×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


暁の彼方〜第六章 襲撃〜




 訪問者があったのは、それから数日たった後のことだった。
 日数を経て、身を起こすことこそできるようになったものの、テラは未だに寝台から起き上がることができない。そんなテラの様子を仔細深げに眺めていた青年は、やがて、はぁぁ……とやけに深い溜息を吐いて見せた。
「あの?」
「いや、本当にあの王宮舞姫と同じ女なのかと思って。女は化けるというけど、化粧を落とすと本当に別人だな」
 どこかで聞いたような台詞だったが、女の寝間にずかずかと上がりこんで言う台詞ではない。第一、失礼極まりない。殺意を覚えて枕を投げつけようとしたテラの様子に、青年――近衛隊長グレイは破顔する。
「悪い、悪い。冗談だ。しかし、思っていたより元気そうで、何よりだ」
 寝台の脇の椅子に腰を下ろして、窓辺に垂れ下がった布を下ろす。昼日中の空は明るく、布地の合間からこぼれる陽光で灯火には困らなかったが、室内が薄暗くなったことは否めない。
「……訊問(じんもん)ですか」
「いいや。ここは俺の姉の家だし。あんたが王宮にいたことは誰も知らない。今日俺がここに来たのは、礼を言おうと思って」
 ――礼?
「あんたが、ルーカスを助けてくれたから」
 上着の懐から出した煙草を口に含む。火をつけないところを見ると、一応、怪我人の寝室だという自覚はあるらしい。
「それと多少の好奇心。何しろ、あの仕事馬鹿が自分から女に興味を示すなんて、前代未聞の大珍事だからな」
「はあ……」
「――ルーカスから聞いてないか?俺とあいつは友達なんだ。幼馴染と言った方が早いかな」
 意外そうな表情をした後で、闊達(かつたつ)とした風のその顔に、どこか苦いものを浮かべる。
「気が向いたらでいいからさ。あんた、ルーカスを守ってやってくれないか」
「守るですって?――あたしが?」
 ――許す、ではなく、守ると。
 目を見張ったテラを見て、青年は微笑する。
「ああ、俺があんたにこんなこと言ったなんてことは、ルーカスには黙っといてくれよ。多分、知ったら滅茶苦茶怒り狂うだろうから。ただ、俺はあいつが一番危なっかしかった時期を見ているだけに……いや今でも、放っとくと何やらかすかわからないところがあるからな、あの馬鹿宰相は」
「……危なっかしい?」
 テラの呟きを捕らえて、グレイの視線がすっと鋭くなった。それを見て、テラはこの青年が、ただ見た目どおりの軽薄な若者ではないことを悟った。
 不意に視界の中に、雪嵐に揺れる小屋の中で、肩を震わせ蹲る少年の姿が見えた。あの場でテラに出会ったことは、彼にとっても想定外の出来事だったはずだ。だけどあの時、テラがいなかったなら、彼は一体どうするつもりだったのだろう。すさまじいまでの雪嵐を掻き分けて、小さな小屋の中にたった1人で。
 しかし、この若者はテラとルーカスの関係を誤解している。グレイの言うように、彼を助けてやれる誰かがいるのだとしても――そんな人間が存在し、そして必要なのだとしても――それは少なくともテラではない。絶対に違う。
 そんなことを思って、ひどく切ない気分がした。予期せぬ感情の動きに、テラ自身が戸惑った。
「そんなことをあたしに話して……どうしようというの?」
「どうもしないよ。ただ、あんたが万が一死んだりしたら、今度こそあいつが徹底的に壊れてしまいそうな気がして、な」
「あなたが、本当にあの方の……宰相閣下のご友人だということはわかりました」
 人は弱い。誰でも、そういつもいつも強くはいられない。時に迷い、躓いて道を見失うのが人間だ。そんな当たり前の弱さを抱えて、それでも黒宰相として修羅の道を歩いていられるのであれば、ルーカスは多分、テラの想像など及びもつかぬほどに、強い。
「だけど、どうしてなの?そんなに心配なら、あなたが助けてあげればいいじゃないの。どうして、こんな得体の知れない女にそんなことを頼むの?」
 ――彼を憎み、殺してやりたいと思って近づいた、女などはでなくて。
 あの男にはいるではないか。こんなにも身を案じてくれる友人が。
 次の瞬間、目の前の青年の瞳の色が、急激に暗くなったのがわかった。普通なら見落としかねないささやかな変化ではあったが、それでもテラには確かにわかった。
 それが、彼女の知る男と、同じ目の色だったから。同じものの重みに耐えている目だったから。
「俺は近衛隊長だからさ。この先、あいつが国に仇なす存在になったら、斬らなければならない。……それだけは、他の誰かに任せることはできないから」
 言い置いて立ち上がった近衛騎士隊長の横顔は、どこか寂しげだった。


 ――本当に邪魔な人間とは、こうして消すものだ。
 そう、男は言った。
 振り上げられた剣の先。驚いたように目を見張る人々に取り囲まれながら、彼もまた、同じくらいに驚愕していた。
 引き抜かれた剣の切っ先が、恐ろしかったわけではない。今目の前にある光景が、純粋に信じられなかったのだ。
「――どうした?お前の剣だろう?いらないのか?」
 自身を見つめる人間達を一瞥し、血脂で汚れた刃を袖で拭う。息を詰めたように見守っていた人々から、喚声とも溜息ともとれるどよめきが走った。鞘のない長剣を差し出された護衛の兵の1人が、弾かれたようにしてそれを受け取る。
「貴方には……人の心がないのか」
「人の心?」
 そんなものはとうの昔に捨て去ったと言わんばかりに、男は笑った。見ている者が思わずはっとするくらい、瑞々しい笑い方だった。ちらりと見えた前歯が抜けるように白く、肌にはしみも弛みもない。
 しげしげと、自分自身が挑んだ男の顔を見やる。若いな……そう思った。この男は一体いくつだ?20をようやく越えたか、まだ精々それくらいのものだろうに。
「始末しておけ。それくらいの仕事は、お前達にもできるだろう」
「――テ、テーゼ長官?!」
「追うな。……追わなくて、いい」
 柄に手をかけ、後を追うべく行動に移りかけた兵士達を、引き止める。猫と信じて手を伸ばした相手に、虎の牙を剥かれたような気がする。身体中の力が抜け落ちて行くのがわかった。
 確かに頭は切れる。その切れ味たるは鋭利な刃(やいば)にも勝る。しかしあの男はまだ若い。抜き身の刃を懐に抱いて、これから先の長い年月を、どうやって生きて行くつもりだ。
 ――そうして、この国を何処(いずこ)へ導く?
 自らが挑んだ若者とこの国、重なり合う2つの道の行く末を思った瞬間、不意に強い血の匂いが、彼の鼻腔を広がった。


 ――それから、おおよそ1ヵ月あまりたったこの日、グリジア王国司法長官クラウス・テーゼは、宰相ルーカス・グリジアの執務室の前にあった。


「――入れ」
 執務室の奥行きは深い。最奥にあつらえた机の位置から、入り口の近辺の様子をつぶさに伺うことはできなかったはずだ。しかしクラウスが室内に入るなり、黒宰相ルーカス・グリジアは、その褐色の頬を、笑みの形に歪めて見せた。
「そんな顔しなくとも、何も取って食いやしないぞ。もっと近くに寄れ」
「失礼いたします」
「前置きは省く。グリジア王国司法長官クラウス・テーゼ。貴公にグリジア王国宰相の留守居役(るすいやく)を願いたい。引き受けてくれるか」
 は、と間の抜けた声を発して、クラウスは瞬いた。
「あ、あのそれは、どういう――」
「知っての通り、王が外遊や遠征で不在時には、宰相が留守役を勤めるのがこの国の慣例だ。が、宰相の不在時に国を守る人間の規定というのは、どこの書物を引っ張り出しても見つからなくてな。だから、勝手に決めさせてもうらことにした」
「何処かへ……行かれるおつもりか」
「西へ」
 ――何故(なにゆえ)、と問うことができなかった。
 公式の訪問でないことは明らかだ。しかし、仮に非公式な訪れであったとしても、国の主要な人間の訪問には、前々からそれ相応の使者のやりとりや、煩雑な手続きが必要となる。言語体系も異なるので、通訳も必要だ。
 何よりも最も重要なのは、現在の仮想敵国ともいえる両国において、月英国王――これを彼の国では可汗(かがん)と呼ぶらしいが――に近しい人間と渡りをつけることだろう。
「まさか……」
「思い当たったらしいな」
 ――思い当たることが、あった。
 西方の血を引く母子。太陽の花。陽光届かぬ、薄暗い地下の石牢と、そこに飛び散った深紅。
 ――黒宰相は、母親の館に、西方の諜者を飼っていたのか。
 盲点といえば、盲点ではあったろう。シリウス2世の末子を産んだとはいえ、女奴隷上がりの彼女には、付き従う使用人も、王宮からの扶持(ふち)もない。多少素性の怪しい人間でも難なく敷地に入り込むことができたし――館の女主人である人は、そのことを咎めたてられるような状態ではなかった。
 だがその事実は、諸刃の剣となった。クラウスが館に出入りする間諜の存在を掴んだ時、彼には自身の母親の口を封じるしか、取るべき道が残されていなかったのだ。
 黒く、底光りする視線が真っ直ぐにクラウスを射る。
「頭はかなり回るな。行動力もある。目の付け所もいい。前々から聞いてみたいと思っていた。お前、あの狂王の時代をどうやって生き抜いた?」
 狂王――シリウス2世の御世、わずかでもその能力を発揮したり、王を諫めたりした人間はことごとく馘首(かくしゅ)され、王宮を追われた。刑場で散った人材も多い。そんな時代を、王に背かず、そしてまた良心にももとらぬよう、それこそ薄氷を踏むような思いで生き抜いてきたのだ。
 それがどうして、奴隷の子供の下につける。そう思って挑んだ。そしてかわされた。死亡した女は病死として処理され、謹慎中の宰相はぬけぬけと「謹慎」を「服喪」と言い換えて、国政の場へ復帰した。
「……私を留守役に、西へ向かって、貴方は何をなされるおつもりか」
 無言のまま、ばさり、と机上(きじょう)に巻物が広がった。羊皮紙(ようひし)に描かれた大陸図、その上方を若者は指し示す。
「月英は今、同族でもある北方のソグド国を攻めあぐねている。というのも、ソグドの背後には帝国が控えているからな。ソグドの領地は欲しいが、かといって、帝国は敵に回したくない。ついでにいうなら、グリジア国境付近に控えている数万の騎兵も、できるなら北方の戦線に回したい」
 専心ソグド侵攻に邁進したい月英にとって、帝国とパイプのあるグリジアとの和平は望むところ、といったことか。
「率直に言おう。俺には手駒が少ない。今は1人でも多くの味方が――使える人間が必要なんだ」
「……慎んで」
 意図する前に、深々と頭(こうべ)が垂れていた。
「お受け致します」
 若者が進む長い道の先に、どんな未来が待ち受けているのか。それは即ち、この国の行く末だ。
 見届けてみたい。――出来ることなら、誰よりも間近で。
 ――心の底から、そう思った。






扉へ/とっぷ/次へ