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暁の彼方〜第九章 邂逅〜




 無理、というより無茶をした所為で、その後は文字通り、死ぬ思いを味わった。
 束の間の眠りは発熱の悪寒で打ち破られ、そうかと思えば、緩急をつけて押し寄せてくる激痛に負け、半ば気を失うようにして眠りにつく。波に揺られる木の葉のごとく、意識は浮き上がったり沈み込んだりを繰り返した。
 そうして、夢を見る。ほとんどが悪夢だったが、たまに見る、そうではない夢の方が精神的にはきつかった。
 夢の中で、寄り添う2つの人影を見る。
 ゆらゆらと揺れる白い闇の中で、若い男女が親しげに肩を触れ合っている。たおやかな腕に抱きとめられ、弾かれたように笑った男の瞳の色は、深い闇の色をしていた。
 ――違う。
 その男は俺じゃない。女はあの娘――彼が殺した女の娘ではない。ルーカスは彼女と、あんな風に笑いあったことはなし、そんな日は決して訪れはしないだろう。何しろ、彼はあの娘にとって、母親の仇に他ならないのだから。
 夢の中で男が笑う。どこか聞き覚えがあるようにも感じる笑い声が、耳の奥で木霊する。
 どれほど目を逸らそうとも、目の前にある幻は消え去らない。次第に、手を伸ばせば届く位置にある2人の姿に、羨望に近い感情が沸き起こってくることを、自覚せずにはいられなかった。
 ちぎれる程腕を伸ばしても、決して自分のものにはならないものがすぐ目の前にある。と、唐突に夢の中の幻が揺らいだ。瞬きするよりなお早く、人影が遠ざかって行く。目の前からその残像が消えてくれることに安堵しながらも、引き止めたい、と願う感情が、意味もなく首をもたげてくる。
 ――違う。
 否定の言葉を吐き捨てながら、伸ばしかけた指先を、きつく握り締める。
 違うんだ。あれは違う。俺は決して、そんなことを望んでやしない――



「お前……、何を考えている?」
 ルーカスは首を傾げた。
 最初に目をさましてから、既に3日近くが経過していた。無理をして立ち上がったはいいがその後に熱を出し、丸2日間は寝台から出ることもなく過ごした。その間、女――オウカはほとんどかいがいしいほどに彼の世話を焼き、ルーカスもそれを受け入れるしかなかった。何しろ、食料も薬も水さえも彼女の手を経なければ廻ってこないのだから。無論、その中に何が入っているか知れたものではなかったが、まだ生きているところを見ると、少なくとも毒物は混入されていないらしい。
「何って、いらないの?」
 碗に入った粥を差し出しながら、女が呟く。ルーカスは素直に腕を伸ばした。今朝になって完全に熱も下がり、数日の絶食を経た若い身体は栄養を求めている。正直、3度の食事だけでは腹が減ってたまらない。
「いい食べっぷりね。それだけ食べられるんだったら、すぐに良くなるわ」
「まるで、望んででもいるような口ぶりだな」
 差し出された水差しの水で口をゆすって、女と向き合う。王宮内で多くの政敵を怯ませてきた眼光にも、女は目を逸らさなかった。そこに初め、彼女とテラを似ていると思った理由があることを悟る。心にあるのが憎悪であれ、それ以外の感情であれ、テラは一度たりとも、目の前にあるものから逃げ出したりはしなかった。彼の母親のように、自分を悲劇の主人公に仕立て上げ、周囲に同情を強要することなど、決してあるまい。その強さを、潔(いさぎよ)いとも痛ましいとも思う。
「お前は戦闘者のギルドだろう。黒宰相を殺せと命じられているんじゃなかったのか」
「――ねえ、この短刀の意味、知ってる?」
 唐突に目の前に掲げられたのは、柄に銀の龍を刻み込んだ短刀。
「……昔、知り合いの戦闘者のギルドの女が持っていたが」
 そして今は、その女の血をわけた娘の手の中にある。ゆすったはずの口の中に、苦いものがこみ上げてきた。
「これってね、求婚の証にギルドの男が女に渡すっていう習慣があるの」
 戦闘者のギルドに生を受けた人間は一定の年齢に達すると、皆、それぞれに武具を持つ。武具の種類や数に規定はないが、ただ1つ、男が成人に達した時に手にする短刀にだけ、己が手で必ず、自らの銘と銀の龍の文様を描くのが習慣だった。
 故にその短刀を受け取った女は、それを何よりも大切にする。例え任務で遠く離れても、違う男と肌を合わせても、この刀によって結ばれた縁(えにし)だけが、彼女達にとっての真実だから。
「――あの中にいたの」
「……」
「5年前、王宮で死んだ戦闘者のギルドの手練の中に、わたしにこれを渡した人もいたのよ」
 ひらひらひら。瞼の裏で、血の色をした蝶が舞う。
 あの時、自分はどんな顔をしていただろう。見えるはずはないのに、虚ろな目をして屍の中を立つ少年の幻が見える気がする。
 人の心をわかっていなかった。だから踏みにじっても平気だった。自分の気持ちも他人の気持ちも、土足で踏みにじって生きてきた。
 血を流せば痛い。傷を負えば苦しい。あの日、薄暗い森の中で、ルーカスは死にたくないと願った。それが間違っていたとは思わない。だが正しかったかどうかは、わからなくなってきた。
「……俺は、酷いことをしたんだな」
 ルーカスの言葉に、女の顔が痛ましげに歪んだ。
 ふと、1人の男に思いを馳せる。クラネットとルーカス、年齢も身分も違えども、彼らはただ1つ、組織を――人々束ね、その上に立つものであるという立場だけが共通している。
「1つ、気になっていたことがある」
「何?」
「王宮での最初の一件……、あれは、サイファと何か関係があったのか?」
 戦闘者のギルドが狙っているのはあくまでも報復であったはずだ。シリウス3世と宰相ルーカスに恨みを持つ戦闘者のギルドが、何故一大臣を殺害せねばならなかったのか。いくら考えてもその理由が思い当たらなかったのだ。
「さあ、どうかしら」
「……」
「本当よ。反逆者の汚名を着て以来、劇的に依頼は減ったの。収入の道を断たれて、里を降りた人もいる。そんな時、突然クラネットは里に大金を持ってきて――これを元手に王宮に潜入すると言ったわ」
「……いずれにしろ、もう確かめようはないわけか」
 帝国との同盟に反対する大物が殺害されたことで、かえって同盟そのものは結びづらくなったことは否めない。もっとも当時は一刻を争う状態ではなかっただけに、詳しく調査する方に手を回せなかったのだが。
 もはや真偽の程の確かめようはあるまい。クラネットはシリウス3世の命を狙った。己の手で復讐を成し遂げるため、仲間を率いて王宮に侵入した。結果、ギルドは壊滅に近い打撃を受けた。
 俺にはできないな、と思う。ルーカスが戦闘者のギルドを統べるなら、王宮から反逆者の汚名を着せられたところで国内を出るか、完全に地下に潜っていただろう。例え名誉を傷つけられようが、大切な人間を失おうが、今ある組織を守るほうが先決だ。ルーカスなら、そういう割り切り方をする。
「<戦乙女>を失って以来、壊れかけていたのかもしれないわね。ギルドも……あの男も」
「しかしお前は俺が……黒宰相が目の前に転がっていて、どうして何もしようとしない」
 女に殺されかけるのは、今回の件が2度目である。1度目はともかく、2度目についてはまさしく晴天の霹靂――想像さえもしていなかった。ここまでくると、認めたくはないがグレイの言うとおり、自分が余程鈍いか――もしくは自分という男は女の目から見て、殺してやりたくなるような何かでも発しているのかと、疑いたくなってくる。
 それについては、今、目の前にいる女も同様だ。今、ルーカスの手の届く範囲に、剣はない。もっとも、例え剣を手にしたところで、戦闘者のギルドの戦士に敵うとは思えない。そもそも、今の体調では剣を振りかざすことさえ難しいだろうが。
 天幕の外から、軽やかな歌声が聞こえてきた。恐らく、リディスという名の若い踊り子のものだ。旅芸人の一座は、基本的に夜に舞台を張る。日中は夜の疲れを癒すために休息と取るか、芸事の鍛錬にあてるものらしいと、ここに来てはじめて知った。
 微笑んでその方角を見やったオウカの目が、真っ直ぐにルーカスを射た。
「さあ、どうしてだと思う?」
 答えられるわけもない。そもそも聞いているのはこちらの方だ。返答の見つからない若者を前に、笑って見せる。
「最初にあなたを見つけた時には、正直、殺してやろうかと思ったのだけど。今は、わたしにもよくわからないの。もしかすると人って、憎み続けることにも飽きてしまう、そういう生き物なのかもしれないわね」






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