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暁の彼方〜第七章 暗転〜




 夜も更け、人のささやき声も、木の葉のざわめきさえも聞こえなくなった頃。寝台に横たわっていたテラは、ふと異質な気配を感じて、眠りの中から引き戻された。煌々と明るい月の光が斜めに室内を照らし出し、その光に照らされた人間の体が、朧げに光って見える。
「――何者っ?!」
 寝台の上で身をかがめ、思い切り勢いをつけて毛布を跳ね上げた。いきなり顔の辺りに一撃をくらい、相手はたたら踏みながら後ずさる。寝台脇の机の上にあった短刀を掴んで突きつけると、侵入者はかろうじてそれをよけた。全身をばねのようにして当て身を食らわせ、正確に急所を狙って刃を投げつける。しかしその瞬間、耳に響いた緊迫した声に、テラは目を見張って動きを止めた。
「ま、待て、落ち着け。せっかく塞がった傷がまた開いたりしたら、どうするんだ?!」
 ――この、声の主は。
「……ルーカス?」
 短刀が突き刺さった壁に背を押し当て、侵入者――グリジア王国宰相ルーカス・グリジアが、目を見開いていた。
 王宮への戦闘者のギルドの襲撃とそれに伴う他国への賠償に伴い、謹慎中であった宰相が国政に復帰したのは、衆知の事実となっていた。よりにもよって、国家としての品位を問われる式典に、襲撃を許したのである。その始末をつけることができるのは、王宮中に彼おいてない。
 そして同時に、彼が襲撃した戦闘者のギルドへの追撃ではなく、王宮内の警備の手抜かりを指摘し、むしろそちらを問題としたという事実も耳にしていた。王と宰相を討ちもらし、頭領をなくし、戦闘者のギルドは今、牙をもがれたも同然だ。この先、ルーカスはギルドをどうする気だろう。すべては今、目の前にいる男の胸の内のみにある。
「しかしまあ、ここまで動けるとは、本当に傷の方は大分いいみたいだな。安心した」
 ぼんやりとそんなことを思ったテラの手に、色あせた皮袋が押し付けられた。深く考えず、咄嗟にそれを受け取ってしまい、手の上に押し上げられたものの重みに、テラは息を呑む。
「これ……何?」
「金」
 端的な返答に、思わず瞬く。ずっしりと重い。袋を開けなくとも、かなりの量の金貨が詰まっているのがわかる。
「これだけ置いて、さっさと戻るつもりだったんだ。……先に言っとくが、どこかから盗んできたわけでも、横領したわけでもないぞ。溜めに溜め込んだ給金――正真正銘の俺の金だ。6年近くろくに使わなかったから、思っていたより溜まっていた。必要なかったら捨ててくれて構わない」
「ここから、出て行けということなの?」
「本当ならこの国から出ていけ、と言いたいところなんだが」
 吐き出すように呟いて、ルーカスは寝台に腰を下ろした。身体を折り曲げた瞬間、つと、辛そうに顔を歪める。先ほどの当て身はまともには入らなかったはずなのに、どこか痛むのだろうか。
「グリジア領の最東部に、シルーズという街がある。4代前の王まではサイファ領で、その後はしばらく、自治領だったところだ。知ってるか?」
「話に、聞いたことはあるけど」
「数日前、サイファ軍が国境を越えて、そのシルーズの砦に侵入した」
「え?」
「新サイファ王――ミリウム2世陛下は、どうしても、戦(いくさ)がやりたいらしいな。西の月英に攻め入る為に、グリジア領内を通過させろ、と言って来ている」
「通る……だけ?」
「素直に受け取ることはできないな。素直にはい、そうですかと兵を通したら、その切っ先はまず間違いなく、俺達の喉元に向く。もともと、サイファ王はグリジアの王位が欲しいんだ。そうすれば、要請も外交も必要ない、正々堂々この国の領土を使って戦ができるんだから」
「そんなことって……」
「現サイファ国王の母親は、シリウス2世の皇女だ。確かにミリウム2世にも、王位継承権は発生する。過去に例のない話でもない」
「ちょっと待ってよ。この国にはちゃんと、王がいるんじゃないの?そんなことがどうして許されるのよ?」
 掴みかかるような勢いで、ルーカスの隣に腰を下ろす。王が4年以上も姿を見せていないとはいえ、国王シリウス3世、宰相ルーカスという組み合わせは、決して間違ってはいなかったはずだ。そうでなくて、どうして5年以上も国が保つ。
「あちらに言わせれば、その王を幽閉して、国政を恣(ほしいまま)にしている悪党が一人いるらしいぞ」
「悪党って……」
「お前の舞ならどこに行っても、食ってくくらいは問題ないのかもしれないが、今は旅券を買うにもたいそうな金がいるからな。そもそも、あって困るものでもないだろう?これを持って、できるだけ遠くに――そうだな、北の方にでも逃げろ。まだそちらの方が安全なはずだ」
「……貴方は、どうする気なの?」
「さあ、どうするかな。あっさり要求を呑むっていうのも手だよな。どうせ、グリジアとサイファが戦っても、勝ち目なんかないんだ」
 他人事のように言って、笑う。極めて重大な事実について語っている気配など微塵もない。テラは思わず、眉をしかめた。
「そんなことになったら、サイファと月英の争いに、グリジアが巻き込まれなくちゃならないのよ。今死者が出なくたって、いずれ大勢死者がでるのは目に見えてるじゃない。他国の争いに借り出されて、きっと土地を耕す暇も、商売をする暇だってなくなる。この国の民に、隣国の戦の為に死ね、と命じるつもり?」
「……テラお前、俺より宰相に向いてそうだな」
 宰相――いや、実質この国の王である男の、苦笑とかいいようのない微笑に言葉を失い、拳を握る。テラでさえわかるような、そんな簡単なことに気づいていないはずもないのだ。よりにもよって、<黒宰相>が。
 腕を伸ばして、枕元にあった手燭に炎を灯した。揺れ動く橙色の焔(ほむら)を通して、男の蜜色の横顔がすぐ横にある。しばらくそうしてルーカスを見て、ふと、一つの事実に気がつき――思い浮かんだ言の葉を、テラはそのまま口にしていた。
「――ありがとう」
 素朴な感謝の言葉に、ルーカスは驚いた、という風に目を見開いた。こうして灯影を挟んでさえそうとわかるほど、綺麗に澄んだ瞳だ。一欠けらの曇りもなければ、決して波打つこともない。だけどもしかするとこの湖面は、その底にあるものを誰かに気取られることのないよう、彼が必死の思いで凍らせてきた氷室(ひむろ)の中にあるのかもしれなかった。
「貴方には、何度も助けてもらって、その借りを返してないないもの。だから、このお金は受け取れない」
 傍らで、くしゃ、と髪を掻き分ける音がする。
「……本当に、酒に弱いんだ。酔うと大抵の場合は寝てしまうんだが、あの日は――いや、あの夜のことは謝る。全面的に俺が悪い。すまなかった。大体3年前も今も、お前を助けたのは俺には俺の思惑があってのことだ。そもそも最初から、貸しだなんて思ってない」
「思惑って?」
 真正面から問い返され、ルーカスは一瞬、まともに返答に詰まった。
「実を言うと、俺は随分と前から……カウラに娘がいることを知っていた」
 そうだろうとは思っていた。だがルーカスの口から直截的に母の名前が出た瞬間、テラの心はやはり痛んだ。
「だから……」
「だから?」
「お前なら、いつか俺を殺してくれるんじゃないかと思っていた」
 今度は逃げる余裕はなかった。思い切り、力をこめて投げつけられた小さな皮の袋が、勢いよく若者の頬を打った。黄金色に輝くものが、白い寝具の上を無数に散らばる。
「つっ」
 呻いて口を拭ったルーカスの手の甲に、鮮やかに紅い色が浮く。衝撃で、口の端を切ったらしい。
「酷い人ね。出て行って、貴方なんか、大嫌いよ!」
 殺してくれると、思っていた――
 その為に、自分を殺しに来た娘を助けた。王宮に入れた。街で出会えば衛士に捕まらないかと心配し、戦が起これば巻き込まれないように心を砕く。
 そんな風に優しくされた娘が、復讐心と自分自身の想いの狭間で引き裂かれることになるとは考えなかったのか。いっそ恨ませたままでおいたほうが親切かもしれないとは、思ってもみなかったのか。
 そんなもの、すべては罪悪感に基づく善意だ。テラの気持ちなんて、これっぽっちも考えてはいない。
「貴方なんか、大嫌い!」
「ああ。知ってるよ」
 子供のようにしゃくりあげるテラの肩にルーカスは手を置いた。そんな仕草の1つ1つまでもが、泣きたくなるくらいに優しい。そうしておいて、一度も振り返ることもせず、薄暗い部屋を後にする。
「酷い人ね……」
 結局、返しそびれてしまった皮袋を開いてみると、寝台に散らばったもの以外にも、かなりの量の金貨が見えた。彼が民を気遣う為政者だとしても、まさかすべての国民にこんなことをしているわけではあるまい。ルーカスがこれほどまでにテラを気にかけるのは、カウラを――テラの母を死なせたことに対して、それだけ後ろめたく思っているという証であり、同時に、彼と母との間に、テラにはうかがい知ることの出来ない、何か深いつながりがあったからなのではないかと思う。
「……何もわかってなんかいないくせに」
 皮袋の口を閉め、ぎゅっと強く握り締める。この金を貰う謂れはないが、今更返しに行くことができるとも思えなかった。戦闘者のギルドによる王宮襲撃以来、テラは寝付いていてほとんどこの館から出ていないが、そもそも彼女はお尋ねものだ。当然ながら、お尋ねものがおいそれと近づけるような場所に、一国の宰相はいないだろう。
「なのにどうして……こんなことまでするの」
 ――恨み続けることが苦しいと思った。彼に死んで欲しくないと思った。
 それ以上の感情など、必要ないのに。



 エリザの朝は、夜が明けると同時に始まる。
 彼女はもともと、王宮に勤める衛兵の妻であった。先の王の時代に夫が戦で亡くなり、幼子を抱えて王宮の下働きとして出仕したのがきっかけで、以来かれこれ40年近く、王宮を自分の庭のようにして生活している。王宮に上がった時には幼児だった2人の娘はそれぞれに成人し、既に子供もいる年齢だが、エリザにはこの場所を離れる気は微塵もない。いずれは、王宮の敷地の外れ――王家の森への境界近くの使用人墓地に葬られることだけが、彼女の望みである。
「テラ様、お目覚めですか?今日もまた良い天気も良いですし、朝食前に外に出てお散歩など――」
 近衛隊長直々のお声かかりで預かった若い娘は、完全には傷が癒えておらず、館の外に出る時には、彼女の支えを必要とした。ちなみに、テラ当人は「様」と呼ばれることに強く抵抗したのだが、エリザの方には呼び方を改めるつもりはない。とにもかくにも、大事な預かりものだ。
「テラ様……?」
 勢いよく扉を押し開けて、老女は凍りついた。――部屋の中は、もぬけの空だった。
 ようやく他人の手助けなしで寝台から出られるようになったとはいえ、テラはれっきとした怪我人だ。彼女を診立てた医者も、傷そのものは塞がったが、しばらくは安静にしているようにと告げていた。
 綺麗に整えられた寝台には皺一つなく、傍らの小机の上に、この館に来て以来彼女が身につけていた夜着が綺麗に折りたたまれて置かれている。几帳面で、綺麗好きの娘だった。あんな怪我さえなければ掃除も洗濯も、きちんとまじめに行う性格だろう。それだけでも、好感を持つに値(あたい)する。
「そんな、あの身体で一体何処へ……?」
 そろそろと寝台に近づいて、その場所に、異質なものがあることに気がつく。蒼い光沢のある、翠の薄布。きっちりと折りたたまれ、ほつれたり破れたりした部分は丁寧に繕ってある。
 手にとってその布を解いて、その中に包まれていたものの存在に、よりいっそう驚く。大怪我を負ってこの館に運びこまれた時、テラはまったくの無一文だった。何時の間に手にしたのだろう。――こんな金貨など。
 布の中から現れた数枚の金貨の重さを確かめながら、エリザはしばらくの間、呆然と立ち竦んでいた。






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