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暁の彼方〜第九章 邂逅〜




 太刀筋(たちすじ)には2つの種類があるという。
 1つは騎士や兵士が習い覚える、正規の剣と呼ばれるもの。そしてもう1つは規則も型もない、ただ実践で振るわれることのみを目的とした――いわゆる、邪道の剣。
 刺客の剣は後者の剣、邪道の剣の方だった。
 戦闘者のギルドほど組織だった集団は稀であるとはいえ、傭兵や私兵あるいは暗殺者など、正規の剣を倒すことのみに重きを置く者達が他にいないわけではない。誇りも矜持(きょうじ)もない。彼らはただ、賃金のために剣を振るう。違いはただ、雇い主が誰かということだけだ。
 ルーカス自身は王宮で正規の剣の基本を身につけた後に、戦闘者のギルドの戦士に邪道の剣を叩き込まれたという、世にも珍しい複合型である。規則を設けた試合などにはむかないが、自分の身を守るという意味では、それなりに使える太刀筋を持つ。とはいえ得物のつくりの差だけは、本人の力量ではどうしようもなかった。
 1人目を斬り、2人目をかろうじて倒したところで、鋼(はがね)が折れた。
 剣舞に用いられていた剣は細身で脆弱で、実践向きには作られてはいない。折れて使いものになった自らの剣を地面につきたてて、若者は肩で息をする。
 実りと豊穣の季節が、終わろうとしていた。
 先ほどまで翳っていた月が中天に輝き、今宵は決して、闇夜ではない。しかし無数の枝が茂った森中は、目を開いていてもそこここに、闇の気配がわだかまる。色を変え、瑞々しさを失くした木の葉が風の動きに合わせ、渦を巻きながら舞い上がる。
 不意に音をたて、枯れ枝が揺れた。剣を手に、足音を殺してあたりを伺っていた刺客の1人が、背の高い茂みの向こうに目指す獲物の後姿を見つけて歩みを止める。呼吸を止めてその動きを見守っていたルーカスは次の瞬間、刺客の背後に躍り出て、手にした剣を突き出していた。
 信じられない、という表情を張り付かせ、天を仰いだ男と。口の端に笑みを浮かべ、剣を振り抜いた男の眼前で、ばさり、と風に衣が舞う。ちょうど人の背の高さほどの、痩せた幹から若者が着ていた上着が滑り落ち、病葉(わくらば)が茂る地面へと落下した。
「悪いな……俺はこの森のことなら、知り尽くしているんだ」
 折れた剣の、それでも鋭い切っ先が音をたてて引き抜かれる。色をなくした世界に、鮮やかに赤いものが散ってゆく。
 倒れ付した男の腰のものを抜き去り、新たな剣を支えに立ち上がった瞬間、ある事実に気がつき、ルーカスは自らの足元を凝視した。そういえば、今朝は短い時間ではあったが氷雨が降った。その所為だろう、踏み荒らされた地面はぬかるみ、彼らが今来た道を、明確に指し示している。
「……」
 無言で2つの足跡を眺めた後、若者はおもむろに目の前にある茂みをかき分けた。道なき道の向こう側は、彼がいまある場所よりも、さらに闇が深い。
 さながら幽鬼のごとき形相で、その中に足を踏み入れた男の口の端から、熱いものが滴り散る。人の肉体から流れ落ちる血の色だけが、今この場にある、唯一の色彩だった。



 だてに10年以上も、森の中で暮らしてきたわけではない。
 道を逸れても、自身の居場所を確認できる。それは王家の森において、ルーカスのみに与えられた特権だ。わずかな窪み、木の根の張り出し具合や土の色の違いから、彼はこの森の中での己の位置を、性格に把握することができる。
 森の中で迷ったのはただ一度だけ、恐らくあの時は傷を追った衝撃はもとより、精神的な動揺も響いていたのだろう。森が彼を見放したのではない。ルーカスが森を見失ったのだ。王家の森は己が子を裏切らない。例え、他の誰が彼を裏切ったとしても。
 ――少しは、引き離しただろうか。
 手近にあった木の根の窪みに這うようにして座り込み、ルーカスは、ほうっと息を吐いた。
 身体中が重い。口の中に鉄の味を感じるのは、倒れた際に口の中を切った為か。あちこちの衣服が破れて血で染まり、陰惨たる有様とはなっていたが、中身の方に特に目立った傷はないようだ。致命的な傷がないのは、僥倖(ぎょうこう)と呼ぶべきかもしれないが、脇腹の傷がじくじくと疼き、打ち身の痕が熱を持ち始めたこの状態を到底、幸運と呼ぶ気にはなれなかった。
 ――何を躊躇うことがある。
 座り込んだ男の耳の周囲で、風が鳴く。
 何を今更、それほどまでに生にこだわる。一思いに楽になれ、そのろくでもない人生を終わらせてしまえと囃し立てる。刺客の前に身を躍らせろ。そうでなければその剣を己の胸に突き立てろ。何を迷うことがある。お前とて、一度はそれを望んでいたではないか。
「――黙れっ……!」
 死んでもいい、と思ったのは、多分、相手があの娘であったからだ。憎しみでも恨みでもない、ただただ利潤の為だけに殺されてやる気はさらさらないし、自ら命を絶つことなどもっての他だ。それができるくらいなら、とっくの昔にやっていた。
 吹き荒れる風の感触はすでに野分(のわき)、といってもよいくらいに激しくなっていた。口の中の鉄の味が、また一段と強くなる。
 ――王城内の誰かか、それとも他国の刺客か……はたまた戦闘者のギルドか。
 わずかな休息さえも許そうとしない亡者の声から耳をそむける為、ことさらに頭を回転させる。王宮には、黒宰相の存在を疎ましく思っている人間が多数いる。いっそ彼が戻ってこない方が清々するという人間が、ならばこの機会にいっそのこと永遠に葬ってしまおうと思っても不思議はない。とはいえ戦闘者のギルドの線も捨てきれないし、サイファ公国だってこの状況だ。間諜の1人や2人は侵入させていることだろう。黒宰相が本格的に西との交渉に動き出したと知ったなら、刺客くらい差し向けてきそうな気がする。
「……たく、あちこち思い当たる節があり過ぎるってのも、考え物だな」
 もっとも今、仮にその答が出たところで、状況の改善などまるで望めないのだが。
 不意に、荒れ狂う風の音に合わせて、枯れ枝と木の葉が奏でる旋律が大きくなった。追い詰められた獣のごとく、感覚が鋭敏になっているのだろう。自分で聞いても荒いとわかる呼気をかみ殺し、ルーカスは剣を支えに身をもたげる。
 ――誰か、いる。
 やはり、振り切りきれてはいなかったのか。1人や2人の敵ならばまだ何とかなるはずだが。3人以上いた場合は体力的に見て、もう運を天に任せるしかないかもしれない。
 敵に背後を取られない為に、木の幹を背に立ち上がった時、かすかに人の話す声が聞こえた。向こうはまだ、こちらの存在に気がついていないらしい。――だとすれば幸運だ。
「――いたぞ、こっちだ」
 斜め下方に広がる緩やかな傾斜の向こうに、王家の森を貫く道が続いている。便宜上<道>と呼ばれてはいるものの、実際は他よりも多少草木が生い茂っていないという程度の、いわゆる獣道である。その半ばで、人の気配が二手に別れた。足音を殺して傾斜を滑り降り、ごつごつとした木の幹の影からその光景を見守っていたルーカスは、自分を探していたはずの人間の1人が、あらぬ方向に折れて行くのを見て、固唾(かたず)を呑んだ。
 ――俺じゃ……ない?
 しかし、この王家の森の中に、彼以外の他に誰がいるというのか。
 息を殺したルーカスの目の前で、血の色が飛び交った。2つの人影が交差し、そのうちのひとつが顔面から、枯れ枝の林の中へ突っ伏して行く。低いうめき声がしたところを見ると、枝先が身体を貫いたのかもしれない。大人の腰の高さしかない痩せた木立だが、それでもこの木の枝はかなり鋭いのだ。まだ息はあるようだが、このまま放っておいて、明日の朝まで息があるかどうかはおそらく、かなり怪しい。
 とはいえ、助けに行って起こしてやらねばならない義理もない。視線を逸らしたルーカスの目前で、再び風が舞った。次いで、視界に飛び込んできたのは――
 ――血の色よりさらに赤い、目に痛いほどの、赤。
 吹き荒れる風に乱れ、絡み、もつれあいながらも、揺ぎ無くそこにある。
「テラ……」
 緑溢れていた頃の王家の森と、同じ色をした瞳が、まっすぐに注がれる。幻でも見ているのかもしれない。しかしゆっくりとその名を呼んだ若者の目の前で、幻は確かに彼女の声を発して――彼の名を呼んだ。
「――ルーカス……?」
「お前……どうしてこんなところに」
「王家の森の近くで、旅芸人の一座が襲われたって聞いて。だけど城門を通れるはずもないし、どうしても気になって。――何があったの?この人は何者?どうして、こんな――」
 ぐらり、と目の前が揺れる。目の前の女が、敵ではない保証はない。いやむしろ、敵か味方かと問われれば敵の方に近いのではないか。だが突如として現れた顔見知りの顔は、張り詰めきっていた緊張の糸を緩めるには充分なものだった。
 ――死んでもいいと思ったのは、相手が彼女だったからだ。
 なのに、どうして懐かしさなどを覚えるのだろう。人生をかけると誓った王でも、10年以上近くで見守っていてくれていた幼馴染でもなく。
 例え彼女が今ここで、止めを刺すために現れたのだとしても。最後に瞼に焼きつくのがこの光景ならば悔いはない、などと。
「……血が、出てる」
 完全に温もりをなくした肌の上を、ささやかな熱が這う。差し出された白い指先の先端が、血とも汗ともつかぬもので濡れる。
 ――どうして。
「――え、ル、ルーカス……?!」
 予期せぬ自分自身の感情の動きに戸惑いながら、ルーカスは唐突に目の前に現れた相手の細い背を、力の限り抱きしめていた。




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