×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


暁の彼方〜第五章 追憶〜




 案の定、会議は大揺れに揺れた。実のところ、わずか15、6歳の子供が宰相に就任した例は過去になかったわけではない。しかし長年、グリジア王国の宮廷は、地位の世襲制をとってきた。宰相家の人間ではない者がその地位に就く――その事実が何よりも問題なのだ。
 グリジア王国の最高議決会議は通常、王の面前で行われる。シリウス3世に伴われ、王座の隣――国王を補佐する宰相たるものの位置にたったルーカスに、諸官の反応は辛辣(しんらつ)だった。
「この者は、今はなき異国のもの。いずれはわが国を滅ぼす、忌み星のもとに生まれついた者でございますぞ。先の王――シリウス2世陛下はそれをご存知であったからこそ、母子ともども王家の森へ住まわせていたというのに、貴方様は何を考えておられる」
 発言者は、宮殿内の神殿に勤める星見の官である。天空の星の動きを観察し、祭祀や儀式の日取りを決めることを職分とする。国政上の実権はないに等しい。
「よほどその者をお気に召したと見えるが、あなたは宮殿をなんと心得か。奴隷の子や民兵ごときを王宮内に召し上げ、宮廷の風紀を乱す。正気の沙汰とは思えん」
 かつてこの国にも優れた官吏はいた。しかしシリウス2世の治世当時、王の放埓を宥め、グリジアを守る意思のあった国府の人間たちはことごとく放逐、もしくは葬られ、残ったのはシリウス2世の下で人民を虐げた獄吏――もしくは王に媚び諂うことで我とわが身を守り通した、腰抜けがほとんどだ。少なくとも彼はまだ、そうではない官に会っていない。
 ――そうではない人物がいるのであれば、心の底から切実に会ってみたいものなのだが。
「――貴方がたは我らの陛下に、一度口にしたことを翻せ、と申すのか」
 新たに宰相となった少年の言葉に、その場に集まった誰もが一瞬、口を閉ざして彼を見た。
「陛下は私を、宰相に任ずると言った。そして、私はお受けすると答えた。その決定に従えぬと言うのなら、今すぐこの部屋を出て行かれればよかろう」
「我々を脅迫する気か?!」
「何なら、私の権によって、貴方たちのすべてを解任してもいい。宰相にはそれだけの権があることを、よもや忘れられたというわけでもあるまい」
 生意気な、との官吏の声は、新宰相の凍てつく微笑に黙殺される。
 腰を浮かした官はいたが、退室するものはいなかった。それを確認し、宰相ルーカス・グリジアは口の端に薄い笑みを浮かべる。
 シリウス2世は暗君だった。彼を諫めた者、もしくは彼よりも優れていると判断された者は、ことごとく職を解かれて王宮を追われた。――その記憶は、今も彼らの胸に新しい。
「去るものはいないらしいな。それでは、次の議題に入る」
 ――こうして、シリウス2世第13王子ルーカス・グリジアの、グリジア王国宰相としての時代が波乱と共に幕を開いた。



 一刻も早く、官吏の移動を行い王宮内の勢力図を白紙に戻す必要がある。しかし心あるものを拾い上げ、有識のものを抜擢するには今現在、彼らの手元にある手駒はあまりにも少ない。
 国王の執務室の片隅で、ペンを片手に、宮廷の勢力図を書きなぐっていたルーカスは、紙切れを丸めて頭を抱え込みたくなった。
「取りあえず、俺の領地にいる何人かを、こっち連れてこようと思う。後でグレイからも、話が行くはずだ。あいつも武官の中から、見所のあるものを見繕っていたはずだから」
 王たる人に向けたこの台詞に、返答はない。樫でできた机に陣取る年上の青年に向け、ルーカスは訝しげに声を上げる。
「シリウス?」
「それほど……急がねばならないものか」
「は?」
「官にとて生活はあろう。突然宮殿を追い出されれば、行くあてのないものもいる。せめて皆の心積もりできるまで、官の整理を待つわけにはいかんか」
「何を言っているんだ、お前?一時期でも官吏に登用されていたとなれば、再就職のくちに困ることはないだろう。そもそも、何のための給金だ。王宮ではそこらの役場より、よっぽど高い給金を払っているんだぞ」
 西の月英が西方を統一し、国家を作り上げたのが20年ほど前、東隣に位置するサイファ公国、西方の月英と比べ、グリジアは国力、財力ともに極めて乏しい。
 最悪でも兵だけは早いうちに手の内に納めたい。ここで内乱だけは、何としても避けたいのだ。
「しかし、解任されたもの達には、恨みが残るだろうな」
 どこか自嘲的に呟かれた言葉に、少年は目をしばたたく。休息を挟んだとはいえ、ほとんど3日3晩にも及んだ官吏とのやり取りが、若き王に予想以上に深い傷を負わせたことを、本能的に悟る。
「……お前、この国で一番えらいのが誰だかわかっているんだろうな」
「わたしは!」
 声を荒げ、それを恥じたように机上に首を垂れる。蜂蜜色の金髪が、さらさらと音を立て、書類の上に舞い散った。
「わたしは権を振りかざす気はない。祖父様のあり方があまりに非道と思ったから兵を挙げたまで、父上亡き今、王位につくのはこの身しかないと思ったから、王となっただけだ」
 この期に及んでそれを言うか。喉元まで出かかった言葉をかろうじて飲み込む。正直、今は彼自身、誰とも口論はしたくない。
「――そのお前に、俺たちは着いて行くと決めた。お前がどんな結論を出そうと、俺は従うよ。……それが、宰相の役目だ」
 深々と頭を垂れ、ルーカスは国王の執務室を後にする。後には後味の悪い静寂だけが残った。



 ルーカスが自室に戻るや否や、一人の少年がルーカスの元を訪れた。拝礼するより先に、机の上の塵を掃き清め、屑籠の中身を空けて窓を磨く。
 黒髪に褐色の肌。そして漆黒の瞳。グリジア王国王家に使える、奴隷の風貌である。
 給金を貰えるか、否か。奴隷と使用人の差はただその一点につきる。王族や貴族に使用人として雇われたもの達は、その働きに応じて、主から報酬を得ることができる。例え借金をカタに半ば売られるようにしてつれてこられた使用人であっても、借金分の働きによって、自らを買い戻すことが可能だ。
 しかし、奴隷にはそれがない。住むところと食べるところこそ与えられるが、彼らはその恵みを主人に感謝し、その身ある限り、主家に尽くし続けなければならない。
 一通りの清掃を終え、ようやくルーカスに向き直った少年は、笑みを浮かべて新宰相を見る。
「わたしは権を振りかざす気はない、か」
「……」
「すみません。少し聞いちゃいました。さすがは陛下ですね。大変、慈悲深くいらっしゃる」
 ――慈悲深く、聡明で、下々のものにも優しい新国王。
 ルーカス自身が奴隷の子である所為であろう。彼らはルーカスに気安い。ルーカス自身もその風貌に親しみを覚えているから、室内の清掃に訪れたこの少年もまた、時折会話を交わす、顔見知りの間柄であった。
「あの方が王になられて、私たちの住居も変わりました。火の使用が許されて、お湯が使えるようになったし、食べ物も、前よりずっとよくなった。みんな、良い時代が来るって言っています」
 ルーカスは目先の生活の改善よりもまず、奴隷身分の者たちを、給金を与えられる使用人に引き上げてほしいと嘆願(たんがん)した。給金の額は少なくともいい。それでも働きに対して報酬を得られるということが、彼らの希望になるのだからと。
「……本当に、そうなのだろうか」
「ルーカス様?」
「いや……、何でもない」
 シリウス3世は、革命の旗印。彼の掲げる理想とともにあることが、新たな国への第一歩――ひいては、「良き時代」への幕開けだと思っていた。信じていた。
 ――わたしは権を振りかざす気はない。
 その台詞に、間違いはない。振りかざされる権は時折、刃となって人を切り裂く。権力などというものは所詮、誰かの犠牲の上にしか存在しないものだ。
 犠牲を恐れて権を手放すか。それとも積み重ねた屍の上に、己の思想とする国を作り上げるか。
 父親殺し、祖父殺しの咎を背負った彼らには、もとより後者の選択肢しか残されてはいないのだが。
 ルーカスは少年から視線をそらし、窓の外に浮かぶ、糸のように細い雲の行方を目で追った。
 ――恐らく、俺の考え過ぎなのだろう。
 シリウス3世の言葉が、与えられた責任を放棄する、と言っているように聞こえてしまったのは。






扉へ/とっぷ/次へ