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暁の彼方〜第十二章 二つの決別〜




 薄い闇の片隅に、ぽうっとほのかな炎が灯った。おおよそ6年ぶりに感じる外界の空気は、例え室内であっても、あの塔の中とは質が違う。煙管をくわえ、舞い上がる煙を満足げに吸い込んだ男はがっしりとした樫の椅子に身を預け、一人の青年と向き合っていた。
「近衛軍を動かして、戦闘者のギルドを拘束したか。クレスタ家の小童(こわっぱ)めが、一体何を考えておるのやら」
「別に、俺は戦闘者のギルドに恨みなんか持ってねぇよ。ただ<黒宰相>と結びつく危険性のある兵力を排除しておきたかっただけだ」
 グリジア王国は通常、政治と軍事、双方の最高決定権を国王が持つ。武官の最高位である近衛騎士隊長ですら、軍に対する人事や任命の権限がないのだ。さすがに戦時においては国王陛下の御名を借り受ける形で戦場に赴くが、本来ならば兵を進める、兵を引くといった動きのすべてを、王の勅命がなければ行うことができない。
 ところが国王シリウス3世が表向きの政治を嫌って奥へひきこもって以来、宰相ルーカスは軍を掌握することを好まなかった。諸官や諸候を抑える方が先で、そこまで気が回らなかったという理由が半分、もう半分は自分自身の立場に対する遠慮もあったのだろう。グレイがいくら口を酸っぱくして言っても、軍はお前が管理しろの一点張りで、自分の自由になる兵力さえ、蓄えようとはしなかった。
 政治を掌る宰相と、軍権を掌握する近衛騎士隊長。権力の二分は時に、重大な齟齬(そご)を来たすことがある。そう、ちょうど――今現在のこの状況のように。


 
 グリジア王国宰相ルーカス・グリジアが近衛騎士隊長グレイ・クレスタの居室を訪れたのは彼が交渉の為に西方へ旅立つ少し前、夜の闇も押し迫った、黄昏時のことだった。
 グレイは暇さえあれば四六時中ルーカスの執務室に入り浸っていたが、その逆については極めて数が少ない。否、何ら理由なく突然たずねて来ることなど、これまでには一度もありはしなかった。
「ルーカスお前、今何て言った?」
「――親父(おやじ)が生きている。そう言ったんだ」
 西国の女奴隷を母に持ち、その為に王宮では蔑まれてきた若者ではあるが、父方を辿れば先の王の末子――「王子殿下」の敬称で呼ばれるべき身分ではある。もっとも以前、ふざけてそう呼んだ時に本気で嫌がって、その後丸3日間まったく口をきいてくれなかったので、以来グレイは彼を「殿下」とだけは呼んだことがないのだが。
 ――って、ちょっと待て、今何と言ったんだ。
「おや……親父って、お前、それは」
「先王シリウス2世――6年前、俺たちが殺したあの男以外にいるか」
 ルーカスにとっての父親にあたるシリウス2世はその治世後半、暴虐の限りを尽くして王位を追われ、当時の皇太孫シリウス軍によってその首を上げられた。血と戦塵で塗れた新王の時代――現在の王シリウス3世の御世のはじまりのことである。
 もっとも新時代の訪れを願い皇太孫軍に志願した人々のすべてが、先王の遺体を拝めたわけではない。6年前の当時、この王宮の深奥で討ち取られたとされる国王の遺骸は王族としては異例の荼毘(だび)にふされ、王家の森の一角に葬られたとされていた。
「殺した方がいいことはわかりきっていた。その為の挙兵だったんだからな。だがシリウスは俺がなんと言っても、それだけは頑として譲らなかった」
 そういえばあの頃、時折ふと我に返るように思っていたものだった。よくいえば思慮深い、悪く言えばええ格好しいの皇太孫シリウスに、よくぞまあ、自身の祖父を討ち取るだけの度胸があったものだと。
「ちょ、ちょっと待て、それを知っているのは、お前と、シリウスと――」
「少し前までは、あの女(ひと)も知っていた。まだあの頃はそれほどおかしくなってはいなかったから、しばらくは俺が付き従った上で、身の回りの世話をするために通わせていた」
 そう言って歪めた蜜色の頬に、何とも遣る瀬無い色が浮く。挙兵前も挙兵後も、――いや、もっと昔からそうだった。シリウスがそう言ったから。シリウスの望みをかなえる為になら。王の為でも民のためでも、恐らく、国の為でさえもない。ただ一人の為に。それがどんなに汚れた仕事であっても、率先して実行する。それがルーカスという男の生き方だった。
 王家の森に打ち捨てられた王子に心をかけた、若き皇太孫。当の本人達もそう思っていたし、周囲もそう思って彼らを眺めて来た。しかし本当は違う。若き皇太孫のかけた情けなど、ただの気まぐれ程度のものだ。道端に捨てられた子猫にほんの一時、餌を投げ与えてやっただけに過ぎない。決して彼の地位を脅かすことなく、彼の名声を傷つけもしない。何1つ失うことのない場所に自分をおいていて、だからこそ何も持たない幼子に損得なく親切にすることができた。
 とはいえ、あの頃のルーカスに、それに気がつけというほうが無理な話ではあっただろう。肉親の情に飢えた子供は自身に向けられる、どんな瑣末(さまつ)な情にでも、がむしゃらになってすがりつく。幼年期から少年期にかけてのルーカスのシリウス3世への傾倒は、見ている方が痛ましくなって目を逸らしたくなる程のものだった。
「あの頃は嬉しかったんだけどな。シリウスが俺をはじめて、心の底から王家の一員と認めてくれた気がした。だが時がたつにつれ、……重くなりすぎた」
 季節が夏から秋へ変わる頃、王宮に起こった1つの事件を思い起こす。確かに重すぎたことだろう。年々正気を失って行く母親を見続けることが、さぞ苦しかったに違いない。いつその口から秘事が漏れるかと、日々汲々となっていたはずだ。あの女(ひと)を他人の手に渡すわけにはいかない。それだけはできない――その思いが、悲劇を生んだ。
 起こったできごとをよかったなどと言う気はさらさらない。一人の不幸な女のために、そして何よりも自分自身のために、彼は他の道を選ぶべきだった。――だが。
「……どうして、それを今になって俺に言うんだ」
「今だから、かな。今、こんな時だから」
 ――お前、変わったな。
 この国も自分もシリウス3世も、どうなるかわからない今だからこそ、同じ重荷を背負って欲しい、と。真摯に告げる見慣れた瞳に、揺るぎない一筋の――灯明にも似た光輝をみつけ、グレイは深く嘆息する。これまでのように一本気に、ただよりかかる為の何かではなかった。もっと包み込むように柔らかく、暖かなもの。
 何かの為、誰かの為に生きる人間は脆いのだ。寄りかかる何かを無くした途端に生きていることができなくなってしまう。この男が変わったとすればそれはきっと、寄りかかる何かではなく、支えとする何かを見つけた為だろう。
「それだけか?」
「え?」
「お前が……俺にさえも隠し通してきたことだよ。他にもあるんだったら、今のうちに言っちまえ」
 純粋に意外だったのだろう。驚いた、と言ったふうに見開かれた漆黒の瞳に微笑が走る。
「これ以上あってたまるか。――帰ってきたら、酒でも飲もう」
「それは構わんが、途中で潰れるのはご免だぜ」
「……それは俺に飲むな、ということか」
 ――もう大丈夫だ。
 もう、保護者気取りの幼馴染の手は必要ない。例えグレイが裏切ったと知っても、崩れ落ちて自壊(じかい)したりはしない。
 だからもう――裏切っても、問題ない。



「――欲しいものがある、その為には黒宰相が邪魔だと言っておったな」
 くつくつ、と男は喉を鳴らして煙を吐き出す。確かに、名君と呼ばれる器ではなかった。しかし彼もまた即位当初は堅実な治世を敷き、一国の主として周囲に仰がれていた時代もあったのだ。
 それが何が狂ったか政務に飽き、放蕩に流れ、、暴虐の限りを尽くして王位を追われた。もっともその表情に翳りは微塵もない。王宮の片隅、陽の差し込まぬ薄暗い塔の中に長年幽閉されてなお、彼は「王者」の顔をしている。それは確かにグレイのよく知るもう1人の王――シリウス3世にはない側面だった。
「面白い。……実に面白いわ」
 人前に姿を現さないシリウス3世と宰相ルーカスの関係を称して、傀儡(かいらい)と傀儡回しと揶揄するむきがあることをグレイは知っている。――大いなる間違いだ。自室から一歩も出てこない人間が、どうやったら傀儡になりうる。
「俺には、手駒になる人間が少なくてね。まずはこんなせまい所で不自由をおかけしますよ。陛下」
 先王シリウス2世は死んでもなく、譲位に必要な、様々な手続きも踏んではいない。ならばこの国の王はこの男だ。もしもグレイがこの男の存在を公表したならば――。
 この先、大いなる波乱を呼ぶであろうことは目に見えていた。




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