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暁の彼方〜第六章 襲撃〜




 彼女が舞う姿を、見たことがある。
 豪奢な衣も、身を飾る宝石もなく。ただその身を彩るは、深紅の髪。灯火の揺らめきにあわせて輝く、深い翠の双眸(そうぼう)は、見る者の心すべてを惹きつけた。
 ――綺麗だと、そう思ったのだ。
 彼女が誰であるのか。どんな目的を持っているのか。そんな思考さえも、凌駕(りょうが)するほどに。



「どうして……お前がここに」
 白刃が、石の床に突き刺さる。かつり、と鈍い音と同時に、クラネットの手を離れた剣の柄が、ルーカスの目の前に投げ出された。
「――カウラ、何故だ」
 2人の男の視界の先で、テラは肩を震わせ、息を弾ませながら彼らを見た。ひらりと風が舞った、と思う間もなく、娘の深紅の髪が、ルーカスとクラネットの間に割ってはいる。
 ルーカスは呆然と彼女を見上げる。脚の傷からは血が流れ、筋の一つでも切られたのか、まったく力を入れることができない。最後の砦のようにしがみついていた剣の柄に、毒々しい血色の染みが浮く。
 その時になってようやく、彼は自分の目前を駆け抜けた銀の龍の正体を悟った。
 剣の柄を弾き、床へ散った銀の龍。いや――柄に銀の龍を施した、一振りの短刀。
「……何故だ、カウラ!」
「――あたしは、母さんじゃないわ」
 ――そうだ。この娘は<戦乙女>ではない。だがそんなことは、初めから知っていたことだった。
 テラがカウラの娘であることを、実のところ、ルーカスはかなり以前から気がついていた。いや、3年前、王家の森でテラと初めてであった時に、既に彼女が自分を殺しにきたであろうことを承知していた。
 ――震える程、嬉しかったことを覚えている。
 猛吹雪に揺れる森の中、すべての色彩が白で覆われた空間で、彼女の燃えるような深紅の髪を見て。
 限界など、とうに過ぎていた。国を支える一柱となり続ける崇高な決意など、とっくの昔に失っていた。
 戦い続けることに、疲れていた。身動きの取れない状況に、飽いていた。そして何よりも、すべてに辟易(へきえき)していた。
 ――望んでいたのは、終焉。
 何よりも、破滅を希(こいねが)っていた。しかしその為には、もう、彼には死んでしまうしか方法がなかったのだ。
「この男を殺すと、それだけを願っていたはずのお前が、何故、黒宰相を助ける?!」
 クラネットは血で濡れた剣を拾いあげる。彼女は視線を逸らさなかった。何故なのだろう。彼ならきっと、目を逸らさずにいられない。いや、そもそもルーカスには未だに、どうしてテラが自分を生かしておいたのかがわからない。
「……ようやく、わかったの」
 白い頬に微笑さえ浮かべ、テラはルーカスの手から剣を奪い取った。女が扱うにはかなりの重量があるはずのそれを、何のためらいもなく、構えてみせる。
「あなたは昔、戦乙女……母さんに、かなわなかったそうね」
「何を考えている?!お前に俺は倒せん。剣を置け!」
「ルーカス、逃げて」
 唐突に名を呼ばれ、ルーカスは目を見開いた。
「貴方じゃ、この人には適わない。だから――」
 渦風を巻き起こしながら、クラネットの剣がテラの剣を跳ね上げる。ほどんと舞っているのと変わらない優美な動作で、彼女はそれをかわした。切っ先が鍔(つば)にぶつかり、鋭い音が辺りに鳴り響く。打ち合い、というより、まるで剣舞でも見ているかのようだ。
「逃げて!」
 誰よりも黒宰相を憎み、その命を奪いに来たはずの女が、ルーカスの生を願う。逃げろと言う。こんな形でさえ、彼の望みは叶わない。救いは訪れない。
 不意に、悟ったような気がした。
 父は狂った。敬愛をした王はすべてを拒絶した。
 ――ああ、そうか。
 次は、俺の番だったのか。ただ、それだけのことだったのか。
「ようやくわかったの。あたしは、もう誰にも死んで欲しくない」
 茫洋(ぼうよう)と、動くことさえ忘れかけた若者の上に、慈悲にも似た声が落ちる。一縷(いちる)の望みを見たような気がして、ルーカスが顔を上げた瞬間――
 花弁の唇から一筋、赤いものが糸を引いて滴り落ちた。
 細い身体に無骨な刃が飲み込まれてゆく光景を、ルーカスは異世界のことのように眺めていた。ゆっくり、本当にゆっくりと、まるで布が舞い落ちるような優雅さで、テラの身体が崩れ落ちる。刃を手にした男の顔が、痛みに耐えるかのごとく歪んだ。彼がもう一度刃を振りぬけば――彼女の命は確実に、闇に消える。
「やめろ――!」
 無意識に伸ばした指先に、固いものが触れた。床に取り残されたままの、銀の龍の短刀。黒宰相を殺すためにテラが持ち込んだ、戦闘者のギルドの戦士たる証。それを掴み取り、狂ったように喚き叫んで身体ごとぶつかった。3人分の影がもつれ合い床に転がる。
 起き上がることができたのはただ1人、のろのろと伸ばされた男の手が、力なく白床に投げ出された、細い指を絡めて取る。
「目を開けろ……テラ」
 もう誰の死も見たくはない。心を許した相手であろうがなかろうが、自分に恨みを残して逝った他人の死に顔を拝むことが平気な人間などいない。しかしそれをもう何度も数え切れないくらい、彼は経験してきたのだ。
 ――あたしは、もう誰にも死んで欲しくない。
 ああ、その通りだ。
 だから――
 頼むから、お前だけは、俺を残して逝かないでくれ。



 近衛隊長グレイがたどりついた時、すでにその場は血だまりとなっていた。
 武官である近衛隊長が、思わず足を止めるほどの酸鼻(さんび)。グレイは、その光景を前に声も出せずにたたずんだ。目の前にあるのはこの国の宰相と、戦闘者のギルドの頭領である男。そして、かつて王宮舞姫であった――敵方の人間であるはずの女。
 一体何があったのだ。何が起こって、何をどう間違えたなら、このような状態ができあがる。
「頼む……」
 細い肩を掻き抱き、譫言(うわごと)のようにそう繰り返す若者の背を茫然と見遣り、グレイは、床に倒れ伏した男の首筋に指を触れた。鼻先に掌を翳しても、呼気はない。完全に絶命している。
 複雑な思いで、グレイは目の前の男の広く固い胸を見やる。近衛騎士として鍛え上げたグレイよりも余程厚い胸板に突き立てられた、銀の龍。
 恐らく、これが致命傷だろう。
 その瞬間、不意に、ルーカスの腕に抱かれた女の胸の膨らみが、わずかに上下するのが見えた。
「ルーカス、気をつけろ!まだ息があるぞ!」
「……殺すのか」
「――ルーカス?」
「この女も……、殺すのか」
「何を言ってるんだ、おい――」
 肩を掴んで振り向かせた、その相手のあまりに憔悴しきった表情に、息を呑まずにいられない。
 見事だ、と思ったのは、つい先刻のこと。一体、この男以外の他の誰に、混乱しきったあの場を収束させることができただろう。若いが故に荒削りで、敵を作りやすいという欠点はあるにしろ、国を統べるものとして彼はこれまで基本的に間違った選択は――例えそれが、周囲や本人にとってにどれほど過酷なものであったとしても――してこなかった。
 しかしその一方で、グレイはルーカスがどうしようもないくらいに疲れ、疲弊し、擦り切れかけていることに気がついていた。救いがあるとしたら、10年来の友であるグレイの前では、彼がわずかながらも若者らしい表情を見せていたことか。しかし、大胆不敵に何者も恐れない<黒宰相>の内実が、実はとても脆くて弱いということを、グレイは知っている。
 かつて夢見た、誰も剣を握ることの無い平和な国。誰もが安穏と暮らすことのできる、豊かな国。
 夢路の半ばで取り残され、重過ぎる荷を降ろすことも、来た道を引き返すことも出来ず、ただ歩き続けるしかない男の姿が見える。
 それが為政者たる者の定めであるというのなら、グレイはそんな国はいらない。ただ1人、たった1人、それもグレイの友人である男の犠牲の上に成り立つ理想の国は、彼にとっての夢の国ではない。
 ――もしも、そう告げることができていたならば。
 遠くから、無数の足音と共に彼らの名を呼ぶ声がする。騒ぎを聞きつけた衛兵達が、ようやくこの場所に気がついたのだ。
 握り締められた近衛隊長の拳が、若者の胸を打つ。呆気ないほどに抵抗もなく、ルーカスの意識はグレイの腕の中に崩れ落ちた。
 ――もしも、もっと早くに告げていたならば。
 何かが変わっていたのだろうか。






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