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暁の彼方〜第七章 暗転〜




「ついてこなくていい。お前達は下がっていろ」
 男の言葉に、槍と剣で武装した衛兵が、敬礼して道を譲った。彼らは訪問者が誰であるかを熟知しており、そして以前、この先に暮らす人間その人から、いつ何時でも彼を通すようにとの命令を受けている。
 あっさりと引き下がった兵士達を横目で見ながら、宰相ルーカスは迷いなく先へ続く廊下を歩む。折れながら入り組み、曲がりを間違えば行き止まりに行き着く複雑な回廊も、彼にとっては難儀ではない。
「――シリウス、俺だ」
 やがて一枚の、紫紺で塗られた厚い扉に行き当たる。その向こう側こそが、グリジア王国国王、シリウス3世の居室であった。
「話は昨日、グレイから聞いていると思う。今日は、お前の返答を聞きにきた」
 引篭もっていると一言にいっても、実際のところ、誰にも顔を見せていないわけではない。王妃レノラは勿論、身の回りを世話をする女官や給仕役の小姓など、シリウス3世自身が身近な人間であると認めたごく一部の人間のみが、この扉の外と内を出入りしている。
 彼が拒んだのは、あくまでも政治的な人々――グレイもルーカスもここに含まれる――のみである。しかしその時まで、グレイもルーカスも、自分たちが彼にとって、政治的な人間であることに気づいてはいなかったのだった。
「一度聞いてみたいとは思っていたんだ。なあ、いっそのこと、お前……退位するか?」
 宰相ルーカスはあくまでシリウス3世の名代であり、グリジア王国の国主ではない。だからこれまで、重大な国の方針決定については、必ずシリウス3世の判断を仰いできた。
 いっそこの分厚い扉を蹴破ってでもやろうか。ルーカスにしては珍しく、荒々しく暴力的な思考が脳裏を過ぎる。剣があれば突き破るのは可能だろうが、しかしそれは現実的な案ではない。もう2年以上も前に、グレイがまさしく同じことをして――自分の部下に羽交い絞めにされて連行されるという、面目のない事態に陥っている。
「お前はこの国の王だ。お前がしたいように……それがどんな結論でも、俺は従うよ」
 返答の返らない扉に向かって語りかけるのは、何もこれが初めてのことではない。そのたびに失望することには――もう慣れた。
 物言わぬ扉に背を向けて、しばしの間その場に立ち止まり、深く、瞑目(めいもく)する。
 まだこの扉が、ルーカスに向かって開かれていた頃。皇太孫シリウスが口にする国の理想に共鳴した。素晴らしかった。一点の曇りもなく、聞くものの心を打つ何かを持っていた。ルーカスならばああはいくまい。夢や理想を語る前に、現実を見てしまう。見すぎてしまう。そんな男の言葉に、人は決して動かされたりしない。
 実際のところ、ルーカスは皇太孫シリウスが口にする理想に、実践する為の何かが欠けていることに気がついていた。理念だけでは所詮、空論の域を出ないと知っていた。しかしだからこそ、自分の力で、理想を現実に変えて行けると信じていたのだった。
 ――あの頃は、本当に、信じていたんだ。
 かつて確かにそこに存在した、夢と理想の残滓(ざんし)に背に向けて。<黒宰相>は国王の居室を後にした。



 初めは、旅芸人の一座に戻ろうと思った。それが一番自然なことに思えた。
 王宮を抜け出す時、城門を警邏する兵の数人に見つかった。常ならば剣を奪ってやり合うことも不可能ではないが、今は正直身体が辛い。そう思って懐から幾枚かの金貨を取り出すと、途端、兵士達の反応が変わった。まことに、金は天下の回り物らしい。もっとも、それも躾の行き届いた王宮の兵だからこその話で、これがどこかの街の衛兵あたりなら、金を奪われたあげくに納屋にでも連れ込まれて、慰みものにされて売り飛ばされてでもいたかもしれないが。
 とにもかくにも王宮の敷地を抜け出し、テラは無事に、王都の街並みの中に紛れることとなった。
「……何だか、前より人が増えたみたい」
 もうすぐ冬を迎えようという王都は、早朝だというのに、以前より人の出入りが激しくなったように感じられた。
 一抱えの野菜を売った代価で、一家の衣類を買い込んで近隣へ帰る農夫。冬に備えて、防具や装備をあつらえる旅人や、今日中に山を越えて隣国へ旅立つのであろう、隊商の群れ。
 通りを少し歩いただけで、東の国境で起こったという、事件の内容が、あらましだけでも伝わってきた。誰もが皆、口々にその話を伝えているのだ。もっともさすがに、サイファ公国の目的がこの国の王位だなどという話までは、伝わってはいないようではあったが。
 道端で、野菜を洗う主婦が言う。きっと黒宰相がどうにかしてくれる。その為に、あたしらは王都で、高い税金を払っているんだから。
 これから商売に向かうのだろう、大きな包みを抱えた男が馬に飛び乗り、宿屋の主人らしき男と値段の交渉をしながら、呟いた。まったく、最近のご時勢はどうなってるんだろうね。俺達が心置きなく商売できるようにするのが、上の人たちの役割ってもんじゃないのかね。
 以前までの、黒宰相さえ討ち果たせば痛みが終わると信じていた頃のテラだったなら、きっと同じように考えていただろう。しかし今、生身の人間としてのルーカスに触れた後のテラの目には、街の民のあり方が依存と映った。腹立たしくさえ感じられた。
 ――重いはずだ。息苦しくもなるはずだ。これだけの人々の依存をその身に負って。
 テラはルーカスに生きていて欲しいと思った。彼だけではない。ここに至るまで、随分と多くの血が流れ、命が散った。もう誰にも、死んで欲しくはない。だけど同時に、常に何かをかみ殺し――殺していることにさえ気づかないままで、若者にこの先の長い人生を生きていって欲しくはない。
 ――お前なら、俺を殺してくれるんじゃないかと思っていた。
 あれほど悩んで、苦しんで。その果てに掴みとった答を当の本人に否定されて、あの時は物すごく腹が立った。ふざけるなと思った。
 だけどもしかすると、あの言葉は彼なりの、救済を求める声ではなかったか。あがく声の表れではなかったのか。自分を殺しに来たとわかっている女に――いや、そんな女だからこそ、ほんのわずかなりとも、心の中の本当の声を漏らすことができたということはなかったのか。
 ゆっくりと、背後を振り返ると、ただどこまでも黒く広がる森と、その向こうに聳え立つ尖塔が見える。たった今、その中から抜け出してきたばかりのはずなのに、やはりそれは、テラの目に巨大な檻に捕らわれた、黒く大きな魔物の姿に見えた。



 傾き始めた西日が降り注ぐ執務室の内側で、書類を捲る音がする。黒宰相の執務室にふさわしい、重厚な樫の机で書類を手繰っているのはしかし、宰相ルーカスではない。長椅子に寝そべっているのが黒髪の若者、机に肘をつきながら報告書を読んでいるのが近衛隊の紋章をつけた若者という、常とは正反対の光景である。
「そっか、やっぱりお前が行っても、シリウスの返事はもらえなかったか」
 最初から期待していなかった、といえばそれまでではあるのだが、それでもわずかばかりの望みは持つ。ましてやそれがこの国の将来にも係ること――シリウス3世その人の地位と立場に係ることとなれば。
「今までだって、王なんか、いないと同然だったんだ。いっそ、グレイ、俺達がシリウスを王位から追い落として、この国を乗っ取るという手もあるんだぞ」
 ちょうどその瞬間、奥の小部屋に続く扉が開いて、向こう側から、司法長官クラウス・テーゼが顔を出した。ルーカスの言葉を聞きつけたのだろう。ぎょっとしたようなクラウスの様子に、グレイは笑みを浮かべて、ひらひらと手を振る。
「ああ、本気にすんなよ、おっさん。こいつは疲労がきわまると、こういう、笑えない冗談を言い出す癖があるんだ」
 仮にも一国の司法長官ともあろう男に対し、<おっさん>呼ばわりする若者に呆けることもせず、クラウスは抱え持った書類の山を机の上に置いた。ちなみに書類に取り掛かかりはじめた時間は、2人ほぼ同時だったのだが、グレイの分の書類はまだ、半分近くが残されている。
 ルーカスが彼を留守居役に指名してからというもの、クラウスは黒宰相の忠実な部下となりつつあった。そもそも、すべての国務を、国王代理の宰相1人が行い続けた現状に無理があったのだ。この先、ルーカスが外遊に出かけるとき、または不慮の事態で政務に係れない場合、恐らく、クラウスの存在が、非常に貴重なものとなるはずだ。
 少なくとも今現在、宰相の負担を減らすという役割は、これ以上とないくらいにこなしている。些事に追われ、丸3日一睡もしていないルーカスに休息を取らせるため、グレイとクラウスで、今日の分の公務を分担したのだ。
 自らに割り当てられた分の仕事を終え、クラウスが退室するのを見届けて、グレイは長椅子に近づいてゆく。
「よお、色男」
 にやにや笑いながら顔を覗き込んできたグレイに、ルーカスは片眉を上げることで返答した。唇の端が青紫に腫れ、こめかみの辺りにも、何かで打たれたような痕がある。
「聞いたぞ。あの女、出て行ったらしいな。ったく、お前、何やったんだよ?」
「どの女の話だ?」
 ことさらにとぼけた物言いに、溜息が出る。10年以上の付き合いがある幼馴染に対し、本気で苛立つのは、いつもこんな時だった。
 ――知ってるか?お前のそれは、わかっていないんじゃなくて、わかろうとしていないって言うんだぞ。
 自分の気持ちも、他人も気持ちも、わかろうという努力を怠って理解できることなど何一つないのだ。人間なのだから欠けたところがあるのは仕方ないにしろ、本来欠けるべくもない、酷く根本的なところでの欠落が、いつかこの若者の致命的な傷となるような気がしてならなかった。
「なあ、ルーカス」
「……」
「前にも言ったと思うが、レノラのお前に対する妙な思い込みと、宮殿内の馬鹿げた噂を払拭するのに一番いい方法は、お前に本気の女ができることだ。確かに相手があの娘じゃ、かなり厄介ではあるが、方法はないわけじゃない」
「だから、そんなんじゃないと言っただろうが」
「長い付き合いを甘く見るなよ。そんなんじゃないのなら、どうして、戦闘者のギルドを追討すれと命じない?お前がギルドに触れたくない本当の理由は――」
「――グレイ」
 強い声音に、グレイは口を閉ざした。ルーカスは武官ではない。剣を佩(は)いてもいない。しかも、寝台代わりの長椅子に寝そべったままの体勢だ。しかしそれでいて、剣をもったグレイを怯ませる程、その声は険しかった。
「俺を休ませに来たんじゃなかったのか。少し寝る。黙っていてくれ」
 瞼を下ろして口を閉ざし、<黒宰相>はそれ以上の追求を拒んだ。






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