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暁の彼方〜第六章 襲撃〜




 ――本当に、得体のしれない、化け物でも見るような目をしていたな。
 訪問者の去った執務室の内側でただ1人、くつくつ、と喉を震わせながら、ルーカスは以前、自らが口にした言の葉の意味をかみ締めていた。国が化け物の一種だと言い切ったのは他でもない自分自身だ。我ながら、随分うまいことを言ったものだと感心する。
 机の上に積み重ねられた紙の束を手に取り、目を通してゆく。1ヵ月近くも謹慎していたおかげで、決済を仰ぐ書類は文字通り山のよう。戦闘者のギルドにおける王宮襲撃の補償や他国への謝罪を加え、たまりにたまった仕事は、到底ルーカス1人の手に負える量ではない。グレイは書類仕事に関してはまったくあてにならないから、これらすべてを自分ひとりで片付けるのかと思うと、正直いって、うんざりする。
 長椅子にかけてあった上着を取って立ち上がり、磨き上げられた玻璃(はり)の彼方へ目を向ける。
 今、目の前に広がる空は、見事に晴れ渡っていた。この季節特有の蜘蛛の糸の吹流しのような、雲の流れの切れ端さえも見つからない。その向こうを、黒い羽を広げた鳥が一羽、軌跡を残して飛んでゆく。鳥が消えた山間の青さえ、目に痛いような鮮やかさだ。
 ――あたしはもう、誰にも死んで欲しくない。
 ああ、その通りだ。だから<黒宰相>であり続ける限り、この国の人間を、もう誰一人として死なせはしない。
 不意に耳元で、お前がそれを言うかと、嘲笑う声がした。何を今更躊躇うことがある。お前のその手は、最早血で塗れているではないか――
 ――煩(うるさ)い、黙れ。
 腱が浮き出るほど握り締めていた拳に、赤いものが滲む。その手を自らの目の高さまで持ち上げ、若者は失笑した。
「……何をやっているんだ、俺は」
 ――5年前、カウラの言葉に縋り付いたように、今度は彼女の言葉を支えにしようというのか。
 何かに支えられなければ――何かに縋らなければ立つことができないのであれば、そんなものは立っているとは言わない。ただ寄りかかっているだけだ。自分の足で真っ直ぐに立つこともできない、そんな人間に一国という大きなものを支えきれるはずもない。
 第一、テラにしてみれば、いい迷惑でしかないだろう。彼女はルーカスを許してはいない。母の無念を忘れてはいない。当然だ。ルーカスはテラに対して、負い目がある。だから彼女が復讐するというのならば、甘んじて受け入れるしかない。それは今だってそう思っているのに。
「――ったく、これじゃあ、シリウスを笑えないな……」
 一瞬とはいえ、己の行く末を他者に委ねようとした。自分で自分自身の決着さえつけられずに、結果、1人の娘を深く傷つけた。
 ……何と、愚かな。
 自己嫌悪で吐き気がする。無性に外の空気を吸いたいと感じ――ルーカスは執務室を後にした。



「――ルーカス様、そんなところで、何をなさっているんです?」
 館の規模や暮らしている人間の数に係らず、怪我人がいる家には、洗うべきものが多い。洗いたての包帯入りの洗濯籠を抱え、老女が背後を振り返る。同時に、がさり、と音を立てて植え込みが割れた。バツの悪そうな顔を隠そうともせずに、目を伏せる若者に向かい、エリザは微笑みかける。
「大分、良くなられたんですよ。昨日から部屋の中を歩くこともできるようになって」
「そう……ですか」
「ですから、裏庭からこっそり様子をうかがうなんてしないで、正面から入ってお行きなさいな。まあ、こんなにお召し物に葉っぱをつけて」
「え、あ、いや、俺は偶々(たまたま)、この辺りを通りかかっただけで……」
 宮殿からこの館までは、たまたま偶然、通りかかるような距離ではない。
 かつてまだ、エリザがこの若者の母親と共に暮らしていた頃。時折訪れては母親の姿を垣間見て帰ってゆく少年の姿に、一抹の寂しさを覚えて彼を見ていたものだった。時を経て、少年が青年になる頃にはそんなことも減ったが、それでもあの頃の不器用さだけは、いまだ引きずっているように思う。
「もうすぐお茶にしようかと思っていたんですよ。ルーカス様がいらっしゃれば、きっと喜ばれますわ」
 梢を離れた木の葉が一枚、ふわりと空を舞ってルーカスの肩に止まる。それを払いのけることもせず、<黒宰相>の異名をとる若者は、妙に頑是無(がんぜな)い顔をして、首を左右に振った。
「俺なんかが顔を見せたりしたら、せっかく治りかけているのが余計に悪くなりますよ。やめた方がいいです。絶対」
「まさか。そんなこと」
 テラは何も問わずとも、現在の自分を保護している人間が誰であるのかを、知っているようだった。少なくともエリザはそう感じている。
「本当です。それに――」
 ふっと、表情がかわる。若干15歳の若さで宰相となった男の双眸(そうぼう)に、微笑とも自嘲ともとれるような、どこかやるせない色調が浮いているのを見て、老女は純粋に驚いた。
「――彼女が無事に回復してここから出て行く為には、俺と係らないことが、一番の薬でしょうから」



 そろそろと床に足を下ろし、窓辺に垂れ下がった布をどかす。途端、目に痛いほどの青が射し込んできて、テラは目をしばたたかせた。
 武術と舞で鍛えた強靭な身体と、老女の献身的な介護が功を奏したのであろう。テラの身体は順調な回復を見せていた。もともと、戦闘者のギルドの人間は傷の痛みに対する耐性が強い。この分ならばもう幾日かたてば、自分の足で立って、屋外を歩くことも可能かもしれない。
 両手を壁につき立て体を支え、窓の外に広がる空に目を向ける。
 ちょうど一羽の大鷲が、羽を広げて空へ飛び立ったところだった。王家の森の上空を飛び交うその姿に既知感を覚えるが、それは戦闘者のギルドの鷲ではない。誰にも捕らわれず、誰かに媚びることもなく、ただ自身の両翼のみで、雲のない大空を羽ばたいてゆく。
 迷いのない一途さが、今のテラには羨ましくもある。
 母の無念は忘れられない。ギルドへの恩義も捨てきれない。だけど今、宰相ルーカスや国王シリウス3世の首を目の前に掲げられたとて、到底、喜ぶ気分になれはしない。
「あっ……」
 不意に、視界の隅を影が覆った。幻のように、闇を――それを想起させる2つ名を纏った若い男の姿が見える。館の窓にはめ込まれた玻璃ごしに、テラは確かにそれを見た。
 <黒宰相>の通り名は、その髪や瞳の色に由来するものではないのだと、悟る。こうして陽のあたる場所に立っていても、彼の周囲には闇が匂い立つ。奈落を思わせる闇の色は同時に、人が身を横たえ、心を休める、穏やかで優しい夜の色でもあった。
 無意識に伸ばした指先が、空を掻く。気配を感じたのか、若者と籠を抱えた老女が同時に振り返ってこちらを見た。咄嗟に自分で自分の手を掴んで引き寄せ、身体の均衡を崩して、テラはそのままずるずると、床の上に座り込んでしまった。
 窓の縁より低い位置に来てしまえば、もう、外から室内の気配はうかがえない。
「よかった……」
 無事だとは聞いていた。だけど実際にその姿を目にするとしないとでは――実感が違う。
 ――生きている。ここに、いる。
 何故そんなことが、涙が出そうなまでに、嬉しい。
 冷たい床の上に座り込んで。両手で己(おの)が肩を強く抱き。この瞬間、テラははじめて、心の底から仇である男の無事を喜んでいる自分自身を認めていた。



 グリジア王国が宰相ルーカスの主導のもと、内紛による王宮襲撃の余波をかろうじて切り抜け、月英王国が密かにグリジアとの講和の道を模索しはじめた、ちょうど同じ頃。東の強国サイファ公国もまた、1つの転機を迎えようとしていた。
 第27代国王オルゲ4世が、37歳の若さで急死してしまったのだ。実子のない彼の後を継いだのは、同じくグリジアから嫁いだミルゲ大后を母に持つ、王弟ミリウム2世。32歳の新王は、即位前、王宮騎士団第一部隊に所属していた武断の王であった。
 またそれから少し後、武力により周辺諸国を圧迫し続けた月英王国第13代国主、蘇順可汗(そじゅんかがん) が、王位を嫡男に譲って都を後にした。膠着状態にあったソグド攻略に、大王自らが乗り出すための処置である。都の守りを任された新王は27歳。後に父王の一文字を引き継ぎ蘇仁(そじん)可汗の名で呼ばれることとなる若き王の即位式には、帝国、グリジア、及び周辺諸国から慶賀の使者が訪れたが、サイファ公国は祝賀の使者を送らなかった。これを機に、それまで表向きは無関心を装っていた両国の関係が、急速に悪化し始める。
 そうして――
 サイファ公国王ミリウム2世32歳。月英王蘇仁(そじん)可汗27歳。そしてグリジア王国王シリウス3世28歳。3人の若き君主による新たな時代の幕開けを告げる事件が、王宮襲撃事件からおおよそ半月後――グリジア王国暦シリウス3世6年晩秋、グリジアとサイファの国境に近い北東の街、シルーズで起こった。







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