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暁の彼方〜第十四章 暁に散った夢〜




 ぎん、と鼻先で刃が揺れた。同時、目の前に白く光るものが散る。息を切らしながら飛び退ったルーカスは、掌に痺れを感じて剣の柄を握りなおす。本音を言うなら晒か何かで、剣と手を縛り付けておきたい気分だった。
 初めて剣の手ほどきを受けたのは、王宮で暮らすようになった十四の歳、付け焼刃の技術のわりには、上達が早かったと自分でも思う。その後、戦闘者のギルドの女戦士に剣術と体術を教えられ、それなりに身を守る術は身につけた。だがそれもあくまでもそれなりにであって――決して並外れた技量ではないことは、当の本人がもっともよく理解している。
 いつしか机は脇にのけられ、椅子も仮眠用の長いすもひっくり返って、そこらに転がっている。向かい合うグレイもまた、肩で息をしていた。衣服の肩の辺りが裂け、うっすらと血が滲んでいる。彼にとってもまた、楽な状況ではないらしい。恐らく、手を出すなと厳命されていたのだろう、扉の外の近衛騎士たちが、踏み込んでこないことだけが唯一の救いだった。
「――ルーカス、お前、腕を上げたな」
「……約束、したからな」
 どうせこの男に救われなければ、十年も昔に森で散っていた命だ、と思わないわけではなかった。けれど捨て去ろうとすればするほど、瞼の裏に浮かんでくるものがある。
 ――黒宰相って、あなたに取り付いている魔物の名前だったのね。
 テラがそう言って手を取ってくれた瞬間、彼女の微笑みの向こうに、ルーカスは小さく光るものを見た。それは想い、想われ、誰かと手を携えて共に人生を歩んで行く――そんなありきたりの、だからこそ手に入れることが難しい人生でもあり、また同時に、彼がこれまで一度も目を向けてこなかった、自身の未来や望み――属に<希望>と呼ばれるもののすべてでもあったかもしれない。
 例えそれがどれほどささやかなものであっても、目の前に光るものがあると、人は容易に自分自身を投げ出すことができなくなる。目の前にある可能性に、縋ってみたくなる。この救いようのない、どうしようもなく愚かな男の行く末にも、もしかしたら、今よりずっとましな何かが転がっていやしないか、と。
 打ち掛かってきた刃を掻い潜り、下方から刃先を跳ね上げる。剣の腕は明らかに相手が上、ついでに言うなら体力的にも、一晩ほとんど寝ていないこちらより、向こうの方が勝っているに違いない。気づいた時には跳ね上げたはずの切っ先を、逆に叩きつけられていた。痺れが肩と言わず、右半身全体に広がって行く。跳ね上げられた剣が、床に落ちる。そのけたたましい響きと同時に、グレイが大きく左足を踏み込んできた。
 剣を拾っている暇はない。幸い、この場所自体はルーカスの領域だった。手近にあった引き出しを引き開け、その中から取り出した硬筆の鋭端を、向かい合う相手に投げつける。一寸の隙もなかったグレイの構えが、はじめてぐらりと大きく横に揺らいだ。
「っ……」
 先端が頬をかすめたらしい。左目の下から顎にかけての皮膚が大きく裂け、血の雫が滴り落ちる。床に落ちた剣を拾い上げたルーカスとの間合いが縮まり、再び目の前に火花が散った。
 これまでに何度こうやって、鋼(はがね)と鋼を――あの頃は練習用の模造刀だったのだけれど――をぶつけあったことだろう。感慨は躊躇いを生み、躊躇いは迷いを誘発する。背中が壁を打ち、息苦しさに顎が持ち上がる。武器を投げ捨ててしまいたくなる衝動と必死に戦いながら、ルーカスは唇を引き結んだ。
「そうやって、ずっと、俺を憎んできたのか、グレイ……?」
 濃茶色の眼差しが揺らぐ。いいや、と呟くその面に宿る表情は、敵意というより慈愛に近い。
「俺としては、お前が人を想う気持ちを知って……いつか、こういう話題ができる日を、楽しみにしていた」
「……」
「だから、お前があの娘に気をかけていると知って、けしかけた。正直、今はどちらかというと、嬉しい……かな」
 どう考えても、刃と刃を打ち合い、互いに傷だらけになりながら交わす会話ではない。どうして自分とこの男が争わなければならないのか。脱力感を覚えたルーカスが腕を引こうとした、その時だった。
 引き千切る勢いで、外側から扉が開いた。その向こうにいたはずの兵士達が、雪崩打って駆け込んでくる。
「お前達!」
「――何をしている、手を出すなと言ったろう!」
 ルーカスとグレイ、双方に同時に睨み付けられ、兵士達はあからさまに竦みあがった。その中から進み出てきたやや年嵩(としかさ)の騎士が目線で他の兵士を抑え、二人の目前に跪く。
「申し上げます。王宮正寝近辺より出火、炎は徐々に広がり、西の方角に向け、燃え広がっております。どうかご指示を。――お願いいたします」
 思わず窓の外を仰ぎ見る。国王夫妻の居城である建物自体は、この部屋の窓から見ることができない。けれど硝子窓の向こう、晴れ上がった空の片隅から、明らかに雲とは違う煙が西に向かって揺らめいていることだけは、かろうじて見て取ることができた。



「どうしてあなたがここにいるの――カイザック」
 拘束を受けた――受けているはずの戦闘者のギルドの若頭目を向かい合い、テラは言葉を絞り出す。戦闘者のギルドは、その能力が<黒宰相>と結びつくことを恐れた、近衛騎士隊長グレイによって捕らえられ、王宮へと連行されたはずだった。テラは彼らを救い出すために、ルーカスと別れて今、ここにいる。なのに、そのギルドの人間が、どうして王宮の敷地内を闊歩(かっぽ)などしている。
「それはこちらの台詞だな、テラ」
 父親によく似た険しい双眸が、さらに狭められる。彼は刀を帯びていた。王宮の敷地内に、武器を帯びて戦闘者のギルドの頭目が現れる。しかも、テラの行く手を待ち受けるかのように。
 その事実に、テラの背筋に冷たいものが滴り落ちた。
「カイザック、あなた……」
 <黒宰相>と戦闘者のギルドが結びつくことを避けたいと思った時、最も能率的な手段は何だろう。戦闘者のギルドを捕縛して、拘束してしまうことも手段かもしれない。けれどもし、彼らを掌中に収めることができれば、そんな不安など、まるでなくなるではないか。
 ――わかったろう。これが<黒宰相>流の借りの返し方だ。
 あれは……。
「あたしを騙して、<黒宰相>を殺させようとした。……そういうことなの」
「そもそも、ギルドと王宮をもう一度結びつけたのはお前だろう、テラ。俺はお前のやり方に習って、近衛騎士隊長と取引をしただけだ。戦闘者のギルドは近衛騎士隊長につく。ギルドの人間はもともとシリウス2世と黒宰相には恨みを持っているからな。こちらの方がより自然だとは思わないか」
「そんなこと!」
「奴が実権を失ったなら、与えられた旅券も身分証ももう使えない。ならば今、実権あるものと結びつくのは当然だ」
 <黒宰相>が駄目なら、近衛騎士隊長へ。それはまるで、壊れた歯車を取り替えるかのように。
 彼はずっと、そんな思いを味わってきたのだろうか。荒れ狂った森を一人でさ迷ったり、自分を殺しにきた女に縋りついたりしなければ、自分自身が誰なのかわからなくなるほどに?
「戦闘者のギルドはいつから、権力者に阿(おもね)る狗(いぬ)に成り下がったの?!それにまだルーカスは実権を手放したわけじゃない。軽はずみな行動は、かえって組織を潰すわ!」
 テラの言葉に、くっ、とカイザックは咽喉を震わせた。
「お前がそれを言うか。黒宰相に阿(おもね)って、恨みも誇りも忘れた裏切り者が」
「違う、あたしは!」
 すらり、と男が腰に刷いた刀が引き抜かれる。
「俺はお前に機会を与えたはずだ。――なのにテラ、お前は何故、奴を殺さなかった?」
 もしも本当に彼がテラとギルドを裏切っていた場合は、<黒宰相>を殺して自分も死ぬつもりではあった。だがそれでもきっと、テラはルーカスを憎めなかっただろう。ただそこまで至ってしまった心情を思って、哀れに感じただけだったろう。
「しかし、<戦乙女>も哀れな女だな。結局、娘は母親を殺した男を許したか」
「……してない」
「何だと?」
「許してなんかない。――だけど、あたしはあの人が好きなの!」
 ルーカスに惹かれている。それはもう、どうあっても否定できない。彼が好きだ。もう二度と、自分が死んだ方がよかったなどと、思ったり口にしたりして欲しくない。
 けれどそのことと、母を死なせたことを許すこととの間には、隔たりがあるように思えてならない。多分それは今でもまだ、テラがルーカスを許しれていないからなのだと思う。
 ルーカスを許すも許さないも、愛すも愛さないも、テラが決めることであって、他者に踏み込む余地はない。許せと請われて――あるいは強制されて、与えられる許しなど許しではない。ルーカスは決して、テラに母を死なせたことを許せとは言わないだろう。それを求めればテラがどれだけ苦しむか――多分、誰よりもよく知っているから。
「……ならば、俺はお前を裏切り者として処断しなければならないな」
 剣の柄を握り締め、後退したテラの足首が雪に触れ、脹脛までが雪に埋まり込む。飛び掛ってきた相手の刃を刃先で受けると、身体中に痺れが走った。
 ――強い。
 王宮の兵士達より――これまでに刃を打ち合ってきた、他のどんな相手よりもその刃さばきは鋭かった。恐らく先の頭領であるクラネットより、その力量は上だろう。一太刀も浴びせることなく、くらりと目の前が傾く。
 一体どこを斬られたものか、足許にぱたぱたと朱が散る。しかしまだ動ける、と思った次の瞬間、今度は背後の茂みに向け、鮮やかに赤いものが飛び散った。
「あ……」
 足首から崩れ落ちるようにして、雪の中に片膝を突く。ひやり、と冷たい感覚と共に、切っ先で顎下を持ち上げられた。
「ひれ伏して許しを請え、テラ。そして、今度こそ黒宰相を殺して来い。――そうすれば命までは取らん」
 知らず、唇をかみ締める。こうしてテラをいたぶることでこの男は、テラの母――カウラへの恨みを晴らそうとしているのではないか。テラがルーカスに心を許しかけていると知って、黒宰相の裏切りを演出してみせたのも同じ理由だろう。憎悪と絶望、憎しみと狂気で、頭の中の何かが一本ねじ切れている。
 ――あたしも憎しみに囚われていた間、こんな、歪んだ目をしていたのだろうか。
「……嫌よ。誰がするものですか。そんなこと」
 思い切り首を横に振り切り、掌で雪を噛むと、意識が急速に覚醒する。剣の柄を支えに立ち上がると、感嘆にも似た声が上がった。
「ほう……、まだ立ち上がる気か」
「あなたなんかにルーカスは殺させない。あたしも……ここで、死んでなんかやらない」
 自分の命も。大切な人の未来も。共に歩むと誓った人生も。
 諦めない。諦めたくない。
 それを希望と呼ぶのだと、テラは悟った。自ら投げ出さない限り、決してなくなりはしないもの。
 機会があるなら、ただ一度。技量的にも体力的にも、それが限界だろう。背後にあった噴水の石壁で身体を支え、テラは少しずつ移動する。
 ――微かに悲鳴を聞いたと思ったのは、その時のことだった。
 卓越した技量を持つはずの戦闘者のギルドの若頭目の意識が、一瞬、目の前の獲物から逸れた。今だ、と思ったテラが足を前に踏み出す。その事実に気がついたカイザックが、刀の柄に手をかける。
 力も技量も相手が上、だが純粋に速さなら、身が軽い分、テラの方に分があるはず。――だった。
 ごう、と頭上で何かが鳴いた。ばらばらと何かが足下で割れ、建物の二階近辺の窓から火の粉が舞い落ちてくる。
 吹き付けてきた熱風に煽られ、テラの身体は大きく揺らいだ。次いで、驚く程近いところに白刃を見、やがて視界が赤一色に変わっていった。
 




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