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風の挽歌

序章 大災厄


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 唐突に騒ぎ出した羊の群れは、結局1頭も捕まえることが出来なかった。
 岩と潅木が所々を転がる、荒れ果てた不毛の大地の片隅で、少女は小さな息を吐く。
 遊牧の民にとっての家畜は、何にも変え難い、たった1つの財産だった。それを霧散させたと父兄が知ったなら、どんな叱責を受けるか知れない。
 少女と、その家族が住む天幕まで、もうさほどの距離はなかった。白い布を翻し、乾いた風を受ける布地の下で、駱駝(らくだ)が悠然と草を食む。彼女の愛する光景が、そこにある。だが少女が歩みを早めた瞬間に、それは起こった。
「―――!」
 未だ小柄な四肢は、衝撃に耐え切ることができなかった。地面に叩きつけられた少女の頭上を綱を引き千切った駱駝が舞う。そして再び襲いかかった猛烈な縦揺れが、彼女の足元の地面に張り裂けたようなひび割れをもたらしていた。
 ――落ちる。
 身体が、黒い窪みの中に吸い込まれる。伸ばした両手が掴んだのは暗黒色の虚空だけで、何ら確かな手応えを感じられぬまま、四肢の落下は加速を続ける。もはや少女の力で、それを止めることができるはずもない。
 ――落ちていく。止まることなく。
 だが、奇跡は起こった。
 加速しながら落下する指の先が、裂けた地面から顔を出す、灌木(かんぼく)の根に触れたのだ。落下の角度が変わり、視界にいくつかの窪みが見える。あそこまで行けば、助かる――
 絶望で押しつぶされそうになる意識を意思の力で食いとめながら、少女は夢中で目の前のものに縋りついた。全身で息をする少女は、自分が既に狭くて固い地面の上に舞い下りたことに気付かない。
「お父さん、お母さん」
 こうして少女はたった1人、大災厄(だいさいやく)を生き延びたのだった。



 タリアには一つの伝説がある。
 かつて、天と大地は一つであった。水は流れず、光は射さず、ただ永遠に暗黒だけが広がる世界があった、と。
 伝説は語る。
 ある日、地上に一人の神が降り立った。彼は自らの両足で地面を踏みしめ、その両腕で、空と大地を引き離す。そして今もなお、自らの両腕で広大な天を支え続けているという。
 建国暦330年の秋、タリア皇国全土を襲った大地震は、天地分離の神――デルフィ神の怒りであったのだろうか。
 死者の数は全国民の5分の1に及ぶ。負傷者ともなればその数は、もはやはかり知れない。倒壊した家屋に押しつぶされた人々の呻く声は1年以上、国の頭上をどす黒い錆色に染め続けたと言われている。
 タリアは、1度死んだのだ――
 自国の民をしてこう唄わせた大地震を、人々はいつしか、大災厄と呼ぶようになった。

 ――それは、物語が始まる、ほんの少し前の出来事であった。








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