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暁の彼方〜第八章 求めたものは〜





 ――生きていて。
 その日の夜、眠れぬまま館の露台(ろだい)に立って空を見て、テラは心の底からそう願った。この思いが届くのであれば、神にも精霊にも、冥府(めいふ)の役人にだって願おう。誰に対して後ろめたく思うことも、言い訳をこさえる必要もない。自分の気持ちに嘘をつくことも、見えないふりをして誤魔化すことももうやめる。――それが、掛け値なしに切実な祈りの言葉であるのなら。
 彼が悪い人間ではない、と言い切ることができるほどには、テラはルーカスのことを深くは知らない。彼女に言えるのは、時折見せる優しさも、行く手を阻むものは容赦なく排除する冷徹さも、強さも脆さもひっくるめて、すべてがルーカスという男であるということだけだ。
 きつく拳を握り締め、仰ぐように天を見る。流れ落ちる星の瞬きは、テラが以前、ギルドの里で母の帰りを待っていた時と、同じ色合いをしていた。
 ――殺して、あげるから。
 それが本当に彼の望みだというのなら、今度こそ、刃を振るう手を躊躇ったりはしない。むしろあの若者が、他の誰かの手にかかったかもしれないという想像の方に、吐き気を催すような嫌悪感があった。あたかも、これまで自分のものだと信じて疑ってもいなかったはずの男が、他の女に抱かれている光景を見たかのような。
 その口で言ったはずだ。お前なら、俺を殺してくれると思っていたと。他の誰かではなく、自分が手にかけて殺した女の娘を目の前にして。
 ――だから。
「いなく……ならないでよ」
 呟きはたった一言、しかしどこか祈りにも似た響きを帯びていた。



 戦闘者のギルドを使えないか。あてがわれた館の一室を訪れたグレイにその言葉を口にした時、彼はルーカスとまったく同じ態度を取った。これでもか、と言わんばかりに目を見開き、テラの目をまじまじと見つめたのだ。
「本気……か?」
「あくまでも交換条件よ。ギルドが手を貸す代わりに、もう、あたしたちを追わないで。滅ぼしてしまおうとしないで。現実に一度手を結んだことがあるのだもの、それほどおかしな話ではないでしょう?戦闘者のギルドが手を貸せば、貴方達は今のこの、窮地を脱することができる。あたし達も――生き残ることができる」
 戦闘者のギルドが、そもそもどういった過程でできた組織であるのかを、テラは詳しくは知らなかった。ギルドでは次代の戦士に、組織の成り立ちまでは教育しない。しかし戦闘者のギルドの本拠地たる南部は土地が貧しく、そこで暮らす一般の民の生活も他の地域より苦しいことくらいは知っていた。昔は、生活に困った農民が子供をギルドに売りに来る、といったこともあったらしい。
 もっともここ数年、シリウス3世即位とそれに伴う様々な改革の実施により、南部の経済と治安は徐々に回復の傾向を見せていた。一般の民にとっては喜ばしいこの傾向と共に、依頼が減っていることを嘆く大人たちの声が、ギルドの里の中で聞こえるようにもなっていたのだ。
 今一度、王国に手を貸せば、戦闘者のギルドという形は消えるかもしれない。だけどそれでも、皆が死に絶えるよりは良いはずだ。
「あの、さ」
「はい?」
「ずっと聞きたいと思ってたんだけど」
「はあ?」
「あんたとルーカスって……できてんのか?」
「で、ででで……?!」
 自分でもわかるほど真っ赤になったテラを見て、グレイはまともにふきだした。笑いながら、頭をかきむしり、身体を折り曲げてなお笑う。
「もしもそうだったら、あんたをこの件に係わらせたら、俺があいつに殴られるんじゃないかと思ったんだけど。――いや、まあ、それはいいか。俺は結構、いい案なんじゃないかと思うぞ。それ」
「……」
「だけどあんた、戦闘者のギルドを動かす自信、あるのか?」
 自信はなかったが、考えていることはあった。<戦乙女>の娘であるという以外の、テラのもう1つの切り札。これまでそれを切る勇気がなかったのは、それをした時に巻き起こるであろう様々な出来事を、負って立つ覚悟がなかったからだ。
「もっとも、こっちにはこっちの事情もある。ルーカスが見つかるか、ルーカス以後の体制ができあがるかしない限り、身動きは取れないな」
 何気なく告げられた青年の言葉の意味を掴み取れず、テラは目をしばたたく。
「ルーカス……以後?」
「国ってものは、生きてるんだよ。そこにいる人間を耐えず呑み込みながら、な。いない人間は、その営みには参加できないんだ。幸い、宰相ってのは王と違って取替えがきく。これ以上黒宰相の……ルーカスの行方が知れないままなら、ルーカス以後の国のことを考える時が来てるんじゃないかと」
 そこで、いったん、言葉を切る。
「――国王の近臣たる、近衛隊長は考える」
 真っ直ぐに見返してきた灰色の視線を受け止めきれず、テラは思わず目を伏せた。この2人の若者は、見た目も性格も恐ろしく違うくせに、覚悟の決め方だけが悲しいくらいに良く似ている。
「あの……」
「ん?」
「……ルーカスの友達としての意見を、聞いては駄目?」
 言いながら、自分でも、泣き出しそうな顔をしていることがわかった。そんなテラの様子を見て、青年は深く慈しむような微笑を浮かべる。
「人にあれだけの書類押し付けて消えやがって、草の根掻き分けてでも探し出して、一発ぶん殴ってやらないと気が済まない」
 何気ない口調が、想像以上に胸に染(し)みた。よかった、と思う。テラの為でもグレイの為でもなく、今はこの場にいない、たった1人の男の為に。
 ――こんなにも、思ってくれている人がいる。
「正直、情けないよな」
 どさり、と音をたててグレイの身体が椅子の上に沈みこむ。窓の外を見つめる横顔には、疲労の色が濃い。
「……」
「これまで俺達は、ルーカス以後なんて、考えてみることさえなかったんだ。こうなってみてはじめて、自分たちがどれだけあの馬鹿に頼りっきりだったか、思い知らされるなんて、な……」


 ――兵を通すか、さもなくば宣戦(せんせん)か。
 サイファ公国より、最後通牒(さいごつうちょう)が届いたのは、それから3日後のことだった。
 一般的に、期限を定めない最後通牒は即時の、期限を定めた最後通牒はその期限後の宣戦布告を意味する。サイファ公国よりグリジア王国にもたらされた最後通牒は後者、期限は20日後と明記されていた。
 国王シリウス3世は未だ王宮奥深くにあり、宰相ルーカス・グリジアの行方が知れないグリジア王国に残された期間は、わずかに20日間。星見の官の奏上により、近衛隊長グレイと司法長官クラウスは、それが東部の山岳地帯が初雪を見るまでの、ぎりぎりの期限であることを知る。
 黒宰相捜索と同時に、宰相ルーカス以後の体制作りに着手し始めたグレイは、グリジア王国の法制上、それがかなりの難事業であることを知る。宰相を任命する権限は王にしかなく、宰相を罷免する権も国王にしかない。所在のわからない宰相ルーカスの死亡が確認されるか、シリウス3世その人が宰相を解任して新たな宰相を選びなおさない限り、王国はルーカス・グリジア以外の宰相を頂くことができないのだ。
 連日にように国王の居室を訪れる近衛騎士隊長を、近衛隊の騎士が捜し求める光景が、宮殿内の至るところで見られるようになる。激昂のあまり剣を抜きそうになる隊長を、騎士達が引きずって王の居室から引き離したことも、一度や二度の話ではない。
 そして――。
 それでも事態は変わらず、グレイとクラウスがようやく、返答の文書の作成に取り掛かった時には、すでに期限の半分近くを過ぎようとしていた。






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