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暁の彼方〜第九章 邂逅〜





 風を切る音がする。
 どこまでも続く真っ暗な夜の中にもたれながら、自分が一羽の、羽を広げた鳥になった気がしていた。
 背負うものは、己自身。何かに縛られることも、誰かに飼い馴らされることもなく。押して引き、引いてはまた押し寄せてくる夜の波に揉まれながら、大空高く飛翔する。
 あるいはそれは地の果てにあるという、この目で見たことのない、海、というものの姿であったのかもしれない。
 やがて、夜がその色を薄くする。星々が瞬きながら天空の彼方へ落ち消え、燃えるまでに赤い、暁の陽射しが顔を出す。
 ――ああ、夜が明ける。
 そう思った瞬間、目が覚めた。



「あ、目を開けた!」
 意識を取り戻したルーカスを出迎えたのは、夏の水に映える陽射しを思い出す、澄んだ高い声だった。
「どこか痛いところ……がないわけないわよね。気持ち悪いとか、吐き気がするとかない?お医者様がもしそうだったら、すぐに呼ぶようにって」
 ――違う。
 胸の内で呟いて、何が違うのだと自問する。何が違う。誰と違う。お前は今、誰の声と引き比べてこれは違うと落胆した?
「これ以上目が覚めなかったら、墓所の準備しようかと思ったのよ。最近じゃ、先に墓所を決めないと埋葬の許可が下りないっていうし。目が覚めてよかった」
 まだ息があるうちに、墓の算段をされてはかなわない。口を開いてそう言おうと思ったのに、実際に出てきたのは引き攣れたうめき声だけだった。
「はい、お水」
 未だに視界がきかず、目の前にあるものの輪郭がうまくつかめない。だが口許に押し当てられた器はからあふれ出してきた液体は、貪るようにして飲み干した。喉奥に流れ落ちてくる感触が、この上なく――甘い。
「あれから……何日たった」
 自分の身に何が起きたかについては、目が覚めた時点ですっかり把握が出来ていた。刺された上に森で迷い、挙句に崖を滑り落ちたのだ。今こうして、生きて会話ができている時点で奇跡のようなものだろう。
 うーんとね、と。ルーカスの言葉に、目の前の少女は幼い仕草で眉を寄せた。少しずつであるが現実を取り戻しはじめたルーカスは、ここへきてようやく、当たり前の疑問に行き当たって瞑目(めいもく)した。
 ――この娘は誰だ。それ以前に、ここはどこだろう。
 目の前の壁、そして見上げた天井までもが風に揺らめき、自分が、布が張り巡らされた内側にいることは把握ができた。恐らく、天幕のようなものの中だろうが――
「わたしがあなたを見つけてからって言うなら、4日目。でも多分その前に半日たってるから、5日、かな?」
 ――5日……。
 置かれた状況がわかってくるに連れ、自分が無駄にしてしまった時間の長さを思う。グレイとクラウスはもう、サイファ公国へ返答を返してしまっただろうか。その内容は。そしてそれを見た相手が取る行動は。
「――リディス」
 不意に天幕の入り口付近で布が揺れ、若い男が顔を出した。手に大きな、陶器でできた壺のようなものを抱えている。上半身だけ内側へ入れた状態で、身を起こしているルーカスに気がつき、一抱えはある壺を床に置く。
「ああ、意識が戻ったんだな。気分はどうだ?」
「……最良とはいかないようだな」
 一般的に、西の民は色素が強く、東には色素の薄い、白い肌や蒼に近い瞳を持つ人間が多い。ルーカス自身は混血であり、髪や瞳の色は黒いが、肌は生粋の西の民に比べてかなり白い。しかし今、目の前にいる男の肌は浅黒かった。なめした木の皮のような色合いだ。
「あんたも、西の民か?」
 明らかに同じ血を持つと知れる、2人の若者が向き合う。先に口を開いたのは、男の方だった。
「――いや」
 王宮内では例外ともいえるこの風貌も、市井ではさして珍しいものではない。そうとわかっていても、答えるには、断崖から足を踏み出すような勇気が必要だった。
「俺はこの国の出だ。混血だよ」
 この人間達が<黒宰相>に恨みを持つ者でないという保証はない。ルーカスは一瞬身構えたが、男はそれ以上何も言わなかった。
 のろのろと手を伸ばし、自分の身体を検分してみても、どこが痛むかわからなかった。どこ、と判断することが難しいほど、全身がずきずきと痛み、わずかな身じろぎでさえ、眩暈を感じるほど辛いのだ。
 汗で濡れた髪をかき上げ、震える息を吐き出す。その瞬間、足元近くに置かれた壺の中から、何か長いものが顔を出すのを目の当たりにし、ルーカスは目を見開いた。
 ぎょっとして身を引いて、あまりの痛みに気を失いかける。手妻か何かのように、壺の口から伸びてきたもの。鱗に覆われた全身と、ぎろりと動く爬虫類の目。しゅるしゅると音を立てて出入りする深紅の舌の赤さは、見慣れぬ者には強烈過ぎる刺激である。
「あんた、両親のどちらかが西の人間なんだろう?西の人間はこんなの、見慣れてるもんだけどな」
「ダワ、ダワ。クランを引っ込めなさいな。怪我人が固まってるわよ。リディスも、怪我をしている人に、あまり無理はさせちゃだめよ」
 かすかな笑い声とともに、布がさらに高く押し広げられる。男の背後から顔を出してきた女の姿を見て、先ほどとは違う驚きにルーカスは息を呑んだ。
 ――似ている。
 年の頃なら、23、4か。さほど若いわけではないが、それを補って余りあるくらい色香のある女だった。顔かたちは、彼が似ている、と思った娘にさほど良く似ているわけではない。それでも一目で鍛え上げたとわかる全身のしなやかさや、何気ない仕草が、王宮の広間で舞っていた時のテラの姿と一瞬、驚くほど重なって見えた。
「ああ、オウカ」
 リディスと呼ばれた少女がほっとしたように息を吐く。オウカ、と呼ばれた女が碗に入った何かを手渡してきた。思わず受け取って匂いを嗅ぐと、つん、と鼻に響く。
「お医者様が目を覚ましたら、これを飲みなさいって。詳しい話はまた目が覚めたらね」
 とりあえず今は、この痛みと混乱を収める方が先かもしれない。差し出された薬湯を口に含んで、ルーカスはいったん、眠りつくことを選択した。


 
 その夜のことだった。
 いくつかある天幕のうち、その1つは特に小さかった。寝台と呼べるほどの設備もなく、布を積み重ねただけの粗末な褥に辛うじて怪我人を寝かさてあるだけだ。怪我人の身に異変あった時の為に入り口付近に馬を繋ぎ、中の気配に気を配ってある。人間よりも獣のの方が、血の匂いに敏感だから。
 足音を忍ばせて天幕へ向かっていた人影に向かい、馬が垂れていた首(こうべ)をあげた。鼻を鳴らして一瞥し、鼻先を擦り付ける。ふさふさとしたたてがみに手をやった女は、悪戯じみたしぐさで、しっと、人差し指を唇につける。
 天幕の中は薄暗かった。
 張り巡らされた布は生成りの色、外の月の色を透過する。自らの気配をさらに殺し、その中央にあつらえられた寝台に近づいて、――女は目を見張った。
「――何をやってるの?!」
 女――オウカの言葉に、靴紐を結び、今まさに上着に袖を通さんとしていたルーカスは、苦労して笑みを浮かべて見せた。
「世話になったな。礼もできないのは心苦しいが……帰る」
 言っている端から汗が垂れ、足元の布地にぽたぽたと染入る。既に夏よりも冬に近い晩秋の夜、暑いはずもない。ほとんど、脂に近いといえる汗。
「何を馬鹿なことを言ってるの。あなた、自分が今、どんな状態かわかっていないんじゃ――」
 制止の言葉を、振り切るようにして立ち上がる。こんなところで、安穏と休んでいる暇はないのだ。ここにいては、守れない。国も王も民も人も――何もかも。
「いい加減になさい、熱でもあるんじゃないの。とても自分の足で歩けるような状態じゃないのよ」
「離してくれ、俺は戻らないと」
 気だけが急(せ)いて、けれど身体は思ったようには動かない。情けないことに、女の細腕一本に押されただけで呆気なく、視界が反転した。そのまま寝台の上に倒れこみ、全身を襲う激痛に思わず呻く。一旦力が抜けてしまうと、起き上がることさえ難しいのだ。
「戻れるものならやってみなさい。自分の力だけじゃ、一歩だって歩けないくせに」
「――うるさいっ!」
 聞き分けのない子供を宥めて寝かしつけるような口調に、何故だかむしょうに腹がたった。苛立ち紛れに振り払った指先が衣をかく。純粋に意外だったのだろう。目を見開いた女が、のけぞるようにして、それをよけた。
 その瞬間、かつりと鈍い音をたて、何かが床へと転がり落ちた。
 ――え……?
 華奢で優美、柄に銀の龍を刻んだそのものは、武具というより装飾品に近い。組織の女がこれを持ち出すのは死を覚悟した時だけなのだと、かつてルーカスにそう言って、笑いかけた女がいた。
「これは……」
 銀の龍の短刀。それは戦闘者のギルドの戦士たる証だ。ルーカスは痛みを忘れ、目の前の相手をまじまじと凝視した。
「お前、戦闘者のギルドなのか?」
「……言っておくけど、勝手に飛び込んできたのはあなたの方よ。わたしはただ、ここであの娘を守るように言われただけだったのに」
 何か問いかけるよりなお早く、口許に、強い匂いのする木椀を押し当てられた。刺激臭に顔をゆがめていると、どこか自嘲めいた笑い声が頭上に響く。
「別におかしなものは入っていないわ。それは本物の薬湯。もう少し眠りなさい。あなたの身体は休息が必要なの、わかる?」
「俺は……」
 痛みの影響か、はたまた本当に熱でもでてきたのか、意識が揺らぎ、視界が霞む。胃の奥がむかむかして、口の中に酸っぱいものがこみあげてくる。少しでも油断すると吐いてしまいそうだ。
 もしかしたら、夢を見ているのかもしれない、と思う。自分が今、王宮ではないところにいることも。あの母娘以外の、戦闘者のギルドの女に出会ったことも。いやそのもっと前、王家の森であの娘に出会い、戦闘者のギルドと手を結ぶことができるかと考えたことからして、すべては夢に過ぎなかったのかも。
「他の人たちはギルドと係りないわ。わたしはね、クラネットに言われたのよ。素性は明かさず、そうとは知らせず、ここでテラを守れってね――」
 喉奥から流れ落ちてくる液体の感触が熱い。耳元で女が何か囁いてきたのはわかったが、その意味を咀嚼(そしゃく)する間もなく、ルーカスは痛みと悪寒から、意識を失っていた。






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