×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


暁の彼方〜第八章 求めたものは〜





 近衛隊長グレイと近衛隊の兵士達による必死の捜索も実らず、宰相ルーカス・グリジアの行方は、杳(よう)として知れなかった。
 しかし、公式の儀式は勿論、非公式の会議のすべてを欠席しながらも、宰相失踪の一報はごく一部の近臣を除いては伝わらなかった。無論、グレイと法務長官クラウスの必死の尽力による。
 宰相ルーカスは王権の代行役としてこれまで、王宮内のすべての権を一手に握ってきた。その権を狙う輩は多い。国家としての非常時に、そんな連中をのさばらせるわけには行かないのだ。
「――近衛隊長殿は、昨日、王家の森で何を探しておられましたのかな?」
 声をかけられたのは、宰相失踪からちょうど2日目の午後、決済を仰ぐ書類を抱え、黒宰相の執務室の扉に手をかけた時だった。
「しかも王家の森には、近衛隊の兵士の姿が多数あったとか。恐れ多くも陛下の兵を勝手に動かしてまで、貴公が探し求めているものは一体――」
 ――下衆(げす)の輩が。
 卑しい顔に唾を吐きかけてやりたい衝動を、かろうじて飲み込みこむ。自分の部下を動員した段階で、いつかばれるだろうとは思っていたが、これは思っていたよりも情報の伝達の速度が早い。
 こんな時、あいつならどうするだろう。軽く舌を打ち、グレイは口の端を持ち上げる。
「――鳥だ」
「鳥?」
「昔、陛下から下賜された小鳥を、うっかり逃がしちまったんだよ。ちょっと目を離した隙に、籠から出たんだな。で、みんなでそれを探していたんだ」
 グレイの混ぜっ返しに、男は呆気に取られたような顔をした。かなり高い身分にある文官の誰かなのは確かだが、生憎、彼の身分も役どころもグレイにはまったくわからない。
 これがルーカスならば、相手の地位と家柄は勿論、家族の構成やら何やらを、書いたものを読み上げるようにあてることができるだろう。借財のあるなしやら、どこぞに庶子がいるとかそんなことまで把握していて、それを武器に、相手を黙らせることだってできるに違いない。
 ……あれ、絶対楽しんでやってるし。無表情に、それでいて瞳に喜色を浮かべながら、他人を追い詰めていく友人の悪癖を思い出し、グレイは密かに苦笑する。
 もっともグレイは自分が、さして気の長い男ではないことを知っている。ルーカスのように、口で誰かを言い負かすことができるとも思えない。だからそれ以上余計な言葉をつむがれる前に、すばやく執務室の内側へと身を滑らせた。



「悪いなぁ、おっさん、あんたにだって自分の仕事があるのに」
 執務室に滑り込んできたグレイの姿に、中年――中年と壮年の合間くらいの年齢の男が顔を上げる。傍目にも広々とした、宰相用の机には座っていなかった。その小脇にある、普段ルーカスが仮眠用に使っている長椅子に腰を下ろして、分厚い書類に目を通している。このおっさん、もといクラウスはなかなか律儀なところがあるらしく、いくら勧めても宰相の椅子には座ろうとしなかった。
「宰相閣下のもとに、一日、どれだけの書類が上がってくるものか……想像はしていたのですが、これはなかなかの量ですね」
 かつて、この男と黒宰相との間にあった、遺恨の中身をグレイは知っていた。クラウスはルーカスに挑みかかった。結果としてその挑戦は失敗に終わったが、ルーカスは自分に挑みかかって見せた男の中に、並ならぬ才覚とやらを見出したらしい。見出された男の方は黒宰相の器に感じ入り、自分の半分近い年齢の男の部下として忠実に仕えるようになった――簡潔にまとめるとまあそういうところなのだろうが、実のところ、グレイは未だに、クラウスを完全に信じきってはいなかった。ルーカスがどうしてそうもあっさりと、この男を留守役に指名できたのか、長年の友人の思考回路が理解できない。
「例年通りで決済できそうなものは、そのように手配しましたが、それ以上のことは私には判断できない。残りは宰相閣下が御戻りになられたら、ということになるでしょうね」
 何よりも最も重要なのは、喉元に刃を突きつけてきたサイファ公国の存在だ。西の月英との関わりもある。ただ書類に判を押すだけなら子供にだってできる。それ以上のことは、グレイにもクラウスにも立ち入りできないし、する気もない。――少なくとも、今はまだ。
「まったく、大した人だ……あのお方は」
 クラウスの呟きに、グレイは首を左右に振る。
「普通の奴だぜ」
「はい?」
「ルーカスだよ。普通の奴だ……どこといって、変わったところなんて何もない。何て言うかさ。王とか宰相ってさ、騎士とか大工とか商人てのと同じで、職業の名前だろう?何年かたって、俺達も死んで、シリウスも死んで、その頃の宰相はきっと<白宰相>なんて呼ばれてたりする。――それだけのことだと思うんだけどなぁ」
 正直にいうなら、グレイにはルーカスやシリウス3世が何をもってそれほど苦しんでいるのか、実感としてよくわからないのだ。
 子供の頃はよく一緒に厨房に忍び込んで、食べ物を盗んで抜け出した。恐ろしい女官長に捕まって、2人一緒に掃除用具庫に閉じ込められたこともある。今だって、たまには連れ立って花街に遊びに行ったり、酒を酌み交わしたりしているのだ。これが酒か、と思わず突っ込みたくなるほど水で薄めた酒で容易に酔いつぶれ、眠り込んだあげくに目覚めない友人に辟易して、官邸の中に放り込んで鍵をかけてきたことも一度や二度の話ではない。
 グレイの思いを読み取ったかのように、クラウスは微笑った。若い娘の微笑ならともかくも、こんなおっさんに笑いかけられて何が嬉しい。そんなことさえ思いつかないくらい、実に様々なものを含んだ微笑だった。
「私は、あなたのことも、大した方だと思ってますよ」
「まあ、とにかく、この『例年通り』で片付けられる仕事の山を終わらせようぜ。これであいつがのこのこ帰ってきたなら、俺が一発ぶん殴っとくからさ」
 手にした書類を捲りあげて、書かれてある内容を確かめる。それはこれから冬を迎えるにあっての、食料の備蓄量についての報告だった。各地の米や麦の埋蔵量だけ確認し、グレイは窓の外に目を向ける。思い起こすは、ほんの数日前、彼とともにあった1人の娘の姿。
 ――だけど、今はあたしも貴方も、同じものを求めているとわかるから。
 実を言うと、心底疑っていたわけではなかった。しかしグレイの意図がわかった途端、テラは真っ直ぐに彼の目を見返してきた。それでいて、森中で血痕を見つけた時にはグレイに負けないくらい蒼白になって震えていた。
 気が強くて情が深い、いい女だ。こんな時でさえなければ、口説いてみたくなるほどに。
 あんなにいい女に想われていて、どうしてああも簡単に自分を投げ出してしまえるのか。幼馴染の思考が、やはりグレイには理解ができない。
 空は綺麗に晴れ渡っていたが、吹く風は北東の季節風に変わりつつあった。北東から凍てつくような風が吹き始めると間もなく、グリジアには初雪が降る。
 ルーカスが初雪を待っていたことは知っている。雪が根雪となり山に残れば、サイファ公国軍は進軍できない。だけどその後、あの男がそんな手段を取る気でいたのか、グレイはそれを聞いてはいないのだ。
 声には出さず、この場にいない友に語りかける。
 ルーカス、お前――
 ――今、何処にいる?



 晴れ渡った空に一点、黒いものが姿を見せた。わずかばかりの雲を切り裂き、みるみるうちにその影を深くする。館の露台でそれを待ち受けて、テラはくるる……と嘴を鳴らす、大鷲の羽を撫で上げた。
「無理をさせてごめんなさいね。ありがとう。気をつけて帰って」
 宰相ルーカスの失踪を知ってから数日、テラは大鷲の羽を使い、戦闘者のギルドの生き残り達に、情報の伝達を求めてきた。返された応えはいつも同じ、ギルドの中で、宰相を討ち果たしたものはいない。宰相を虜囚(りょしゅう)に王国に要求を突きつけようという者もいない。何度目かのやりとりで確信した。戦闘者のギルドは、宰相ルーカスを討ち果たしていない。ルーカスの失踪に、ギルドは係わってはいない。
 森に残されていた血の痕は1人分、獣のものでも木の液の間違いでもなく、紛れもない人間の血液であったらしい。傷を負った位置にもよるが、すぐに絶命するほどの量ではない。事実、ほんのわずかの距離ではあったが、自らの足で立って移動したような跡もある。問題はその後だ。適切な治療も受けずに放置され、自然に回復するような傷ではありえない。傷を負って森中――もしくは崖下に取り残されているのなら、事は一刻を争う。昨夜、遅くになってこの館にやってきたグレイが、そう教えてくれた。
「――テラ様!こんなところにいらっしゃったのですか?!」
 不意に背後から降り掛かってきた声に、テラは物思いから引き戻された。
「エリザさん」
「冷たい風はお体の毒です。さあ、早くお部屋に戻って。またお熱が出たらどうするんですか」
 グレイに連れられ森に向かった後、傷が疼いたらしく、微熱を出して少々寝込んだ。心配そうに自分を見つめる老女に向かい、テラは皮肉げに笑いかける。
「エリザさんも、あたしがルーカスをどうにかしたと思いますか?」
 問うた声は、少しだけ震えていた。
「仕方ないですよね。あの人が母さんを死なせたことは、もう取り返しがつかないのだし。今だって、心のどこかでは、このまま死んでいてくれれば、母さんの無念を晴らせると思っているんだから」
 嘘だった。
 許せるか、と問われれば、否(いな)としか答えられない。だけど憎めるか、と聞かれても、多分、同じ答しか返すことができない。
 ……しかしならば、母の思いは?
 殺されても、仇さえ討ってもらえない。それどころか血のわけた実の娘は、彼(か)の人の無事を願い、彼に生きて笑っていて欲しいとさえ願う。それでは母が、あまりに哀れではないか。
「怒らないで聞いてほしいのだけど」
「え?」
「もしも、お母様が生きていらして。今、ここにいらっしゃったなら、ルーカス様を許して差し上げることができて?」
 もしもカウラが生きていて。今この場所に姿を現したなら。
「そ、そんなことくらいで、あたしのこの5年間は――!」
 ――恨みは晴れない。思いは報われない。
 喉まで出かかった言の葉を、辛うじて飲み込む。何かが違う。何かが間違っている。母の無念を晴らしたかったはずなのに、何時の間にか目的が入れ替わっている。
「……そうよね。そんなことじゃあ、恨みは晴れないわよね。辛くて苦しかった思いは、お母様のものではなくて、あなたのものだものね」
「あたしの――もの」
 テラの呟きに、エリザは頷く。
「自分が本当に求めるものが何なのかを、考えなさい。誰かの為に心を偽ることは、他人にとっても自分にとっても、とても失礼なことなのだと思いますよ」
 老女の言葉は、凍てつく晩秋の空へと消えていった。






扉へ/とっぷ/次へ