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暁の彼方〜第十二章 二つの決別〜




 結局、一睡もできないままに官邸に戻り、その後は吐く息で白く染まる自室の窓と向き合ていた。眠ってしまうには夜明けが近く、かと言って、王城に向かうには時間が早い。
 窓の玻璃(はり)に映った男の横顔は、我ながら随分と疲弊して見えた。眩暈を通り越して吐き気を覚えるのは、寝不足も限界を超えた所為だろう。濃い茶でも淹れてこよう、そう思ったルーカスが立ち上がりかけた瞬間、部屋の外で声がした。
「――な、何なのですか、あなた方は?!」
 誰何(すいか)の声をあげたのは、かつて彼の母の身の回りの世話をしていた老女である。母が亡くなり、その後世話をしていた娘も去った後、ルーカスが自身の邸に引き取ったのだ。
 身動きする間もなく、激しい音と共に扉が押し開かれた。その向こうから現れた人間には見覚えがあった。国王と王都を守護する近衛軍は、ルーカスにとって馴染みが深い。彼らの上官である騎士隊長が暇さえあれば一日中、宰相の執務室に入り浸っていた為だ。
 先頭に立った男には特に見覚えがある。確か、近衛騎士隊長の副官だ。いつの日だったか、人の仕事場で昼寝していたグレイを叩き起こして、引きずって出て行ったような気がする……。
「――何の冗談だ?お前達、誰の許しがあってここに来た」
「宰相閣下、謀反の疑いにより、御身を拘束させていただきます」
 ルーカスが目を見開くのと、兵士たちが彼の周囲を取り囲むのは、ほとんど同時の出来事だった。近衛軍は国王に直属し、通常その命を帯びて任を遂行する。とはいえ、シリウス3世が自らの近衛騎士に、ルーカスを拘束するよう命じるわけもない。
 ――何が、起こっているんだ。
 近衛隊の統帥(とうすい)権は国王――国王不在の場合は宰相であるルーカス自身にある。ルーカスでもなく、国王シリウス3世でもない、近衛軍を動かすことのできる誰か。そんな人間などいるはずも――
「宰相閣下におかれては、恐れ多くも国王陛下を軟禁し、国政を恣(ほしいまま)にしたその罪業、あまりに明らか。よって――」
 ――いるではないか、ただ一人。近衛軍全体に上官として命を下すことのできる人間が。
 読み上げられる事実無根の書状の文面よりも、末尾に結ばれた朱印に目を奪われた。――用ができるたびに執務室に呼びつけて、何度その名を書かせたことだろう。
「上意により、縄はかけるなとの命を受けております。どうか……ご自愛なされますよう」
 ――グレイ、お前……何を考えて。
 のろのろと腕を下ろしたルーカスの前後左右を、数人の近衛兵が取り囲む。囲まれた若者よりも、むしろ囲んだ兵士達の方が、どこか気まずい顔をしているのは、彼らにとってもルーカスが知己(ちき)である所為かもしれない。
「ル、ルーカス様!」
 唐突に踏み込んできた兵士達と、彼らに取り囲まれて部屋を出てきた主(あるじ)を見定め、エリザは小さな悲鳴を上げた。つくづく、主運のない老女だ。最初の主人を失って、ようやく次の主を見つけて落ち着いたと思った矢先に、こんな不運に見舞われる。
 他人事のようにそう思って、掌を口許にあてたまま立ちすくんだ老女に笑いかける。
「――すぐ、戻ります」
 その約定が果たされるか否か、ルーカスにも自信などまるでなかったが。



 大切なものをごっそり置き去りにした気分で森を抜け、細い路地を斜めに歩み抜ける。王宮襲撃事件の後、王都を抜けることも逃げ出すこともできなくなった戦闘者のギルドが、隠れ家代わりに利用した建物はこのような、しもた屋の並ぶ界隈にある。
 もっとも既に戦闘者のギルドはお尋ねものの立場を解かれ、王都を自由に出入りできる権利を持っている。宰相ルーカスの裏書がある身分証を持った人間たちを、捕らえることができる者はいない。
 そんなしもた屋が立て込む界隈の1つ。この数ヶ月、テラが仲間達と共に滞在していた街角に足を踏み入れた瞬間。
 ――周囲から、火の手があがった。



 しもた屋が立て並ぶ界隈から、顔を出している人々は皆、一手に同じ方角を見つめていた。建物がひしめき合った狭い空は赤い色で染まっていたが、よく見れば周囲に延焼の気配はない。息を切らして駆けつけたテラの袖を引いて引きとめた老婆はその腕に、孫と思しき幼子を抱いていた。
「ちょっとあんた、行くんじゃないよ。もうそっちには近衛兵が集まっているからね」
 近衛兵――近衛隊は言うまでもなく王宮を守る騎士達の集まりであり、国王直属の兵士の集団である。そんな者たちが、どうしてこんな街中に。疑問が顔に出た娘をちらりと一瞥し、老女は深々と息を吐き出す。
「この辺に、戦闘者のギルドが潜んでいたらしいんだ。それが兵士に見つかって連れて行かれる瞬間、火を放ったらしい。まったく、怖い世の中になったもんだよね」
 ――戦闘者のギルド。
 まさか自分が呼び止めたその娘が、当のギルドの人間とは思っても見なかったのだろう。古くからの王都の住人らしい、世話好きらしい横顔には疑りも憂いもない。咄嗟に言葉を返せなかったテラの反応を好意的に解釈したのか、腕を掴んで引き寄せてくる。
「あんたの家はそっちかい。火は衛兵さんたちが消し止めてくれたからきっともうすぐ入れるようになる。……茶でも飲んで行くかい」
 近衛騎士の紋章をつけた兵士たちが、縄打たれた男たちを引き連れて人ごみの中をすり抜けてきた。あの顔もあの顔も、テラがよく見知ったものだ。捕らえられた時に殴られたのか、形相が変わるほど頬を晴れ上がらせたものもいる。
 反逆者、と誰かが叫んで石を投げつけた。大人の拳ほどあろうかという石の礫(つぶて)に驚いたのはしかし、罪人を連行しようとしていた兵士の方だったらしい。人の列からそれた男が一人、取り囲む兵士達の間隙をついて、走り寄ってくる。
 人垣から悲鳴が上がったが、テラはその場から動くことができなかった。こちらに向かってくる男が、彼女にとっては決して、見知らぬ他人ではなかったからだ。
 父親に良く似た銀の髪と、鋭い双眸を持った戦闘者のギルドの若頭目の背後に、複数の兵士が群らがって行く。他の者の耳には届かなかっただろう。だがテラの耳には再び捕らえられる直前に、彼が吐き捨てるように呟いた言の葉が、痛いくらいに突き刺さっていた。
「……わかっただろう。これが、<黒宰相>流の借りの返し方だ」
 近衛軍は国王直属の親衛軍。その統帥権は現在、宰相ルーカスにある。
 ――どう……して。
 お前達を信じると、その口で誓ったのではなかったか。
 <黒宰相>は戦闘者のギルドを裏切った。
 恨みは捨てた。憎しみは思慕と共に、王家の森へ捨て置いた。――ならば今、この胸で燻(いぶ)る炎は、一体何を燃やしているのだろう。




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