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暁の彼方〜第八章 求めたものは〜




 グリジア王国近衛騎士隊長、グレイ・クレスタが駆け込んできた時、その館の住人達は、朝食の席にいた。
「――グレイ?!何の騒ぎですか、一体?!」
 訪(おとな)いも告げず、食堂の中にまでずかずかと上がりこんできた異母弟の姿に、館の女主人であるテリーゼが声を張り上げる。グレイはその言葉に耳を貸さなかった。食卓に揃った人々の顔を見渡して、一番端にいた娘の肩を荒々しく掴み取る。テラの傍らで、エリザが悲鳴をはり上げた。
「グ、グレイ様!おやめ下さい、テラ様はまだ怪我が治っては――」
「……ルーカスは?」
 肩を掴まれ、強引に部屋の中央に引きずり出されたテラは、青年の言葉に、目を見張って彼を見た。
「え?」
「あいつ、あんたと一緒にいたんじゃなかったのか?」
「昨日、王家の森で別れてからは会っていない……ですけど」
 王家の森の小屋の中で、少し時間をくれ、とルーカスは言った。戦闘者のギルドが助力すると言ったところで、王宮にはその言葉を信じない人間の方が多いに決まっている。自分の力で、出来得る限りのことはやってみる。だから、それまであの館で待っていてくれ、と。
 自分の勝手で飛び出してきた館に、容易に戻ることが出来るとは思っていなかった。しかし日が暮れる頃になって姿を現したテラを、テリーゼもエリザも、まったく隔てなく受け入れた。どうやらルーカスから、万が一テラが戻ってきた時には、受け入れてやって欲しいと言い含められていたらしい。とことん、やることにそつがない男だ。その時はしみじみとそう思ったものだった――のだが。
「昨日?昨日、会ったのは間違いないんだな?何か言ってなかったか?どこか行くとか、何かやることがあるとか」
「日が暮れる前には、王宮に戻ったはずです。あたしは小屋の前で、あの人と別れました。その後のことは――」
「……戻ってねぇんだ」
 青年の瞳の色が暗くなる。成人をとうに過ぎた男が、一晩戻らなかったことを案じる目の色ではない。不吉な予感に、背筋がすうっと寒くなる。
「官邸の方には遣いをやった。あっちに帰っていないことは間違いない。あいつが一晩くらい行方を眩ますのは、珍しいことではないからな。俺もさして気にはしていなかったんだが、朝議の席にまで姿を現さないなんて――」
 何かあったとしか、思えない。グレイの言葉に、思わず眩暈を感じて瞼を閉じる。昨日、この手で触れた暖かさ。息づかいと温もり。人が確かにそこに生きていることの証。それがあまりにも呆気なく失われて行くものであることを、テラは痛いくらいに良く知っている。
「俺と一緒に来てくれ」
「え……」
「俺も正直、王家の森を良く知っているというわけじゃないんだ。あの森を自由に出入り出来る人間なんて、ルーカスだけだからな。あいつに限って森で迷うことなんてありえないと思うが……今は1人でも、森を知る人間が欲しい」
 承諾の証に、テラは小さく頷いた。



 王家の森へ向かう道すがら、グレイは剣の柄から手を離さなかった。傷は塞がったとはいえ、テラはまだ、全速力で走ることができない。早足に毛が生えたような速度で走るテラを待ち、追いつくとまた再び走り出す。その間中、彼の意識が鋭く自分を捕らえていることを、テラは感じていた。
 ……ああ、そうか。
 あんな形で、館の中に踏み込んできたことといい。今こうして、テラ1人を連れ出したことといい。
 ――この人、あたしを疑っているんだ。
 テラが、ルーカスをどうにかしたのではないいかと。彼に害を為したのではないかと。
 疑われるのも、無理はない。テラはもともと、黒宰相を殺すために王宮に入ったのだから。宰相と王を殺して、死んだ母の無念を晴らすつもりでいた。それが出来ていれば、こんな風に心を痛ませずに済んでいたのだろうけど、そんなことよりも何よりも、今、この場にいない若者の身が案じられてならなかった。
 彼が自らに課せられたものを、疎ましいと思っていたことを知っていた。重くて苦しくてやりきれなくて、自分を殺しに来た女に縋りついた。殺して欲しかったのだと口にした、あの言葉に偽りがあったとは到底、思えない。
 だけどそれだけ多くのものを背負いながら、自分から姿を消すような、わかりやすい投げ出し方をする男ではないはずだ。負ったものの重みに負けて逃げ出すことができるくらいなら、あれほどまでに苦しまなくて済んだ。あの男が投げ捨てるなら、負ったものよりも自分自身。ルーカスならきっと、そういう破滅の仕方を選ぶ。
 一体、何があったのだ。それも、たった半日の短い間に。
「信じて貰えるかはわからないけど……あたしは、本当に昨日からルーカスには会ってないんです。本当に、あの人の行き先を知らない」
「俺達を、恨んでないのか?」
「え?」
「あんたの母親が――カウラが死んだその場に、ルーカスだけじゃなく、俺もいた。今ここにこうしていて、俺を殺してやりたいとは思わないのか」
 グレイの足が止まった。剣の柄にそえられていた掌に力がこもり、鋭い視線でテラを見る。テラも歩みを止めて、真正面からグレイを見返した。
「――思わない、とは言えないけれど」
「……」
「だけど、今はあたしも貴方も、同じものを求めているとわかるから」
 テラの言葉の意味を推し量るかのように、しばらく瞠目(どうもく)した後、グレイはテラへ背中を向けた。青年の背の向こうに黒々聳える木々の梢が見える。今、彼らが探し求める男が生まれ育った王家の森、その入り口に、テラとグレイは足を踏み入れていた。



「……王家の森には、一応、道がある。道を逸れずに向かえば、あの小屋にまで行き当たる。そこに向かう道は一本道だから、基本的には、迷うことなんか考えられない」
 枯れ草を掻き分けながら、青年は言う。ルーカスほどではないとはいえ、これまでにも何度となく森に足を踏み入れているのだろう。まったくと言っていいほど、危なげがない。
 一方のテラも、戦闘者のギルドという組織で生まれ育ち、山道の歩き方や方向感覚については、人並み以上の自信があった。夜目も利くので、薄暗い森中でも、道に迷うことはない。しかしそれでも森に入るたびにいつもわずかばかり、この森を恐ろしい、と感じていた。理屈ではない。本能に訴えかけてくるものがある。
「だけどそれでも、あの小屋までの話だ。他の場所で道を逸れて森中を迷ったら、まず間違いなく出られない。この森の中だと何故か、方向感覚があてにならなくなるんだ。磁石もきかない。王家がここに宮殿を構えて禁忌の森と定める前、この森の中で死んだ連中の死体が、今でも至るところに、ごろごろごろと転がってるらしいぞ」
 ――そんなところで育ったのか。あの男は。
 あらためて、その異質さを思う。こんなところに王子を押し込めて、王宮の人間は後々どうするつもりでいたのだろう。
「おまけに、草木の生い茂った中の見えづらいところに崖があったり、いきなり泉が沸いていてそれが結構深かったりして、知らない人間は足を取られやすい。そういうのを全部把握してるのなんて、ルーカスぐらいのもんだ。俺だってあいつと一緒にいない時は、小屋と道からあまり離れないようにしている」
 不意に言葉をやめ、グレイは後を振り返った。それまでぴったりと彼の後をついていたテラが、唐突に歩みを止めた所為だった。
「おい、どうした?……ああ、そうか。あんた、怪我人だったんだよな。悪い、忘れてた。早く歩きすぎたか?」
 グレイの言葉の、半分も耳に入っていなかった。たった今、わずかばかりの風に混ざって、鼻腔に届いた臭気。酷く生臭く、――どこか鉄の香にも似た。
 ――血の……匂い。
「おい、テラ!」
 駆け出したテラの背中を、グレイが追う。さほど走る必要はなかった。ほんの少し道を逸れただけで、それは見つかった。恐らくテラやルーカスが生まれる遥か以前からそこにあったのだろう、彼らが両腕を広げた幅よりさらに太い幹と、そこに残された――どす黒い色の染み。
「血痕……か。移動したらしいな」
 ゆっくりと背後を振り返ると、顔色を失くしたグレイが地面を凝視していた。かがみこんだ男の指先が、土の上に残された轍をなぞる。
 その腕が唐突に、斜め後ろの茂みを掻き分けた。下方へ向かい、枝が斜めに折れ曲がり、所々、下草が抉れたような箇所がある。剥き出しの地面には転々と、あきらかにそうとわかる血の色の染みが浮いていた。
「まさか、ここから下に……」
 ――おまけに、草木の生い茂った中の一見見えづらいところに崖があったり、いきなり泉が沸いていてそれが結構深かったりして、知らない人間は足を取られやすい。
 常日頃のルーカスならば、そんなものに足を取られたりはしない。彼は森を熟知している。だがもしも、この血がすべてルーカスの血で。これだけの量の出血をしていたのであれば。
「近衛隊を動かす」
「……」
「正直、あまり騒ぎ立てたくはなかったんだが、もうそんなこと、言っていられるか。――あの大ボケ野郎、森のことならどうでもいいことまで知り尽くしてるくせして、こんなわかりやすいところで、すっ転びやがって」
 間に合うだろうか。戦いに慣れた、テラの中の冷静な部分がそう告げる。もう一日たってしまった。あの血痕がすべてルーカスのものであるとしたなら。捜索したところで見つけられるものは――
 ふわり、と暖かなものが肩に触れた。グレイが着ていた上着を脱いで、テラの肩を覆ったのだ。そこでようやく、自分が小刻みに震え続けていたことに気がつく。掌を口許に寄せたのは、そうでもしていないと、わけもなく叫び出してしまいそうだったからだ。
「悪かったな。あんたもまだ本調子じゃないのに、こんなところにまで連れてきちまって」
「グレイさ……ん」
「グレイでいい。おっと、それ以上は言うなよ。最悪の想像ってのは、口にした途端に本当になっちまう。迷信に過ぎないって説もあるが、俺は結構、本気で信じているんだ」


 王たる人に見捨てられ、東西を敵対する大国に囲まれたグリジア王国は、この時、宰相までもを失おうとしていた。






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