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暁の彼方〜最終章 いつか、来る日〜




「――それで、王子様と踊り子はその後、どうなったの、お母さん?」
 寝台の上に半身だけを起こして、少女はその鳶色の瞳を輝かせる。実話と創作を織り交ぜた寝物語を語っていた若い母親は、慈愛のこもった微笑を浮かべ、わが子の胸に上掛けを押し上げた。
「そのお話はまた明日。さあ、もう良い子は眠る時間ですよ」
 月はうっすら翳りを帯び、藍色の空は夜更けに向け、その色を強めはじめている。物語の続きをねだる子供を宥めその頭を枕に沈めようとした瞬間、聞き覚えのある低い声音が、母子二人を押し包んだ。
「なんだ、居間にいないと思ったら、二人ともこっちにいたのか」
「――あなた、お早かったのね」
 王国の騎兵隊に所属する夫は今晩、宰相の息女の婚約を祝う宴の警護に出かけていた。今秋には、東西を大国に挟まれ、国力も武力も圧倒的に劣る小国の姫が、北の大帝国に輿入れする。というと、まるで政略婚姻のようだが、実際には幼い頃から聡明で知られた宰相の長女が帝国に留学した折、親しくなった皇子との三年来の遠距離恋愛を実らせた、正真正銘の恋愛結婚である。
 大体、その姫君の両親である宰相とその妻自体が、王族の血を濃く引く若者と身分のない踊り子という、存在自体が希少価値の夫婦だった。彼が妻を娶った時の一連の行動――自分自身の王族の籍を抜いて臣籍に降下し、踊り子を誰もが認める大貴族の養女にして正式に婚姻するという、ある意味ではたいそう強引な、そしてある意味では実に見事なやり口は、今でも王宮の中で、語り草となるような事件である。
「とっくにお開きだ。宴といっても来てるのは、ごくごく内輪の人間しかいなかったしな」
 堅苦しい襟元を緩めながら、夫は子供部屋から寝室へと続く扉を押し開く。聞き分けよく寝台に横たわった娘の額に口付けを落としてその後を追った妻は、夫の言葉の意味するものに思い至り、掌を唇に押し当てた。
「内輪の、人間」
「もう一度、宰相の下で軍を統括して欲しいと言われた。命令ではない、嫌なら断ってくれと但し書きがついてはいたが」
「それで、あなたは何とお答えになって?」
 彼女の夫はかつて、王国の近衛騎士隊長を勤めていた過去がある。しかし、王家に――国王に極めて近い地位にあった彼は、後にある事件の責任を取らされてその地位を退き、領地の邸で十年以上謹慎に近い月日を送っていたと聞いている。
 もっとも、許されて彼が王都に戻った後に娶られた年若い妻である彼女は、その事件の仔細を知らない。彼女にわかるのはただ、夫が外で言われている程には、自分を追放した宰相である男に、悪い感情を抱いていないということだけだ。
「少し考えさせてくれ、と答えておいた」
 唐突にくっ、と夫の喉奥が鳴った。良く見れば、心底おもしろくてたまらない、という顔をしている。
「しっかし、あの野郎、目出度いはずの宴の間中、ずっと不機嫌そのものって顔してたぜ。娘を嫁に出す時の父親ってのは、そんなもんなのかね。……まあ、俺もいつか、あいつが嫁ぐ日なんか来たときは――」
 幼い娘の眠る部屋へ愛情ある視線を投げかけ、夫は額に掌を押し当てた。どうやらいつか来るであろうその日を、脳裏に思い描いているらしい。その逞しい肩に両腕を回して引き寄せながら、妻はその濃灰色の双眸(そうぼう)に、心のこもった微笑を投げかけた。
「そうですわね。いつか来る、その時には」
「……」
「幸せになりますわよ、あの子も。宰相閣下と奥方様や、あなたとわたくしのように」
 揺るぎない幸せを掴むことのできる人間は、そう多くない。本人の素質や努力はもちろん、周囲の環境や、純粋に運不運の問題もある。事実、この国で最も高貴な地位にある人間――グリジア国王シリウス3世はもう十五年以上の自室から出てこないままだし、精神を病み、奇怪な言動が目立っていた王妃レノラは数年前にこの世を去った。
 けれど……と。愛しい伴侶の体温を感じながら、彼女は心の奥底で、明日の夜には彼らの娘に、物語の最後の一文を語って聞かせようと決意する。
 ――二人は結ばれて、末永く幸せに暮らしました、と。



 グリジア王国第19代国王シリウス3世は、その三十七年に及ぶ治世の大半を、自室から外へ出ることなく過ごした。
 シリウス3世治世当初から、第20代女王アグネイヤの治世初期まで宰相を努めたルーカス・グリジア(後にグラディスと改姓)の没後、幾多に及ぶ動乱の末、グリジア王国は滅亡する。
 高い技術力を誇り、東西貿易の拠点として栄えたグリジア王国は、現在、いくつかの国の史書にその名を残すのみである。






暁の彼方は完結しました。この物語にお付き合い下さったすべての方々に、心より御礼申し上げます。

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