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暁の彼方〜第六章 襲撃〜




 グリジア王国第19代国王、シリウス3世の即位6周年を祝う式典は、当の国王、そして懐妊中の王妃の出席のないまま、華々しく幕を開いた。
 本来ならばこの場を彩るべき王宮舞姫の姿はなかったが、あえてその事実を言及する者もない。王宮楽師の奏でる弦楽の調べに、貴婦人達を彩る色鮮やかな宝石が瞬く。
 友好関係にある国の使節や、グリジアから他国に嫁いだ皇女、そして縁戚関係にある東の皇国の使者に取り囲まれながら、宰相ルーカスは手にしたグラスにゆっくりと口をつける。彼は自身の一挙手一投足に人々の注目が集っていることを、十分に自覚していた。
 表向きは母の喪に服し――実際は、王妃との密通の疑惑を追及されて、謹慎をよぎなくされていた宰相がはじめて公式の場へ姿を見せたのである。会場に姿を現して以来、ルーカスの行動はさながら献上された珍獣のように、息をつめて見つめられていた。
 ――これはまた、随分と派手にしたものだな。
 グラス(もちろん、中身は酒ではない)を片手に、宰相である若者は式典の会場となった大広間に目を走らせる。
 グリジア王国は、決して豊かな国ではない。現国王シリウス3世が即位した当時、国庫は先王の放埓により、ほとんど空に近かった。その後の数年間で取りあえず、通常の国務に差し障りないまでには財政は回復したものの、今なお、国民の生活は豊かとは言いがたい。
 ――大体、6周年ってのは区切りがいいんだか、悪いんだか。
 完全に他人事の感想だが、彼はこの式典の進行には係っていないので仕方がない。会場内の装飾にかかったであろう費用を頭の中で大まかに計算しながら、招かれた他国の来賓の顔を見渡して――密かに舌打ちする。
 血縁にある東隣のサイファ公国から招かれた使者が主賓扱いなのはわからないでもない。しかしルーカスが同盟を結ぼうと画策していた帝国の使者はもちろん、西の月英の使者への扱いは、どう考えても昨今の外交情勢にふさわしいとは思えない。
 確かに、グリジア王家とサイファ皇家は血縁であり、言語的にも近しい。何代も婚姻を繰り返し、かねてから親しい関係を結んでいた。しかしグリジアの王女を母に持つ現サイファ王が、武力で王位を勝ち取ったシリウス3世を王として認めず、この国へ野心を燃やしていることを、彼は確信している。
 そうでなくとも、西の月英の勢力拡大が危ぶまれる今、サイファのみと誼(よしみ)を結ぶことに何の得がある。
「――このたびの妃殿下のご懐妊、まことにおめでとうございます」
「まったく、男子ならば、第一王位継承者ですな」
「仮に王子誕生となれば、宰相閣下も肩の荷が下りましょうや」
 ルーカスは曖昧に微笑みながら、周囲の会話をやり過ごした。強い酒の匂いにいささか酔ってきたのか、軽い眩暈を感じて壁際に移動した瞬間、小さな、だが確実に揶揄を含んだ声が、彼の耳朶(じだ)を打った。
「しかし、よくもまあ、自分の母親を……」
「それを言えば、6年前とて」
「……父祖殺しの大罪人ですからな」
 聞こえていることなどは、はなから承知の上なのだろう。ちら、とこちらを見る視線がわずらわしい。今更、そんな刺激に揺り動かされるほどの繊細さなど残ってはいなかったが、酷く、気分が悪かった。
 恐らく、宰相があまりによくない顔色をして、壁にもたれてなどいた所為だろう。入り口付近に控えていた近衛兵の1人が、案じるようにルーカスに近づいてきた。
「……宰相閣下、お顔の色が。大丈夫ですか?」
 その瞬間、唐突にすべての灯火が消えた。



「――ルーカス、伏せろ!」
 聞きなれた声に袖を引かれ、その次の刹那、ルーカスは広間の中央近くまで突き飛ばされていた。暗闇の中、剣と剣がぶつかる音がする。
 悲鳴が、闇の帳を駆け抜ける。グラスが床に飛び散り、毛足の長い絨毯の上に、琥珀色の液体が吸い込まれる。
 薄闇の中、逃げ惑う人々の背が、刃の煌きの彼方に消えた。鮮血が、瞼の裏に無数の軌跡を残して散る。
 明らかな血の匂いに、その場にいた人間達からどよめきが走った。侵入者の数はわからない。しかし国王の即位式典は、惨劇の場へと舞台を変えていたのだ。
「グレイ!剣を!」
 ようやく闇に慣れてきた目をすがめ、ルーカスは声を張り上げた。文官である宰相は原則として、宮殿内で帯剣していない。近衛隊長グレイが差し出した剣を掴み取り、鞘を投げ捨てる。
「誰か、灯りを灯せ!警備の兵の配置はどうなってるんだ?!グレイ、すぐに城内に伝令を出せ。いいか皆、絶対に、1人にはなるなよ!」
 宰相ルーカスの声はよく通る。こんな、悲鳴とざわめきで喧騒状態となった空間でさえ。
 指導者たる者の力強いの言葉に、凍りついていた広間内の兵士が走り出す。やがて壁際の灯火がいくつか、揺れながら熾された。
「まずは客人の避難が先だ。相手の人数を把握しろ。動じるな!こちらの方が人数は多いんだ!」
 斜め後ろから切りかかってきた剣を切っ先で跳ね上げ、膝を折って攻撃をやり過ごす。右脇から訪れた斬撃は、駆け寄ってきたグレイの剣が跳ね除けた。
「伝令は」
「――行かせた」
 再び襲い掛かってきた白刃を、グレイは明確な刃さばきかわして行く。さすがに、近衛騎士隊長の剣技は鮮やかだ。ルーカスを背後にかばいながら、向かい来る敵の刃を正確に跳ね返している。
「ルーカス、お前、出るなよ。こいつらの狙いは、お前だ」
 背中ごしに、グレイがうめく声がする。がつり、と鈍い音がして、広間に備えられていたテーブルの足が砕けた。白いクロスが宙に舞い、グラスの破片が床を散らばる。
 薄明りの視界の隅で、近衛騎士に取り囲まれた異国の客人が、大挙して逃げ出してゆく光景が見えた。開かれた門扉の向こうに、先ほどまでの宴の名残が見える。
 ――そういうこと……か。
 思わず、手にした剣の柄を握り締める。背中合わせに剣を振るう友の耳に何かを残そうとして、一瞬、躊躇した。告げるべきは、感謝の言葉か、惜別か。これが気のよい友との永久(とわ)の別れになるであろうことを悟り、その事実にいささかも心動かされない自分自身に、ルーカスは思わず苦笑する。
「……後を頼む」
「――って、おい。ルーカス!?」
 制止の言葉には耳を貸さず、ルーカスはその場から走り出していた。



 人気のない歩廊を、男が走る。
 岩場から切り出し、磨き上げた大理石で形作られた回廊は複雑に入り組んでおり、迷路の役割を果たしている。だが生憎、この侵入者は宮殿内の構造を熟知していた。
 ――決して、許すことなどできぬ。
 目の前で、血を撒き散らして死んだ女。恨みの言葉を吐き、床をかきむしりながら死んでいった同胞達。怒りにまかせて黒宰相に挑みかかった彼は、無数の槍で射貫かれ、命からがらにギルドの里へ逃げ帰った。
 許せぬ。許すことなどできぬ。ルーカス・グリジア、そして、皇太孫シリウス――いや、グリジア国王シリウス3世だけは。
 そもそも、王の寝所であるこの建物には、配置されている兵の数が少ない。立ち入ることを許された人間がごくわずかである為の警備であったが、王宮全体が混乱の最中、入り込むこと自体は雑作なかった。
 不意にその行く手を、一つの影が遮った。吹き抜けになった広間に、風が渦を巻いて舞い上がる。
「……黒宰相」
 黒髪に漆黒の瞳。肩で息をする若者の両の手には、抜き身の剣が握られている。
「そういえば、カウラに武芸を仕込まれていたな。まさかその程度の技量で、俺を倒せるとでも思っているのか?」
「……まず、無理だろうな」
「ほう。死ににきたとでも言う気か」
 クラネット――戦闘者のギルドの頭領である男と相対し、この国の宰相たる若者は、薄く苦笑する。
「かもしれん」
 だが、とルーカスは呟く。
「俺の命一つで、購えるものがこの国にはある。お前もそのために来たのだろうが」
 言い終えると同時に、刃と刃がぶつかった。ぎん、と剣が震え、目の前に火花が散る。
「くっ」
 まともに打ち合えば体重で押し負けると判断したルーカスは、剣を引いて横に飛んだ。クラネットはルーカスから視線を逸らさずに、彼が飛んだ、そのちょうど反対方向から斬りかかってきた。身をかがめてその先端を避ける。黒髪の一部が根元からそぎ取られ、灰白色の床に舞い散る。
 ――強い。
 人を殺めることを生業とするギルドの頭領。付け焼き刃の武術でかなう相手ではない。
 何度目かに打ち合った瞬間、避け損ねて切っ先を脇腹に受けた。鈍い痛みと同時に、鮮血が床に散る。
 身をかがめ、間合いを取りながら距離を測る。しかしルーカスの方から打ちかかった剣が届くよりはやく、柄の部分でしたたかに鳩尾を殴られた。
「――どうした?もう終わりか?」
 獲物をいたぶる獣は、きっとこのような顔をしているのだろう。クラネットは大きく笑って、刃を振り上げる。
 一瞬、ぐらりと大きく視界が傾いた。ずしり、と重たい感触と同時に、左の腿から剣が引き抜かれる。
 焼け付くような熱さと痛みに、思わず、呻く。どうせならば一思いにとどめを刺すか、利き腕を落とせばよいのに、あえて足を止める余裕が面憎い。
「ギルドの民と――あの女の恨みだ。思い知れ」
 唐突に思い浮かんだのは、目の前の男と同じ瞳の色をした、1人の娘の姿だった。強くて真っ直ぐで、危なっかしいほどに一途で。
 張り詰めた糸を見ているようで、妙に気にかかって目が離せなかった。
「……なあ、最期に一つ聞かせてくれよ。それほど好いていたなら、どうして、認めてやらなかったんだ?」
「何だと?」
「――カウラはずっと、それだけを望んでいたのに」
 ――その瞬間、ルーカスの視界を、銀の龍が駆け抜けた。






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