×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


暁の彼方〜第十三章 裏切るもの、裏切らぬもの〜




 冬の空は流れる速度で、その色を変えて行く。王家の森に足を踏み入れた途端、あれほど静かに振り続けていた雪が、横殴りの猛吹雪に変貌した。
 泣き叫ぶ風。打ち鳴らされる木々。枯れ枝は氷雪の重みに軋み、雪の礫(つぶて)は岩肌に打ち付けられ、砕けてはぱらぱらと散って行く。
「――上手いのね」
 ぱちん、と控えめに爆ぜる炎の向こうに感嘆の声を聞きつけ、ルーカスは枯れ枝を握っていた手を止めた。濃灰色の岩で囲まれた空間で、炎を囲んでいるテラの瞳は、薪をくべるルーカスの手の辺りに向けられている。
「……何の話だ?」
「火の熾し方。あと、野宿の方法も」
 雨風を凌ぐ場所を見つけること。よく乾いた枝を集めて火を熾し、食料と飲み水を確保すること。それらすべてはこの森で育った幼年期に、ルーカスが否応なく身につけた習性だった。
「……お前もな。正直、あれほど馬を駆ることができるとは思っていなかった」
「あたしは、山間育ちだもの」
「――それほど、仲間達が心配か?」
 ルーカスの問いかけに、テラは抱えていた膝の上から顔を上げた。普段より心もち蒼褪めた頬に陰影が浮かび、鮮やかな瞳の色をより明確に際立たせる。確かに母親ほどの美貌ではない。だが今、向かい合っている娘の全身には、咲きかけの花、降りはじめの雪を見ているような、瑞々しさと眩(まばゆ)さがあった。
 この娘は、どんな男のものになるのだろう。ふと、そんなことを思う。
「恐らく、俺と戦闘者のギルドが結びつくことを恐れた、一時的措置だろう。安心しろ、とは言わないが、危害を加えられることはまず――」
「――わかってるわよ。そんなことくらい」
 思いの他強い言葉で遮られ、ルーカスは口を噤んだ。それきりテラもまた何も言わず、再び自らの膝に額を押し当てる。沈黙と拒絶、痛みと悼み――様々なものが入り混じった濃灰色の岩肌で、焔が踊る。時折、薪が爆ぜる音が静寂をかき乱す空間で、そうしてただしばらく、互いの呼吸の音を感じていた。



「――テラ、お前は、このまま引き返せ」
 どれくらいそうしていただろう。沈黙を押し破る低い呟きに、テラは顔を上げた。
「え?」
「お前の仲間達は、俺が責任を持って解放する。お前は何もわかっていない。王宮が、どれほど危険な場所であるかも含めて、な。さっきのことでわかっただろう。今の俺にはあの場所で、お前を守りきるだけの力はないんだ」
「嫌よ。絶対に嫌」
「テラ、今回ばかりは本当に聞き分けろ。俺とあいつの問題に巻き込んで、お前に何かあったら……、カウラに何と言って謝ればいい?」
 ――この人は、狡(ずる)い。
 テラの母親を殺したのは、他でもないルーカス自身なのに。そのことを謝罪する気も、許しを請う気もないくせに、こんな時だけ、仇(かたき)であることを、利用しようとしている。
 知らずかみ締めた唇の裏側に、苦いものがこみ上げてくる。狡いのはテラも同様だ。彼を許せる度量もないくせに、これほどまでに、傍にいたいと願う。
「それほど、俺が信用ならないか?お前達は約束を守った。俺の――<黒宰相>の名にかけても、戦闘者のギルドをこのままにはしない」
「そんなことを言ってるんじゃないわ」
「お前な、ならどうして」
「行くのなら、行けばいいでしょう。だけどあたしが、行きたいと思う場所に行くことを、止めることはできないはずよ」
「テラ!」
「あたしは!」
 ごう、と風が渦を巻き、薪の炎をさらって通り過ぎる。四方を岩壁に囲まれた洞窟に、風の通り抜ける空間があるらしい。ちらちらと目の前に粉雪が散った。
「皆のことは心配してる。でも今は、仲間より、あなたの方が心配なの!!」
 冷たく張り詰めた漆黒の瞳がはじめて、驚いた、といった風に見開かれた。口まで半開きのままで固まっている。
 テラ自身、今、この場所で、どうしてそんなことを言ってしまったのかわからなかった。この人は強い。容易なことでは崩れたりしない。その強靭さは貴重だ。だけど同時に見ているのが怖い。ぎりぎりまで張り詰め、緩むことを知らない精神は脆い。何かの拍子で断ち切れる。
「お前……、何を言って」
「……痛くはないの?」
 持ち上げた指先で、男の首筋に二筋、開いたままの傷跡に触れてみる。ルーカスは抗わなかった。ただ信じられないものをみた、という顔でテラを見続けている。
「あたしは、痛かった。あなたに裏切られたかと思った時。信じたいのに信じられなくて、痛くて苦しくて黙っていられなかった」
 友に裏切られた胸は痛まないのか、と。柔らかな声音が慈しむように、若者の肌を滑り落ちた。
 唖然としたまま、ルーカスは眼下の娘を見下ろし続ける。憎まれていると思っていた。どれほど近しくなったと感じたところで、本当の意味で信用されることも、許されることも決してありはしないと。――だから自分の思いからは、必死の思いで目を背(そむ)け続けてきた。
 ――お前は何もわかっていない。
 ――皆のことは心配してる。でも今は、仲間より、あなたの方が心配なの。
 わかっていないのはどちらだろう?頑(かたく)なになって、大切なものから目を背け続けているのは?
 ふと、心が過去に引き戻された。目を逸らすな。背けるな。過去に同じような言葉で、同じような思いを、伝えようとしてくれた人はいなかったか。
 ――お前が……俺にさえも隠し通してきたことだよ。他にもあるんだったら、今のうちに言っちまえ。
 裏切られたから、痛いのではない。憎らしいから、苦しいのでもない。大切だから、かけがえのないものだから、その喪失が辛くて切ないのだ。
 ――いつもいつも、知っていて当然のそんな簡単なことですら、教えられてはじめて気がつく。
「痛いな。とてつもなく……痛い。だが、俺に裏切られた連中だって、同じように痛かったはずなんだ」
 指先だけを娘に向け、そっとその肌に手を触れてみた。多少蒼味がかった頬は白く、柔らかく、淡雪かと思うほど冷たい。指先で触れた箇所を掌で包み込み、わずかに色づいた朱唇をなぞると、白く冷えた肌に鮮やかに、熱が走る。
 ――どうして。
 彼がこれまで失くしてきたもの、一顧(いっこ)だにせず切り捨ててきたもの、欲しいと思いながら手を伸ばせなかったもののすべてを、この娘が持っているのだろう。
「……やっと、わかった」
「ルーカス?」
「欲しいものが、わかった」
 ふ、と乾いた笑みが漏れる。
「お前が欲しい。……そんな望みでは、手は貸せないか?」
「あたしもやっとわかった、気がする」
 頬に触れたままの手に、たおやかな、もうひとつの掌が重ねられた。驚きに目を見開いたルーカスの眼前で、テラはふわりと微笑んでいた。
「黒宰相って、ルーカスに取り付いている魔物の名前だったのね」
 その夜の残り、見る者のいなくなった炎が薪を食いつくし、やがて燃えつき消えてしまっても。寒さなど、まるで感じはしなかった。





扉へ/とっぷ/次へ