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暁の彼方〜第五章 追憶〜




 ――何時まで、こんなことを繰り返せばいいのだろう。
 そう思い始めたのは、一体、何時のことだったろう。
 例えば、罪人の処罰を決める時。謀反の討伐に。反乱の制圧に兵を動かす時に。……罪科ないと知っている者を、そうと承知で罰する時に。
 悔いているわけではない。悔いればきっと、何かが狂いだす。例え生まれ変わっても同じ道を選ぶのだと、何一つ迷いなどはないと、嘘でもそんなふりをしていなければ、きっとこの圧迫感に身体ごと押しつぶされてしまう。
 だけど、もし。
 もしも、何かが違っていたならば。何処かで何かを誤らなければ。もしもあの時立ち止まって、別な道を折れていたならば。
 違う生き方があったのではないかと。別な道もあったのではないかと。もっと別の人生が、あったのではなかったかと。
 ――時折ふと、我に帰るように、そう思うことはあった。


 グリジア王国、王宮。厚く雲の凝った東の空からわずかに曙光(しょこう)が射し込み、西に沈む明けの月の残滓が、石を削って作られた宮殿の壁に、わずかばかりの影を投げかける。
 朝靄の中、王宮から見下ろされる王都は未だ眠りの中にある。だが今、宮殿内の回廊を、息を切らして駆けるものがあった。
「――シリウス、どういうことだ!」
 まだ即位したばかりの新王の執務室、その扉を勢いよく開けた少年は、漆黒の髪を揺らし、肩で息をしていた。
「俺が宰相だと?何を考えてんだよ、お前?!」
「……ルーカス、騒がしいぞ」
 一国の主を「お前」呼ばわりした少年を咎めだてることもなく、齢(よわい)23の青年国王――シリウス3世は鷹揚(おうよう)に笑って見せる。
「何だ、もう辞令が行ったのか。朝のうちにとは言っておいたが、まさか夜明けと同時に使者が向かうとは」
「何の冗談だかしらんが、俺はそんなもの受けないぞ。大体、こんな馬鹿げた話、官吏が納得するものか」
 革命から3月あまりが経過し、宮廷は取りあえず落ち着きを取り戻した。先王処刑に伴い空位となった宰相の位を埋めるようシリウス3世に進言したのは、他ならぬルーカスである。だが宰相がたかだが15歳の子供で、誰が納得するものか。
 王宮の官の多くは心底新王に感銘しているわけではない。変わり身のはやい彼らはただ時流に乗っただけ、腹のうちではいつ自らの罪が明かされるかと戦々恐々、そうはさせるものかと、新王の施政のあらを捜し求める輩も多いというのに。
「だからだ。今の私には1人でも多く味方が必要なのだ」
「だからって――」
「――後宮を整理しようと思う」
 唐突な言葉に、ルーカスは凍りついた。
「おまえも知ってのとおり、先の陛下には側室が多かったならな。その扶持だけで、国庫の負担がどれだけになることか」
 ルーカスの母は先の王の妾であり、彼自身、先の王の王子である。とはいえ、地位のない女奴隷の子、王子として認められたのはわずか1年程前のことに過ぎない。
「……行き場のない女はどうするんだ……」
 シリウス2世の正妃はすでになく、側室も多くは名門貴族の娘、そもそも手をつけただけの女は後宮には入れられないから、帰るところのない女は少ない。親兄弟のない女には大抵、他国や自国に頼ることのできるわが子があった。
 ――たった1人を、除いては。
「そうさな……まさか追い出すわけにもいかんが」
 ルーカスは拳を握り締める。彼の母は亡国の女、生んだ子はわずかに息子が1人。今ここで王宮を出されては、他に行き場がない。
「どうしたらいいと思う?」
「……俺に、それを答えろと言うのか」
 見あげた先、新王の瞳は蒼い。グリジア王国王族に伝わる深海の瞳。王族は皆例外なくこの色の瞳をしていたが、ルーカスはこの瞳を受けつがなかった。
「お前が宰相としてわたしの隣に立ってくれるのであれば、お前の母親の行く先は、わたしが責任をもって引き受けよう」
「……卑怯(ひきょう)だぞ、シリウス」
「卑怯?」
 若い王は、おどけたように笑う。
「請けるも拒むもお前しだい、嫌がる人間を、無理に宰相にする法などあるわけなかろうが」
「俺を宰相にしたいなら、素直に頼むと、頭を下げりゃいいだけの話だろうが」
「――頼む」
 何ら躊躇いなく、年下の少年を前に頭(こうべ)を垂れてみせる。
 この8つ年上の<甥>が、実はかなりの甘え上手であることを、ルーカスは知っている。そしてその深い蒼色の瞳が、国の理想を語る時だけは、甘い顔立ちに似合わぬ鋭い眼光を秘めることも。
 そもそも、ルーカスは先の王が女奴隷に生ませた息子であり、母親と共に王家の森に捨て置かれた少年を拾い上げて王族の末席に加えたのは、この若き王であった。もしもあのまま森に置かれていたならば、今もなお、読み書き一つできなかったことだろう。
 恩義がある。友誼(ゆうぎ)も深い。そして何よりも、彼は新王を敬愛している。
「グリジア王の権を持って、宰相に任ずる。諸官の筆頭として、宮廷を率いよ」
 この若く意欲に溢れた王の治世を、誰よりも近くで見届けることができるのであれば。そして何よりも、この王が<彼>を望むと言うのであれば。
「――かしこまりました」
 それも悪くはないかもしれない。――そう、思ったのだった。



 澄んだ朝の青が、空の至るところを、涼しげな色で満たしている。吹き渡る風に揺れる木の葉は目が覚めるような濃緑、下界の喧騒から切り離された王家の森は、さながら、幻夢の中の世界のようでもあった。
 打ち合わされる剣と剣の合間に、火花が散る。踏み荒らされた下草。折れた枝からのぞく白色の樹肉が、たった今、この場でかなり激しい打ち合いが行われたことを物語っている。
 やがて、上手から打ちかかっていた女が剣を引いた。最後の一突きをかろうじて打ち流した少年は、膝に手を当て、荒い息を吐く。
「……へぇ、あんた、子供がいるのか」
「ああ。今、13歳だ。可愛い娘だぞ。わたしに似てな」
 自画自賛というべきなのか、あるいは単なる親馬鹿というべきか。もっとも、そう言い切った女の美貌は、誰もが認めるところではあるのだが。
「今度連れてくるから、よかったら会ってみないか。今、貰い手を捜しているんだ」
 額の汗を拭い、素手で水を口に運んでいたルーカスは、思わず、口に含んでいた液体を噴出しそうになった。
「はあ?」
「悪い虫がつかないうちにと思っているのだが、なかなかこれはと思うのがいない。お前となら年のころも合うし、よい夫婦になりそうだ」
「ちょ、ちょっと待て」
 腕を組み、一人したり顔で頷く女にむかい、ルーカスはかぶりを振る。
「見所があると思ったからこそ、こうして戦いが終わった後にまで、鍛錬してやているのだぞ。……それとも、わたしの娘では不満だというのか?」
 「戦闘者のギルド」と呼ばれる組織がある。
 もとは山岳地帯を根城とする、反国王勢力の一派であったが、長きグリジア王国の世にあってその傾向を変え、現在、戦闘者のギルドといえば類を見ない戦闘――暗殺者集団として、近隣に名高い。
「そういうことを言ってるんじゃない!大体、あんたの子供なら戦闘者のギルドの娘だろうが。王宮の人間になんか嫁がせていいわけが――」
「だからだ」
 女は蒼穹と同じ色をした瞳に、凛とした色を浮かべて少年を見た。
「愚かだと笑うならば笑え。わたしはあの娘には、ギルドとは違う場所で生きてほしいんだ。己が手を血で染めることも、好きでもない男に肌を許すこともない、そんな場所で」
「あのな」
「だから、お前たちに力を貸した。お前たちならば、誰も剣を取らなくとも生きていける世を――戦闘者のギルドなどというものが、必要のない時代を作ってくれるような気がしたから」
 鮮やかな朱色の髪を束ねて、女は笑う。戦闘者のギルドの女戦士。かつて<戦乙女>と呼ばれた女剣士は、母親の顔をして、ルーカスを見る。
「まあ、単なる親ばかだと言えなくもないがな。我が子が生きる世が、より良き世であって欲しい。母親というのは、そういうものだろう」
「俺にわかるわけないだろう。俺には母親も父親も……初めから、いないも同然だったから」
 父母は在る。いや、在った。先ごろ処刑された国王とその侍妾――その2人が彼の両親だ。
 しかし父は彼を見ず、母はルーカスを愛さなかった。徹底した無視と拒絶、それがこの少年が二親から得たもののすべてだ。
 漆黒の瞳に複雑なものを浮かべる少年を、女は慈しむように見る。そして唐突に、腕を伸ばしてその首を引き寄せた。この1年でルーカスは自分でも驚くほど背が伸びた。自分よりも低い位置に引き寄せられ、自然、彼女に向け倒れこむような形になる。
「お、おい、離せって!」
「そんなことは言うものじゃないぞ。女は子供が本当に要らなければ、月のものが来るまで、河にでも浸かっていればいいんだ。1度じゃ無理でも、2、3度繰り返せば、大抵は流れるんだ!」
「あんた、俺が自分の娘とそう変わらない年だってこと、忘れてるだろ?!」
 むせかえるほどの強さで背を打たれ、なおかつ、くしゃくしゃと髪を掻き分けられ、ルーカスはその手を振り払って身をひいた。彼は既に子供ではなかったが、大人といえる程の人生経験は積んでいない。この手の話は、15になったばかりの少年には少々(かなり)過激で、しかも生々し過ぎる。
「女に、そんな真似をさせるような男にだけはなるなよ」
「――カウラ」
 音もなく背後に回りこんできた影に、赤髪の女剣士の柳眉(りゅうび)が上がった。銀の髪がさらりと風に舞い、鋭い双眸が、森よりもさらに深い翠を宿す。遠目にも逞しい男の姿に、女はほっと息を吐く。
「若頭目殿、じきじきのお迎えか。ではな、ルーカス。先ほどの話、わたしは本気だ。考えておいてくれ」
 芝居がかった仕草でひらりと手を上げ、女は身を翻す。変わりに近づいてきた男はカウラの肩に手を置き、先ほどまで彼らの女戦士とあった少年に、何か深いもの含んだを視線を向けた。
「宰相閣下、ひとつ忠告申し上げよう。女の戯言(たわごと)というものは、まともに取り合わない方がよい。我々は、報酬と引き換えに人を殺す。貴公らに係ったのとて、それ以外に意味はない」
「……」
 疾風のように去ってゆく2人の姿を見送りながら、ルーカスは自らが国王の命により、宰相を拝命したことを告げていなかったことを思い出した。






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