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暁の彼方〜第十四章 暁に散った夢〜




 夜が、明けようとしていた。
 厚く凝った雲が半ばで割れ、その狭間から、光の階(きざはし)が舞い降りている。徐々に明るむでもなく、少しずつ白(しら)むのでもなく。厚い雲底が割れた瞬間に、いきなり朝の陽射しが顔を出すのだ。陽射しを浴びた雪の粒がきらきらと瞬き、薄氷にうっすら雫が滲む。雲と雲との合間の空は、晴れ渡っていた。グリジア王国の冬は長く厳しいが、こうした悪戯を見せることが、ごく稀にある。
 王宮内が騒がしくなったのは、西の空に沈み行く夜が、払拭されはじめた頃のことだった。
 部下の兵の報告を聞いて、近衛騎士隊長グレイは立ち上がる。未明、王宮に侵入者あり。その数、二名。侵入者達は、グレイが配置した兵士の網をたくみにかいくぐり、着々と王宮中央部にむけ、近づいてきているらしい。
「……ったく、人の気もしらねぇで」
「は?」
「いや、なんでもない」
「とにかく、警邏の兵を増やします。特に陛下のいらっしゃる正寝に人員を裂いて――」
「――必要ねえよ」
「し、しかし……」
 そんなものくらいでは、テラとルーカスを止めることなどできやしまい。だからこそ恐れたのだ。<黒宰相>と戦闘者のギルドの結びつきを。
「俺たちがどう足掻こうが、あいつは来るさ。何しろ<黒宰相>だからな」
 投げやり、とも取れる指揮官の言葉に、名前も知らない若い兵士が、困惑したように立ち竦んでいる。武官は常に上意下達――上官の意には、絶対服従を強いられる。命令には従う。それが義務だ。だが心の奥底では、上官に対する疑念を持ち続けているに違いない。
 ――すまない……な。
 ふと、謝罪の思いが胸を過ぎったが、それが今更、何の意味も持たないことは承知している。何を犠牲にしても、誰を裏切っても。例え行く先に何が待ちうけていたとしても、この道こそが、グレイが自らの意思で選んだ道に相違なかった。


 ――俺と一緒に来てくれ。俺と生きて欲しい
 ――もう一人にしないで。ずっと一緒にいて。
 誓いの言葉も宣誓も、すべてを見届けた証人もない。思い返せば夢のよう、だがそれは、決して忘れることのできない一時だった。自分が欲する相手から、自分もまた求められている。思いは色褪せることなく、今なお、胸の内にある。


 戦うことには、慣れていた。欺くことにも、抗うことにも――自分が手にした刃が他者を切り裂く、その感触を歓びと感じる、そんな世界で生きてきた。
 知らなかったのは、戦いの中にあって、誰かに背を預けることのできる安堵。例えば、乱れた呼気を収めて、足を踏み出す刹那。鋼(はがね)を弾いた手先の痺れに、動きを止めその瞬間。無防備な背中を誰かに預け、ほんの一時、息を吐き出す。
 目でも耳でも言葉でもなく、皮膚感覚で感じる安堵。それはほとんど快感にも近い。
 ――母さんも、そうだったのだろうか。
 だからこそ、夫を持ち、子を育む当たり前の人生ではなく、戦場を駆け巡る生き方を選んだのか。
 何度目かに打ち合った兵士の剣が、弾き飛ばされ回廊を飛んだ。武器を失くした兵士の足を足で掬い、当て身を食らわせ打ち据える。滴る汗を拳で拭い、同じく武器を振るう相手の背に背を預ける。テラと背中合わせたルーカスの目前では、武器を奪われた兵士の1人が、慌てふためきながら逃げ出して行くところだった。
「……あまり、戦意は高くないみたいね」
 床に倒れ付した数はわずかに数人、戦わずして、逃げ出した数の方が遥かに多い。ここに至るまでに出会った、ほぼすべての兵士がそうだった。武器を奪われればあっさり身を引き、進路を譲る。まるではじめから――戦う気などないかのように。
「あいつの口癖だったからな」
 苦笑と共に、ルーカスは息を吐き出す。命を粗末にするな。地べたに這いつくばってでも生き延びろ。死んで亡者になってしまっては、守れるものも守れやしない。
 武官の長たる立場にあって、部下に死ぬなと命じる上司など、ほとんど奇跡と言ってもいい。かなり無軌道で、いい加減の謗りをほしいままにしてきた近衛騎士隊長ではあるが、その言動故にグレイは部下達には、絶大な信頼を受けていた。
 ――羨ましいと、そう思っていた。
 ルーカスにないものを、すべて持っていた男だった。人を思いやる朗らかさも、他人を理解できる寛容さも。あまりにも近くにありすぎて、その大切さに気がつかないくらい、すべてを当たり前のように享受してきた。甘やかされていたのだと、今ならわかる。その心地よさに浸かって、ずるずると際限のない依存の仕方をしてきた。
 裏切られたのではない。裏切らせたのだ。グレイが何を考えているのか知れないが、こんな方法で、実となる何かがあるはずもない。誰よりも近くにいながら、たった一人の幼馴染がみすみす誤った道に踏み込んで行くのを、気づいて止めてやることができなかった。
「このまま王宮の中心部に進めば、出てくるのは、近衛軍の中でも精鋭中の精鋭の近衛騎士隊だ。――もう、引き返すことはできないぞ」
「……望むところよ」
 するり、と剣の切っ先がしまわれた。一瞬、動きを止めて見惚れてしまうくらい、優美な動きだ。隙を見て、打ち合う相手の懐に飛び込む足のさばき、振り向きざまに切っ先を返し、加減して敵を打ち据える技量――その一つ一つが、目を見張るまでに美しい。そのまま、軽やかにステップでも踏むように、足許に倒れ付した兵士の胸を蹴り上げる。く、と呻くような音がして、若い兵の顔が床に沈んだ。
 この状況で男顔負けに戦って、自分自身の身を守ってくれるのは、ありがたくもあれば頼もしくもある。しかしここまで呆気なく、鍛え抜かれているはずの王宮警護の兵をばたばたと倒してくれると、少々複雑な思いがしないでもない。
「……大したものだ」
 呟きの内容は、彼自身に対しても平等に振り分けられる。まったく、これほどの女に命を狙われて――しかも当の本人に抗う気がなかったにも係わらず、よくぞ今まで生き延びてこられたものだ。
「ルーカス?どうかした?」
「……あ、いや、何でもない」
 眼前にそびえるのは、複雑な文様を刻み込んだ門柱。塵一つなく掃き清められた回廊が、朝日を浴びて白々と光る。14の歳まで森で育ち、その後王宮へ引き取られたルーカスは、よくも悪くもこの場所以外の世界を知らない。ごく稀に夜の街に気晴らしに出て、明け方人目を避けて忍び込むような真似をしたことはあっても、異物として侵入したことは勿論一度もない。
 ――俺は、ここを守りたいのか、それとも壊してしまいたいのか。
 相反する2つの感情は、確かに今、この胸の内にある。だが今、この場所でどれほど息を吸い込んでみても、問いかけへの返答は得られなかった。もしかするとそれは、この先のどこか――この先で出会う誰かの隣にのみ、埋もれているものなのかもしれなかった。



 ――すべてが終わったその時には、ずっと一緒にいられるのだと、思っていた。
 近衛騎士隊長グレイが何を思い、何を考え、そしてルーカスはその行動と目的を、どんな手段で阻もうとしているのか。
 テラはあえて問わなかったし、ルーカスもまた、強いて語ろうとはしなかった。問われたところで、答えられなかったのかもしれない。ここまで至る中、テラがルーカスの口から聞いた言葉は、ただ1つ、決着をつける、それだけだった。
 決着をつける。たった数文字の言の葉の中に、戦闘者のギルドの救出も、柵(しがらみ)からの解放も、共に歩むと誓った未来も含まれているものと、テラは信じた。交わした約束を違えることなく、王家の森から王宮へ向かうまで、ルーカスは決して、彼女を振り払おうとも、追い払おうともしなかったから。――心の隅に幾ばくかの割り切れなさと、ほんのわずか、だけど確かな違和感を抱えながら。
 テラは、気がつくべきだったのかもしれない。
 ――すべてが終わって、それでもまだ、俺の命が残っていた時には。
 共に歩むと誓った未来。その約定が、実はひどくあやふやな前提の上に成り立っていたということを。





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