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暁の彼方〜第七章 暗転〜




 気がついた時には、既に小屋の中に黄昏が落ちかけていた。
 30分や1時間という単位の時間ではない。一体、自分はどれだけ眠っていたのだろう。掴みかかるような勢いで身を起こし、目を丸くしてこちらを見つめる、碧の双眸(そうぼう)と視線がぶつかる。
 綺麗な目だな。不意にそんなことを思う。客観的に見て、テラは格段、姿形が美しい娘ではない。彼女の母親は名高い美女であったが、残念ながらテラはその器量を受け継がなかった。
 しかし、こんな風に見開かれた時の彼女の瞳は美しい。人の心を打つ何かを持っている。そんなことを考えて、考えた自分自身に、ルーカスは少しだけ笑った。
「――俺は、どれだけ寝ていたんだ?」
「2時間くらいはたったんじゃないかと思うんだけど……ごめんなさい。起こそうとはしたのよ。だけど、あんまりよく寝てるものだから――」
 実際に、かなり深い段階まで眠っていたのだろう。随分と久しぶりに身体が軽い。夢も見なかった。いやむしろ、酷く暖かくて、柔らかい夢を見ていたような気さえする。
「脚」
「え?」
「痛くないか?」
 ごくごく素朴な疑問だったのだが、問われた言葉の意味がわかった途端、テラはみるみるうちに赤くなった。今になってようやく、この数時間の2人の状態について、深く考えてみる気になったらしい。おかしな話だ。ここで赤くなるくらいなら、最初の段階で――彼がかなり無茶苦茶な借りの返し方を提案した段階で――赤くなっておけばいいものを。
「だ、大丈夫。ちょっと痺れてるけど、何ともない」
「そうか。おかげで久しぶりに良く眠れたよ。ありがとう。……俺に、何か話があったんだよな?」
 耳の辺りまでほのかに朱色に染めたまま、テラの表情が固くなるのを見て、ルーカスは笑むのを止めた。が、次いで彼女が口にした台詞を、予想することはできなかった。<黒宰相>をして想像さえできないほど、その言葉は意外だったのだ。
 驚きに、ルーカスは息を呑んだ。



 完全に葉を落とした梢の合間から、雲の垂れ込めた空が見える。日が落ちきる時間にはまだ早いはずなのに、先ほど感じた、黄昏の名残さえも見つからない。光射さぬ森中は、ほとんど夜と変わらないくらいに薄暗かった。
 とはいえ、彼にとっては歩きなれた庭に等しいこの場所だ。目を瞑っていたって、目的地にたどり着くことができる。何気ない足運びではあったが、頭の中は物すごい速度で回転していた。
 ――戦闘者のギルドを使えないか、と彼女は言った。
 頭領を失い、王と宰相を討ちもらし、戦闘者のギルドは現在、存続の危機に立たされている。今、ルーカスが軍に追討を命じれば、恐らく、ギルドそのものの壊滅も不可能ではないだろう。しかし戦闘者のギルドの持つ戦闘術ならば、窮地に立たされている今のグリジアを、救うこともできる。今一度、戦闘者のギルドと王国が手を結ぶ。そうして、ギルドの存続に目を瞑って欲しい、戦闘者のギルドを滅ぼそうとしないでくれ。テラはルーカスにそう訴えたのだった。
 ――できるのか……そんなことが?
 東の国境は山岳地帯、このまま冬を迎えても、サイファは雪解けと同時に進軍してくる。それを迎え撃つだけの軍備がグリジアにない以上、これはもう、要求を呑んでサイファ軍を受け入れるしか方策はない。
 いずれは火花を散らすことになる東西の雌雄、サイファ公国と月英。グリジア王国はそのちょうど中間点にある。避けては通れない路であるならば、いかに犠牲を少なくするか。そう考える時が来ていると思っていた。そのためには、シリウス3世を平和裏に退位させ、グリジア王位をミリウム2世に明け渡すのも1つの手かと、考え始めていた。
 だがもしも。もしも戦闘者のギルドがサイファ公国軍を足止めている間に、密かに進めていた月英との和議を急ぐことができるなら――
 しかし、そんなことが可能だろうか。戦闘者のギルドは5年前、組織を支えるあらかたの手練を失った。そして今回、統帥たる頭領を失った。弱体化しつつあるギルドという組織1つを、いかに<戦乙女>の娘とはいえ、テラ1人に動かすことが可能だろうか。
 それ以上に、あの娘の言葉を、どこまで信じることができるだろう。信じさせ、仲間の振りをして、騙し討とうと狙っていないと、誰に言える。他でもない、かつてルーカス自身が彼らに向けてそうしたように。
 ――国にとって、あたし達の存在が脅威になるのはわかってる。人殺しを生業にする者達が、当たり前のように国の中にあることが、他の人たちにとってどれだけ恐ろしいことかも、わかってるわ。
 でもね、あたし達も人間なの。家族もいれば、守りたい人もいる。その人たちが死んだら悲しいと思う。誰かの大切な人をたくさん奪ってきたあたし達がこんなことを言うなんて、お笑い種かもしれない。だけどあたしは、争いのない国が欲しい。もう誰にも、目の前で死んで欲しくない。
 ――誰も剣を取らなくても暮らして行ける、世の中が欲しい。
 1人の娘の必死の訴えは、その言葉が稚拙であればあるほどに、聞くものの胸に響いてくるものを持っていた。特に、大切な人間も、失って復讐を誓うほど守りたい相手も持たずに……持たないようにして、生きてきた男の心には。
「っ……」
 ざわりと風が鳴く。若者はその場に立ち止まり、両手を強く握り締めた。
 自分1人の命で、国へ恨みを持つもの達の憎しみが消えるというのなら――それがシリウス3世や王国そのものへは向かわないというのなら、こんな安い代価かがあるか。ずっとそう思ってきた。
 しかし――
 戦闘者のギルドと手を結び、彼らの力を借り隣国の軍を撤退させること。月英との和議を成り立たせること。それらすべてについて間違いなく反対するであろう王宮の官をねじ伏せ、承認を得ること。
「そんなこと……俺にしかできないだろうが」
 グレイに言えばまたからかわれるだろうとは思うのだが、本心を言うと、ルーカスは戦闘者のギルドを追討したくなかった。討ち果たしてしまいたくなかった。
 戦闘者のギルドがあるから、争いがなくならないのか。そこに争いがあるから、戦闘者のギルドが必要とされるのか。
 誰もが剣を持たなくてもいい、平和な国にさえなれば、戦闘者のギルドなど自然と消えて行く。そう言い切ったカウラの言葉は、一面の真実をついていたのではなかったか。
 問題は、こちらの側にそれを受け止めるだけの器量がない、というだけの話であって。
「……これは、重いな」
 負った責任が、胸に重い。
 常に最悪の事態を頭において行動することには慣れていた。王たる人に見捨てられ、隣を敵対する大国に挟まれ、安全を買うための軍備に使えるだけの国費も、後退するだけの領地もない。これ以上の最悪があるか。常に、そう思ってきた。
 だけど、今、彼女の言葉を信じてみたいと。もしかしたら、信じれば何もかもすべてが上手く行く。そんな日が来るのではないかと――
 ――唐突に視界が暗転したのは、その時だった。
「え……?」
「――渡さない」
 ほんのわずかの光源を弾いて、豊かな銀色の巻き毛が揺れていた。先端が弧を描いて、彼の肩に舞い降りる。その持ち主が誰であるのかを、ルーカスは非常によく知っているはずだった。しかし今、その人物と、目の前にいる人物の姿が重ならない。
 逃げることも、かわすこともできずに棒立ちとなった男の身体を、衝撃が襲う。
 身体ごとぶつかってきた相手と共によろめきながら、焼け付くように熱い、と感じる箇所に手を触れてみる。押さえつけた指の合間から、生ぬるいものが流れて落ちていく。
「嫌よ、絶対に、嫌。誰にも渡したりなんか、しない」
 衝撃を感じた脇腹の近くから、刃が音をたてて引き抜かれた。同時、足元へむけ、ぼたぼたと何かが激しく滴り落ちる。これは何だ?熱く、赤く――それは燃え滾る炎の色に似ていた――目を奪うまでに、鮮やかなもの。
 がくりと膝から力が抜け落ち、目の前にちらちらと白いものが散る。
「どうして、どうしてなのです。どうして、わたくしではないの……?」
 あの日、宮殿の一室で命を終えた6名の戦士達も、地下の牢で死ななければならなかった彼の母も、同じものを見たのだろうか。頭の片隅でちらりと、そんなことを思う。状況が飲み込めず、現実がなかなか、頭の中にまで滲み入ってこないのだ。
「どう……して……」
 王宮の奥深く、外界のありとあらゆるものから守り隔たれているはずの王の正妃が。
「どうして、あなたがこんなところに……」

 ――何もかも、すべて上手く行く日が来るのかもしれない。そう、信じてみたいと思った。






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