×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


暁の彼方〜第三章 波乱〜




 休むことなく疾走し続けた2頭の馬が歩みを止めた頃には、すでに空には、夜の帳が落とされていた。
 濃い藍色の一枚布の中央には、見事に真ん中で断ち切られた半月が浮かび、その周囲にまき散らされた星屑の煌めきが、まだ青々とした麦の穂を、ほの白い色に照らし出している。
 遠くで、気の早い秋虫の鳴く声がする。一団が広場に陣を構え、天幕を張り巡らせた頃には、村中から人々が集まり、はやし立てる人の声や熱気で、辺りはむせ返るほどの熱を帯びていた。
 雑伎団や旅芸人が村々を訪れて芸を振る舞うのは、かつては、農閑期となる冬場だけのことと限定されていた。
 慣習を破り、収穫期や農繁期にも農村への芸人の訪れを許したのは先の王――愚王として名高い、シリウス2世である。華美を好み、放蕩で国庫を傾けたこの王は同時に、芸術に対する深厚も厚かった。自身の母親が芸妓(げいぎ)上がりの舞姫であったことも影響したのだろう、彼は特に歌舞を好み、優れた芸を見せる者あれば、身分の優劣に係わらず王宮に召し上げた。農村や寒村に、旅芸人達が長らく滞在することが出来るようになったのも、この時期である。
 歴史に名を残すほどの愚王が残した、数少ない功績。しかもそれは紛れもなく、日々を勤勉に生きる多くの人々へ、生きるために必要な潤いを与えている。
 自身を取り巻く人々の視線を感じながら、テラは思った。芸事とはそもそも、その為にあるものではなかったか――と。
 <戦乙女>の娘である少女に、ギルドは当たり前のように2代目の戦乙女であることを望んだ。彼女がその母親同様に戦場に立つことで、人々を鼓舞しようという狙い自体は間違ってはいなかったと思う。
 武芸と音楽の原理には相通ずるものがあるという。ギルドの子供たちは皆、一通りの武芸とともに歌や舞を習う。しかしテラの才能は、武術よりも舞踏に秀でた開花を見せた。
「――さあ、次は皆さんお待ちかね、当一座の踊り子による、女神イージスへの賛美<月神の舞>だよ」
 しゃらん、と手首を彩る鈴が鳴る。裸足の足が、舞台を跳ねる。その動きに合わせて舞い上がる薄布は、まるで意志があるがのごとく、テラの身体とは別な旋律を奏でながら、しかし決して、彼女の肌を離れることはない。
 王家の森を逃げ出したあの夜、自分は一度死んだのではないかとテラは思う。王宮に戻ることなど出来ず、ましてやギルドの里にはもっと帰れない。ならばこのまま死んでしまおうと思った彼女は、崖下に倒れているところを旅芸人の一座に拾われ、そのまま彼らの一員となった。
 ――その選択が正しかったのかどうか、今はまだわからない。
 満場の拍手に惜しまれ、幕間(まくあい)に身を隠したテラは、不意に肩に冷たい手を置かれ、飛び上がりそうなくらいに驚いた。
 しゃら、と髪飾りが揺れる。頭の後で高く結わえた赤髪を彩る真珠色の細工物は、先に舞台を張った街で、言い寄ってきた街長の息子からちゃっかり拝領したものである。
 右肘を畳み、反動をつけて斜め下から相手の腕を跳ね上げる。膝を折り、体勢を低くとってから、振り払ったその手を再びつかみ取り、斜め下からねじ上げた。
「痛っ、ちょ、ちょっとテラ!」
 残念ながら、刃の類(たぐい)はここにはない。しかし手刀を首に押し当てられ、腕を掴んで柱に押しつけられ、テラの肩に手を置いた若い女は、2つの目を飛び出さんばかりに見開いていた。
 「あ……」
 はた、と我に返る。身体は自然、慣れ親しんだ動きをたどる。目の前の人間が敵ではないと悟るのが、遅すぎたのだ。
 この一座の一員である、軽業師の女だった。目を瞠(みは)るくらい高いところを張り巡らした縄を軽々と渡り、目にも止まらぬ早さで転がる大玉を操る。かつて所属していた雑伎団では空中ブランコなるものに乗っていたことがあるという。話を聞いて、是非一度見てみたいものだと思ったものだった。――が。
 実際のところ、戦闘者のギルドの人間は、一般の民に好かれているとは言い難い。彼らがもたらす死と戦乱のイメージが、人々を恐れさせる所為だ。もしも素性が人々知れた時、彼らがどういう態度を取るのかはわからなかった。
「……ごめんなさい」
 捕らえていた腕を放すと、衣装の皺を直しながらよろよろと立ち上がる。わずかばかり怯えたような視線を、目の前の踊り子に向けている。しかし強いて、責める様子は見せなかった。
「テラ、貴方にどんな事情があるのかは、聞かないわ。だけど今の貴方はここの踊り子。そうでしょう?」
 おかしなところのある集団だ、と思う。素性を明かすことのできない娘を、ただ舞うことができるという理由だけで一座に加えた座長の女は既に老齢で、舞台に立つことはない。踊り子がテラを含めてわずか3人と、他に軽業師と蛇使いの若者が1人ずついるに過ぎない、ごくごく小さな一座だが、その舞台は常に盛況だった。
「――オウカ、何やってるの!出番だよ」
「はあい。今行きます!」
 舞台と舞台裏を区切る布の向こうで、また新たな歓声が上がった。名を呼ばれた軽業師の女が、衣装の裾をひらめかせながら消えて行く。テラの記憶に誤りがなければ、今頃は、一座の唯一の男性である蛇遣いのダワが、愛蛇のクランと共に村人の目を丸くさせているのだろう。
 赤髪の踊り子は陰りを帯びた目で、彼方の方角を見やる。藍色から黒色へ変わりつつある墨色の空は、その色の名を通称に持つ、1人の男の姿を思い起こさせた。
 ――あの男は果たして、自分の<舞>を見てくれたことがあったのだろうか。ふと、そんなことを思った。



「――あなたはご自分の立場を、なんと心得か!」
 がたん、と机が揺れる衝撃に、その場にいたすべての人間が目を見開いた。固唾を呑んで、激高した男と、その論敵である若者を見る。
 <黒宰相>ルーカス・グリジアを、口で言い負かすことは極めて難しい。相手のわずかの失言さえも見逃さず、ただちに反撃へと移る器量、巧みに論点を煙に巻き、言質(げんち)を奪い取るその舌鋒(ぜつぼう)、そして何よりもわずかばかりの失点さえない彼の言動が、政敵らに付け入る隙を与えない。
 よって、現在グリジア王国宮殿にある官庁の人間、彼らすべてにとって、今目の前にある若者は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵といっても過言ではなかった。
「確かに、あなたも先の王の子には違いなかろう。しかし所詮は奴隷の子。卑しい身の上で国政を恣(ほしいまま)にすることを恥とは思われぬのか!」
「……ほう。俺の立場を知らんというのか?お前たちは?」
 ルーカスは胸の前に腕を組み、いっそ、面白がってでもいるかのような態度で、場に集った一同を見渡した。
 この数ヶ月間、議題はまったく変化がない。ルーカス・グリジアは帝国との同盟を望み、着々と準備を進めていたが、官の多くはそれを好まなかった。同盟ともなれば、宰相が王の名代として、誓書に署名することになるだろう。それはすなわち、今のこの国の為政者が誰であるか、国内外に知らしめることを意味する。
 しかもここ最近、王妃が不調を訴え公儀を欠席し、彼らは名実共に、仰ぐべき対象を失った。先の王が奴隷に生ませた異形の王子は、そもそも崇拝の対象にはなりえない。
「――お前は俺に、帝国にグリジアを売り渡す気か、と問うたな」
「……」
「何も国の自治を明け渡すわけではない。幸い、あちらは現在、わが国に攻め入る程の余裕はないからな。しかし東のサイファ公国、西の月英(げつえい)は別だ。機を見て必ず出てくるぞ。矜持(きょうじ)を持つのが悪いとは言わんが、戦が起これば踏みにじられるのはお前たちでなく、この国の民だ。
 ……己が手で守れぬのなら、多少の屈辱に耐えてでもできうる限りのことをするのが、国を預かる者の努めと心得るが」
「……帝国の後ろ盾を得る、ということは傘下に入るということと同義だ。そのような国の大事を、あなたに決める権限があるのか、と聞いている」
 ルーカスは破顔する。
「俺にどれだけの権限があるのか。それは俺よりも、法に詳しい者に尋ねたほうがよかろう」
 射る程に鋭い視線に耐えかねて、法務を司る庁の官吏の1人が目をそらす。ルーカスは冷ややかに微笑みながら、その場を一瞥した。
「答えられないらしいな。ならば皆に聞こう。俺を宰相に任命したのは、どこの、誰だ?」
「……」
「俺の記憶に誤りなければ、この国の法で、官を任じる資格があるのは国王だけだったはずだが。そして宰相は諸官の筆頭――王なき時にはその代行が勤まる、たった一つの官位あったはずだ。違うか?」
 官の任命権こそないものの、それ以外のすべての政務の代行が勤まる、唯一の官位が宰相であった。そもそも、国王と宰相以外の人間には、御璽(ぎょじ)を扱う資格さえないのだ。
 今この場に集まった国の官、そのすべての筆頭であるはずの若者は、傲然と言い放つ。
「俺がこの場にあることが不満だというのならば、ただちに国王陛下に決済を仰げ。宰相を解任でする方法はただひとつ、――王の勅命によってのみ、だ」





扉へ/とっぷ/次へ