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暁の彼方〜第十四章 暁に散った夢〜




 近衛軍の中でも、精鋭中の精鋭、近衛騎士隊が出てくる。そう言ったルーカスの予想は半分は当たり、そして半分は外れた。王宮の中枢部へと近づくテラとルーカスを阻むものはなく、そしてまた、背後から迫ってくる者もいなかったのだ。
「――気づいているか?」
「ええ」
 回廊の中央奥の柱の影で、人の気配が揺らめいた。ちらり、とそちらを見やったテラの視線の先で、兵士の1人が身を翻す。兵がいないわけではない。ただ行く手を遮ろうとしないのだ。剣を手に、戦おうともしない。ただ監視するかのごとく、彼らはただ行く先々にあるのみ。――はっきり言って、武器を構えて向かってこられるよりずっと、気味が悪い。
「俺たちの行く先を確認して、報告しているらしいな。このまま進ませて、どこかで待ち伏せる気かもしれない」
 並んで手近の柱の影に身を隠すと、自然、向かい合う体勢になる。テラも女にしては背丈のある方だが、きっちり頭ひとつ分は、ルーカスの方が背が高い。
「テラ、聞いてくれ」
「ここで引き返せって話なら、お断りよ」
 先手を打ったテラの言葉に、ルーカスは苦笑する。
「そういうことを言っているんじゃない」
「なら、どうして」
「二手に別れよう」
 その唇が発する言葉に、思わす目をしばたたく。近衛騎士隊長グレイと話をつけて、拘束を受けた戦闘者のギルドを解放する。その為に、ここまで駆け抜けてきたはずだ。ただでさえ少ない――否、たった二人しかいない手勢を、ここでわけてどうすると言う。
「この回廊を西へ逸れれば、近衛騎士隊の詰め所の近くに出る。昔、政治犯限定で収監していた建物があるんだ。最近は使われていないから、戦闘者のギルドを拘束するなら、まずそこだろう」
 当然、監視の目はそこにもある。だが侵入者のうちの黒宰相が別行動を取るとなれば、兵士の多くはそちらに向かう。たった一人でギルドを解放することは困難には違いないが、無事にギルドと合流さえできれば、こちらは戦闘の玄人集団だ。実力行使で王宮脱出も不可能ではない。
「……そんなことを言って、またよからぬことを考えてない?」
 自分が囮(おとり)になろうとか。
 時間を稼いでその間に、他の人間だけを逃がそうなどと。
「よからぬって……おい、俺はそんなに信用がないのか?」
「――ないわ」
「テラ、お前な……」
 真顔での即答を笑い飛ばそうとして、テラの剣幕に圧されたように、瞳の色が真摯になった。確かに戦闘者のギルドを解放するだけならば、ルーカスが言った方法が一番確実性が高いのかもしれない。――しかし。
 拘束を受けた仲間より、今前の前にいる男の身を案じている。その思いに偽りはない。安否の知れないギルドの人間たちが気にかかる。だがそれよりもっと強い気持ちで、テラは今、目の前にいる男を失うことが怖いのだ。
 不意に、顔の近くに突き立てられていた掌に力がこもった。そのまま見た目よりはずっと太くて面積のある柱とルーカスの身体に挟まれ、思わず瞼を押し伏せる。
 微かに触れた唇と唇が、欲ではなく熱だけを伝えあった。
「……約束したろう」
 すべてが終わった暁には、共に生きようと。
 長い指が頬を這い、眦を辿って髪に触れる。呼吸が混ざる程の間近で視線を見交わし、ルーカスはふ、と笑んだ。
「ようやく手に入れたんだ。これをあっさり手放せるほど、俺は自虐的でも禁欲的でもないからな」
 こんな時に、そんな笑い方をするなんてずるい、と思ったが、高鳴ってしまう鼓動は止められない。赤くなっているに違いない頬に冷えた手の甲を押し当て、テラはルーカスを見つめあげた。
「……わかったわ」
 生きて再び会いたい。共に生きて行きたい。現実が甘くないことなど、百も承知している。夢や希望など、現実の前にはただ儚く散ってゆく。だが意思は――意思だけは、自ら諦めない限り、奪われはしないはずだ。
「ギルドのことは任せて。<黒宰相>が単身で乗り込んで解放してくれたと知ったなら、戦闘者のギルドは皆、今度こそ本当にあなたにつくわ」
「気は抜くなよ。数は少なくとも、この先に出てくる相手は遣い手ばかりだ」
「ええ。あなたもね」
 王宮内の見取り図ならば、ほぼ正確に頭の中にある。これから報告に向かうのかもしれない。テラが駆け出した瞬間、視界の隅で、回廊の端にあった兵士が身を引いて、奥の建物へと消えて行くのが見えた。
 ――生きて再び会いたい。この先の人生を、この人と共に歩んで行きたい。
 願うことはだた一つ、――ただ、それだけだった。
 自分が殺した女の娘に、進んで討たれようとした若者も。憎み続けた男の心に、血の通った温もりを与えようと誓った娘も。
 ――そのあまりに儚い願いの行く末を、彼らはまだ知らない。



 <黒宰相>の執務室に、冬の陽射しが降り注いでいた。磨きこまれた玻璃(はり)の窓から覗く四季折々の光景を、ルーカスは殊の外気に入っていた。春に綻ぶ庭木の花。夏に吹き上がる水の飛沫。秋口に舞い散る落ち葉の赤と。真冬に降り続く雪の白。
「――よお」
 けたたましく扉を開け放ったルーカスを、ことさらに呑気(のんき)な声が出迎える。これまでとまるで変わらない――つとめてそう振舞っているのか、ルーカスには見分けがつかない。はじめてほんのわずかに、幼い頃から見知っているこの友人を恐ろしい、と感じた。
 ――俺は今の今まで、こいつの何処を見てきたんだ……?
 こうしている間にも背中の扉ごしに、駆けつける兵士の怒声や足音、息を殺してこちらの様子を窺っているのだろう、ひそめた息づかいが伝わっていた。グレイには、はじめから<黒宰相>を止めるつもりがなかった。だからこそ、テラとルーカスは易々と王宮に侵入できたわけだが、だからと言ってあっさりここから脱出できると思うほど、ルーカスの思考回路はおめでたくはない。
「遅かったな。もうちっと早くつくかと思っていたぞ」
「グレイ、お前何を考えて、この先……何をどうする気なんだ」
 は、と青年は肩で笑う。
「お前、本当に<黒宰相>か?もう少しましなたずね方はねぇのかよ」
「グレイ!!」
「口の利き方に気をつけろ、ルーカス。宰相の任命権があるのは国王のみ、なんだろう?だが、お前を宰相にしたあの王は、真の王ではないな。お前にその気がないのなら、俺がそれを世間に知らしめてやる」
 死んだとされていたシリウス2世が生存している――。それは決して、明かされてはならない秘事だった。グリジア王国の法制上、譲位には先の王の意思がいる。いくら正統な王位継承者とはいえ、事実が明るみなれば、先王の許可なく王位についたシリウス3世の権威は失墜する。
 しかし――。
「そんなものに、民がついて行くとでも思っているのか?!」
 もともと、大地からの収穫は民を食べさせるにかつかつ、余剰は交易の益が作る。その交易も、長年政情不安定が続いてまともな通商が難しかった上、山間国の常で冬の間は荷が動きにくいから、王都の備蓄も各地の領庫も、この冬を乗り越えるにぎりぎりの蓄えしかない。本来なら、ここで内輪もめしている余裕など、逆さに振ってもありはしないのだ。
「――それがどうした」
「グレイ、お前!」
「民心なんてもんは、状況に応じてころころ変わる勝手なもんだ。期待するだけ期待して、都合が悪くなれば斬って捨てる。事実、シリウスが政務を取ってないと知って、それでは駄目だと声をあげた民が一人でもいたか?――お前だって、本当はわかってるんだろうが」
 ――俺の存在など、かけかえのきく歯車のようなものだ。
 ――国でも民でも王でもない、あなただけの欲しいものはないの?
 少し前までであったなら、ここで王は国の礎(いしずえ)だと言い切ることもできたかもしれない。この身体に半分だけ流れる王家の血脈を、その論拠とすることもできただろう。しかし今のルーカスは国や王というものの必要性を、以前のように盲目的に信じきることができなかった。彼は王のものではない。国のものでも、民のものでさえもない。王も宰相も――否、人は皆、誰かの期待を負うこともできるが、捨てることもできる。すべてを覚悟の上で引き受けるか、すべてを投げ打ってあくまでも己を貫くか、その選択は実は、彼らの意思にのみ任されていたのだ。
 ……こいつなら、わかっている。俺が今頃になってようやく気づいた事柄など、とっくの昔に知っていた。知っていて、伝えようとしていてくれた。
 この時になってようやく、ルーカスは今この男に問わなければならない、たった一つの言葉に思い至った。
「グレイ、そうまでして、お前が欲しいものは……何なんだ、一体」





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