は神官なのだ。あまりにも荒れ果てた神殿とご神獣の姿に少し心を痛め――ていたりでもしたのだろうか。

「まことにありがたいごとですなぁ」
「これでこの町だけは、もう魔物の心配などしなくても良いわけで」

 しかしこれで魔物退治の手柄は全部、ご神獣に持って行かれた。20リラの報奨金もすべて
パーになる。憮然と納得いかないシナの脇を、貢物を抱えた町人が数人、群れになって通り過ぎていく。
 まこと、民の心は移ろいやすく、流れに淀む水草のごときだ。風が吹くまま流れるまま、どこへなりとも流れ行く。
「……だけど、いつまで持つかな?またすぐに神さまなんて」
 町が復興にやっきになっていた数年間、予算も人手もまわされず、荒れるにまかせてあった神殿を知っているだけに、素直に喜んでもいられまい、と思ってしまう。
「まあ、むこう1年くらいは安泰なんじゃねぇのか。それに老いぼれでも神獣がいるってだけで、虫除け程度の効果は期待できるってもんだ」
 まあ、今後どうなろうと、俺には確認のしようもないけどな、と呟いて、カイはちょっと遠くを見た。彼がそんな顔をするのは珍しいので、シナはまじまじと横顔を見上げた。真上に太陽をしょって、金色の髪がきらきら輝いている。青い両目に、一瞬、シナには窺い知ることのできない濃い深淵の色が浮かんだが、それもすぐに消え去った。
「……さて、行くか」
「って、どこに?」
「どこにって、次の町に決まってるだろう」
 国に魔物がいる限り、彼らの仕事に終わりはない。今も遠くどこかで暴れる魔物と、助けを求める人の声、ついでに一匹あたり20リラの報奨金がある限り。
 シナとカイ、2人の賞金稼ぎの旅と戦いは、まだ続く。









扉へ/とっぷ/次へ