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暁の彼方〜第十一章 国境の街〜




 緒戦(しょせん)勝利、と言っても差し支えのない状況に、シルーズの城砦は俄(にわ)かに活気づいた。傷の手当を行う者、杯を交わして互いの無事を祝う者それぞれの顔に、今日を無事に生き抜いたことへの晴れやかな安堵が見える。
 昨夜から今朝にかけての積雪により、あまり水量の多くないニジェール河の水嵩(みずかさ)は増していた。簡易的に塞き止めらただけの水流でも、十分に威力がある程に。グリジア兵の渡岸を待って堰切られた水が濁流となって押し寄せた後、彼らは背後を気にすることなく、安全な砦へ帰還することができたのだった。
 無論、グリジア兵にも数十名の死者および、それを上回る数の負傷者が出た。しかしそれでも、予想をはるかに下回る結末であったといえるだろう。あのまま戦闘が続いていたならば、被害はこの程度では済まなかったはずなのだ。――誰も皆、気がついている。それが真実、誰の功績によるものであるのかを。
 床や窓枠、腐った手すりなど、思い思いの場所に陣取る雑兵(ぞうひょう)達の合間を縫い、グリジア王国東部軍指令官ランヴェルト・グリジアは1つの姿を捜し求める。銀龍の一団を率いて彼らを救った、彼の知る女とはほんの少し違った風貌の――だが<戦乙女>と呼ばれるべき、1つの存在を。
 まったく……と彼は胸の内で嘆息する。はじめに河の上流の地形図がほしい、といわれた時には、どうしたことかと思った。敵に回せば恐ろしいが、味方となれば、これほど頼もしい相手はいまい。
 下級兵が集まる広間にいくら目を凝らしても、目指す相手の姿はなかった。代わりにランヴェルトの姿に気づいた副官が、「将軍」と呼ばわり近づいてくる。
「――申し上げます」
 ……やはり、来たか。そう思って密かに拳を握り締める。こちらの国の指導者殿の腹もなかなかに黒いが、あちらの国の新王殿も、小競り合い程度の争いに負けてあっさりと兵を引くほど、可愛らしい性格はしていない。生き残った手勢を集めて夜襲を仕掛けてくる可能性もあると、見張り場には兵の数を増やし、監視の目を増やしてあったのだ。
 しかし副官はその口から、信じられない言葉を口にした。
「先ほど、見張りの兵より報告が。ニジェール河西岸サイファ領にて、今も篝火は燃え盛っておりますが、河原に兵の姿はなく……サイファ軍全隊、夜陰(やいん)に紛れて、撤退をはじめた模様です」

 

 闇を裂く篝火(かがりび)の赤が、徐々に遠ざかって行く。
 完全に枝を落とした樹木が生い茂る丘陵は、丘と呼ぶより山に近いくらいに峻厳だった。あるところでは小高く積もった雪が城壁となり、またあるところでは吹き溜まりに集められた枯れ落ち葉が天然の要塞となって視界を遮り、そこに潜むものの影をおいそれと外にはあらわさない。同時に眺望という点においてはこれ以上とないくらいに良好で、国境の河川敷の様子はもちろん、降るように流れる星屑の瞬きのひとつひとつまで、掌中に収めたかのごとく見て取れる。
 その気配に最初に気がついたのは、戦闘者のギルドを統べる若頭目――カイザックという名の若者だった。
 サイファ公国軍による夜襲を警戒していたのは、城砦の兵士だけではない。彼らもまた、その可能性は十二分にあると踏んだ上、今朝方の戦闘の名残も生々しい河原の様子が手に取るように見て取れる丘の上に布陣し、密かに敵軍の動向を見守っていたのだ。
「――おい、あれを見ろ」
 思わず後方を振り仰ぎ、おなじ箇所を見ている仲間の顔を見つめ上げる。誰も皆、腕にはそれぞれに愛用の武具を抱え――しかし目を見開き、中には口をぽかんと開いたものさえいる。
「まさか、撤退……か?」
「って、俺たちは先陣を押し流した程度だぜ。致命的な損害を与えたわけじゃあないだろうが」
 残念だと言わんばかりの口調には理由がある。戦闘を生業とする集団であってここ数年、もっとも無聊(ぶりゅう)をかこっていたのは、彼らのような若者達だった。先の頭領クラネットは後半生を王宮に対する復讐に費やし、若者に通常の任務や戦闘を与えなかったのだ。
 カイザックは仲間達のうちでただ一人、意外そうな顔をしていない女を見やる。彼女は知っていたのであろう。最初にこの任務を受けてきた時点で、テラは「敵を足止めする」とは口にしたが、「敵軍を壊滅する」とは言わなかった。
 ――あなたがあたし達を恨んでいても構わない。ただ、今のギルドを救う為、ここでサイファ公国軍を足止めして。
 <戦乙女>は皇太孫シリウス軍と手を結び、先王打倒と新時代の設立に尽力した。――そして恐らく、彼女の娘もまた。
「<戦乙女>の娘……か」
「違うわ」
 思いがけず近いところから返ってきた返答に、目をしばたたく。気がつけばテラもまた丘の上の陣から、下方を見下ろしていた。一陣、吹き上げてきた川風が結わえた深紅の髪を吹き流し、その白く細い項(うなじ)が露になる。刹那――ほんとうの刹那のことではあったが、カイザックは戦場において、彼の母を省みることなく<戦乙女>におぼれた父の気持ちがわかったような気がした。
「――あたしは、あたしよ」
 遠ざかる篝火の動きは止まない。サイファ公国軍の突然の撤退は彼らにとっても、想定外の出来ごとには違いなかった。



 サイファ公国軍による突然の撤退には、理由があった。シルーズの砦に報せが届くよりわずかに早く、サイファ公国本国を通じて国境の砦に、1つの報せがもたらされていたのだ。
 ――グリジアは月英と交渉している。
 月英国初代可汗(かがん)蘇舜(そしゅん)が建国を宣言してから40年あまり、非公式な使節のやり取りこそあったものの、グリジア・サイファを含む東側諸国はかの国を正式な国家として承認してこなかった。かつて西側を歴訪しては当時の部族長と交渉し、人々を奴隷として買い集めていた国々にとって月英国とは、蛮族が辺境に起こした、ならずものの集まりでしかなかったのだ。
 その蛮族の国へ対し、極めて丁重な態度で交渉に臨んだグリジア王国宰相ルーカス・グリジアが、友好通商の条約と共に1つの約定を携えて帰還したのは、ニジェール河沿岸で戦闘が行われた、わずかに数日後のことだった。
 ――グリジア王女降嫁の約束と、潅漑(かんがい)技術者の月英派遣。
 ここ数十年、国家安寧に伴う人口増と食料不足に悩まされていた月英にとって、農耕・潅漑技術の確保は急務であった。また同時にこの交渉は、軍事的、経済的に東西両国より極めて劣った位置にあったグリジア王国が一躍、その名を知らしめる出来事となった。間を置かずサイファ公国との交渉を行ったグリジア王国は今度は一転して、サイファ側とも同盟の条約を結んでしまうのだ。
 もっともこの二面外交がどこまで続くのか、というのが人々の大半の見方ではあった。両面外交と揶揄(やゆ)するむきがないわけではなかったが、勝ち目のない戦を好む人間などいるはずもない。グリジア王国で暮らす大方の人民が、束の間の平和を心の底から歓迎する。


 ――その終結に深く係わった、1つの集団があったことを、知る者はない。
 
 
 戦闘者のギルドが東の国境へむかい、宰相ルーカスが交渉のため王都を去った後、近衛隊長グレイ率いる近衛軍は、王都の防衛を任せられていた。
 そもそも、国王と王宮を守ることを第一の使命とする近衛軍は、滅多なことでは王都を動かない。大粒の雪片が舞い散り始めた王宮の後庭にあって、グレイはため息をひらめかす。
 王城のさらに奥にあるこの場所は本来、王の近臣中の近臣である近衛騎士隊長であっても、立ち入ることが許されない。王宮の後方――後宮のある場所である為の処置であるが、側室をもたないシリウス3世の御世、現在は無人である。ただ1つ、グレイが現在向き合っている、古びた塔を除いては。
 その昔、精神に異常をきたした皇子を閉じ込めていたとも、嫉妬に狂って王の寵姫を暗殺した王妃が押し込められていたともいわれる建物の内部は、黴(かび)くさい空気と、一瞬、入ることを躊躇うほどの陰気な気配で満ちていた。何よりも寒い。震えをかみ殺しながら、階段を登り続けたグレイが1つの部屋の前まで来た瞬間、扉の向こうから人の声がした。
「――いつも来る奴隷の餓鬼ではないな。貴様、何者だ」
 その声に聞き覚えがあった。先の近衛騎士隊長の庶子であるグレイはクレスタ家に引き取られた当時、義母に連れられて王宮のその人物のところへ、挨拶に出向いたことがあるのだ。
 ――やはり、いや、まさか……。
 古びた建物の中でただ一箇所、そこだけ重厚にあつらえられた扉は、こちらからしか開かない。古びた鍵を手に、自らの手で扉を引きあけ、グレイは思わず後ずさった。
 髪も髭も白く染めた恰幅よい男の風貌は、子供の頃に出会ったその人物の特徴とは少々異なった。だが彼が身を引いたのは、まったく別の事柄についてだった。
 ――似ている。
 子供の頃は、母親に瓜二つの少年だと思っていた。いや、一人前の男に育ちあがった今でもどちらかといえば母親の風貌を多く受け継いでいる。が、紛れもなく父親から受け継いだ部分もあったらしい。
「――……陛、下」
「その名で呼ばれるのは何年ぶりか。貴様、儂(わし)が何者か知って、ここに来たな」
 薄暗い塔の中、虜囚(りょしゅう)と呼んでも差し支えない立場にあって、その男の態度は呆れ返るほどにふてぶてしい。この辺りの性格も似ている……そう思いながら密かに苦笑し、グレイはその場に膝をつく。
 誰かと相対し、膝を突くのは最上級の礼であり、国王から剣を授かった近衛騎士隊長がそれを向けるべき相手はただ一人しかいない。
「貴様、あの小倅の近衛の分際で、儂に跪くか」
 目を見開いた男の口に、さもおかしい、と言わんばかりの微笑が浮かんだ。かつてこの笑みを浮かべて彼が命じた惨事が多数あったことを、グレイはよく知っている。
「……俺には欲しいものがあってね。その為に利用できるものがあるなら、悪魔にだって跪くよ」
 それが例え、無二の友へ対する裏切りに等しい行為であったとしても。
「お迎えにあがりました。――シリウス2世陛下」





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