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暁の彼方〜第十四章 暁に散った夢〜




 ルーカスが執務室から王宮中心部へ繋がる回廊にたどり着いた時、辺りは垂れ込めたもので、白く霞(かすみ)がかった状態になっていた。
 宮殿の構造上、中央付近に国王、王妃が暮らす正寝、そしてその西方から南方にかけて王宮で暮らす人々の住まう官邸や邸がある。季節は冬の只中、そこもかしこも、今この空間にあるすべてものが、触れれば手が切れる程に乾燥しきっている。西の建物に燃え移れば人的被害は免れないし、万が一森に火が入った場合は、王都の町や民家にまで、飛び火することも考えられた。
「――状況は」
「陛下、妃殿下、及び王女殿下につきましては、先ほど避難を終えました。ただ火元が正寝の内部だった為、消火につきましては今のところ後手に」
「シリウスが……出てきたのか」
 炎と煙に燻されたからとはいえ、王が公の場に姿を現したなら、それは約五年ぶりのことだ。
「ですが、我々にはお言葉は下さらず……。お姿を拝見したものも、輿に乗られる間のごくわずかのことで」
「――お前ら、今気にするのはそこんとこじゃねぇだろ……」
 いつの間にか背後に現れた近衛騎士隊長の口から、至極まっとうな意見が述べられる。まったくもってその通りだったと、ルーカスは額に手を添えた。親友との争いが一時中断されたのは素直に嬉しいが――例えそれが、そんなどころではなくなった、という負の要因によるものであっても――それを喜んでいる場合ではない。とはいえ、今の自分が何か言ったところで、どれだけの人数が従ってくれるのか。眉を顰(しか)めて煩悶(はんもん)しかけたルーカスの耳に、ひそやかなやり取りが飛び込んできた。
「――隊長」
「どうした」
「西塔に火が」
 西塔は、近衛軍の詰所である建物の名称、ルーカスがテラを行かせた、政治犯収容の牢獄もその近くにある。
 見えるはずのない方角に向けた視線が険しくなったのが、自分でもよくわかった。彼女だけは生きて幸せになって欲しい。その思いが、自己満足であること自体は否定しない。あるいは、偽善と謗(そし)られても仕方のない行為かも。だがルーカスはもう二度と、自らの大切な人間が無残に傷ついていく様子を、手をこまねいて見ていることだけはしたくなかったのだ。
 ――その思いが、災いしたとしたら。

 

 王宮に隣接した軍の宿舎は粗末なつくりで、骨組みも建材も強固とは言い難い。いったん火の粉が飛べば、ひとたまりもなかったことだろう。建物はその原型を残さず、燃え盛る朱に蹂躙される様は、薪と焔の関係をも思わせた。
 降り注ぐ火の粉は雪のよう、枯れ枝の上にとまったそれが、焼け焦げた臭いを燻しはじめる。滲むような赤が目に痛い。駆け巡る煙が太陽を押し隠し、すべてのものが、陰鬱な色彩で彩られつつあった。
「宰相閣下、お待ちください、ここはもう、」
 無理です。共にその場に駆けつけた兵士の一人がそう継いだ。もう消し止めることはできない。ならばここは燃えるに任せて、他の建物や人間を救った方がいい。
 その一言に、ここまで胸底で燻りつづけていた激昂(げっこう)が、遂に全身を突き抜けた。気づいた時には静止の手を振り切って、友の胸倉に掴みかかっていた。
「グレイ、てめえっ……!!」
「――宰相閣下!」
「どうして、見張りを残しておかなかった?!」
 王宮で火の手が上がった瞬間に的確な処置を施せてさえいれば、これほど大きな事態を招かずに済んだ。そもそも、この男が余計なことさえしなければ、あの娘を――テラをみすみす、こんな危険な場所に連れてくることもなかったのに。
「――いねぇよ」
「……何だと?」
「ここに戦闘者のギルドの人間はいない。違うんだ。ここに、ここにいたのは……」
 轟音を響かせ、柱の一つが崩れ落ちた。掴んでいた布地を手放すと同時に、青年の膝が、雪中に崩れ落ちる。
「……グレイ?」
 奇妙に脱力した相手の様子を訝り、はっと何かに思い当たる。この近衛騎士隊長であるグレイは、この西塔に誰よりも広い自室を持っている。ルーカス自身も何度か足を踏み入れたことのあるあの場所に。
「まさか、あそこにいたのは――」
 宰相を任命する権があるのは国王のみ、国王の勅許なくして、ルーカスを宰相の地位から罷免することは誰にもできない。ここに至るまで、それがルーカスの強みであり――そして同時に弱みでもあった。王不在、あるいは王があっても執務に携われない場合にのみ、宰相の権は保証される。裏を返せば、シリウス3世本人の意思が確認されるか、もしくは王そのものの権威が否定された時、宰相は国権の代行役としての権限を失う。
 今回の一連の出来事がまさにそれだった。シリウス3世の正当性を否定することで、グレイはルーカスの目の前に、お前が後生大事に守ってきたものを突き崩すのは、実はこれほど簡単なことなのだと突きつけて見せた。――が。
「まさか、親父があの中に……」
「鍵は俺が持ってた。自力で抜け出せたはずは……ない」
「……」
「俺の敗け……だ」
 グレイがすべての権を握るためには、シリウス2世の存在が必須だった。その存在がなければ、近衛騎士隊長にシリウス3世とその宰相を追い落とすだけの権威はない。
「……」
 ぱらぱらと火の粉が舞い飛び、周囲の雪原を溶かして消える。じりり、と髪の焼ける音と異臭でようやく我に帰ったルーカスは、目の前の男の胸倉を掴み取って突き放す。成す術もなく、ただ寄り集まっていた兵士の一人が、大柄な男の体を受け止め損ねてたたらを踏んだ。
「おい、そこのお前」
「は……」
「その腑(ふ)抜けを捕えておけ。自刃しないよう見張りをつけてな」
「あの、ですが」
「あの中には、もう誰もいない。ここに囚われていた人間も、匿われていた人間もいない――ならばこれ以上、ここにいたって無駄だ」
「……ですが、しかし」
「誰に向かって口をきいている。命令は俺がする、反問は許さん。――お前、こいつの副官だろう。所属と名は」
「近衛軍第二騎兵隊長、エドガー・コンフォードと申します」
「ならば、エドガー・コンフォード」
「――は」
「グリジア王国宰相の権を持って、今からお前に全軍の指揮権を委ねる。まだしも風上の方が被害が少なかろう。東の広間を解放して、怪我人を誘導しろ。鎮火に必要とあれば建物はいくら壊しても構わない。まずは人命の救助が最優先だ。――行け」
「畏まり……ました」
 煙を透かして見上げる空は熱を孕み、ただ錆色に熟れて固まる。誘われるままその彼方に視線を滑らせ、ルーカスは一瞬、瞠目(どうもく)した。
 戦闘者のギルドはこの場所にはいなかった。しかし彼女が仲間を探し当て、王宮を抜け出すくらいの時間は十分にあったはずだった。ならば今はもう、ルーカスが彼女の為にしてやれることはほとんど残されていない。
 ……テラ。
 ――俺は、お前を守れたろうか。



 結局、炎は一昼夜近くかかって、王宮の西側半分と王家の森の三割近くを燃やし尽くして鎮火した。
 執務を再開した宰相が責務から解放されたのは、それからさらに三日近くたってからのこと。不眠不休で働いて、怪我人の救護や死傷者の救出の目処がつき、あとはもう、この文字通りの火事場を、どう片付けてどうやって日常を取り戻すか、という最大の難関が残されているだけだった。
 一度帰って寝てくると、執務室近くにいた近衛兵に告げた時には、頭痛と眩暈で吐きそうだった。やるべきことを迅速に行い、取るべき手段を確実に取った。それでいて頭の半分で別なことを考えていた所為もあるだろう、常よりも疲労が深い。
 そんな中、自邸に戻るには必要ないはずの中庭を、どうして通ってみる気になったのか。――本人もしかとはわからない。



「……ったく、こんなところまで焼けてやがるのかよ」
 燃え残った紙や木、引き千切られてた名残も無残な布地が、辺り一面を散乱する。降り積もった雪の白とあいまって、それはさながら、騎馬に蹂躙された戦場の有様を思い起こさせた。
 足許にまとわりつく何とも知れぬ焼け滓を、強引に振り払う。しばらく歩いて、冬囲いを終えた噴水に行き当たったルーカスは、ふと、既知感を覚えて歩みを止めた。
 ――そこで何をやってるの?
 ――それは、こっちの台詞だ、と何度言ったらわかる。
 そういえばそんなこともあったと、思わず苦笑する。あの頃は自分で思い返してみても、気の張り詰め通しだった。感情の荒ぶるままに声を荒げ――酷く気まずい思いをしたことを、昨日のことのように思い出す。
 しばしそのまま歩み続け、足許に点々と異質な何かが染み付いていることに気がついた。既に乾ききり、粘度を帯びたそのものは、先へ進むにつれその濃さをましている。眉を寄せてその軌跡を追っていたルーカスは、やがて目の前に酷く鮮やかなものを見つけて、歩みを止めた。
「は……」
 変色し、どす黒い染みとなって辺りを覆う血の跡。そして冬囲いを終えた庭木の、周囲の筵(むしろ)の上でひらひらと――あるいはふわふわと、揺れているものは。
「これは……」
 見間違えるはずもない。あの日、宮殿の広間で舞っていた彼女の身体を、他のどんなものより鮮やかに彩っていた――、
 深紅の、髪。
「嘘だろ」
 言葉が先に口を吐いて出る。血の海に浸るかつての仲間。目の前で苦悶の声をあげて死んだ母。そして、友の裏切りを記す書面。嘘であって欲しい光景なら、飽きるくらいに眺めてきた男の、それが偽らざる心境だった。こんなものは嘘だ。あってはならないまやかしだ。――こんな結末など、俺は決して、望んでなんかいなかった。
 手を伸ばし、掴みとったものを握り締め、目の前に翳してみる。かなり根元に近いところで、刃によって断ち切られている。両腕で狂ったように掻き分けた茂みの脇に、さらに濃い色の血溜りを見つけ、たまらずその場に膝をついた。
 飛び散った血の量。半ばで断ち切られた髪。多分、この場所で何かが起こった。――そして、その後。
 ――何が、あったんだ。
 今彼があるこの場所で、何か予想もしていなかった事態が起こったことは間違いない。しかし、この髪の持ち主であるべき人間の姿がこの場にないことを、幸いと取るべきなのか、それとも不幸にもととるべきなのかは、さしものルーカスにも判断がつかなかった。
「どうして……」
 仲間達を探し出し、王宮を逃げ出すくらいの時間は十分にあったはずだった。普通、別行動を取った相手の行く先に敵が集まっていたら、そこは切り捨てても先に向かうだろう。ましてや彼女には、自らの組織を救い出すという急務があった。……だが。
 ――皆のことは心配してる。でも今は、仲間より、あなたの方が心配なの!
 ――逃げてもいい。あなたが本当にそう望んでいるのなら。
 だが、ルーカスは忘れてはいなかったか。あの時も、あの時も。あの娘はいつだって、彼の思惑とは異なった行動をしてくれるのだ。
 爪が喰い込むほど強く握りしめた男の拳の狭間から、一筋、また一筋、深紅の髪が散って行く。
 守りたかった。助けたかった。――縋りたかった。
 テラが生きて幸せであってくれるなら、それが自分の隣でなくとも構わなかった。あの娘は幸せになるべき人間だ。恐らくは、天性のものなのだろう、哀しみに溺れることのない強靭さと、屈託や痛みを力に変えて生きていける柔軟さ、――得がたく、そして貴重な二つの能力をかねそなえて持っていた。
 途方もなく重い荷を負い込み、下ろす術がわからずもがいている男の目には、その光が眩かった。共に背負って欲しい、とまでは言わない。ただ、手を引いて欲しかったのかもしれない。しかしそれが決して、彼女自身の幸せには結びつかないだろうことは、当の本人が重々承知していた。
 だから、断ち切った。もう決して、引き返せない場所まで来てしまったことを承知で、それでもあの娘だけは、自分と同じ場所に落とし込むまいとした。
 なのにどうして、彼女が消え失せる。この世から消えてなくなるべきなのは――、自分の方ではなかったのか。
 


 グリジア王国暦シリウス3世6年冬。王城正寝付近より出火した炎によって、宮殿総面積の三分の一近くが焼失、鎮火に手間取った近衛軍の失態によって、死者、行方不明者合わせて四十余名を数える、大惨事へと発展した。
 この惨事と、国王王宮関係者のすべてを危険にさらした事態の責任を取って、近衛騎士隊長グレイ・クレスタが辞任、後任にその副官、エドガー・コンフォードが就任する。
 ――そして、この出来事より後。
 <黒宰相>と<戦乙女の娘>が出会うことは、二度となかった。





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