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暁の彼方〜第十一章 国境の街〜




 グリジア王国とサイファ公国の国境線を守る砦は、シルーズの街を見下ろす山の中腹付近にある。
 街を取り囲む城壁は強固に周囲を囲い込み、外からの侵入を容易に許さない。もっとも国境線を哨戒(しょうかい)する兵の目的は主に密貿易の取り締まりにあり、特にここ数年は、国境警備の様式も至って簡略化されていた。
 グリジア王国暦シリウス3世6年。シルーズ地方がこの冬初めての積雪を観測したある朝のこと。
 ――国境の方角から、狼煙(のろし)があがった。



 戦闘が開始されたことを示す合図を、テラはシルーズの街に位置する大商人の館で見た。
 かつてはかなり栄えていたのだろう。3階建ての建物の露台(ろだい)には、真鍮(しんちゅう)でできた望遠鏡がそなえつけられている。ギルドが商人の館を襲った時に、主の命は勿論、金目のものはすべてかっさらっていったというが、戦闘者のギルドの戦士達も、露台備え付けのこの物体には手が出せなかったらしい。
「――本格的な戦闘ではないな。今はまだ、小競り合いの範疇だろう」
 傍らで声を上げたのは、現在の戦闘者のギルドを率いる若頭目だった。彼もまた、首からかけた双眼鏡で国境の方角を見つめている。
 正式に戦闘者のギルドの頭領と認められるには、それ相応の儀式を経ねばならず、彼は未だに「頭領」を名乗ることができない。しかし、1つの組織を率いる手腕は認めなければならないだろう。王宮襲撃の後、王都に残った残りの人員をかきあつめて地下にもぐり、襲撃事件の余波を最小限に留めおいた。
「……しかし、厄介だな」
 膠着状態の戦線が、偶発的な小競り合いから崩れる例は少なくない。恐らく数で圧倒的優位に立つサイファ公国軍は、これを機に一気に攻勢に出てくるであろう。ただでさえ、あちらは本格的な冬の前に決着をつけようと、着々と兵を進めてきたのだ。
 持ち上げていた望遠鏡を手すりに戻し、テラは肉眼で、狼煙の上がった方角を見る。
 王都から派遣されているグリジア王国東部軍は、国王から全軍の指揮権を委ねられている近衛隊長グレイの配下にあたる。特に現在の将軍はグレイの義兄にあたるということで、彼にだけは話を通しておくと、テラが王都を出る前、グレイがそう請合ってくれた。
「――カイザック、他の人たちを集めて」
「どうする気だ」
「戦闘者のギルドは、一度交わした約定を違えない。そうでしょう?」
 風にたなびく深紅の髪を頭上で結わえ、傍らにあった剣を取る。この国は、母が命を賭(と)した国。そして一人が男が今、同じ時を、命を賭けて戦っていると知っているから。
「――戦場に、向かうわ」



 グリジア王国とサイファ公国の国境線であるニジェール河近辺の状況は、既に小競り合いの範疇を越えていた。
 もともとこの河は水深がさほど深くなく、川幅も広いとは言いがたい。怒号(どごう)が鳴り響く川縁は、倒れ付した兵の死骸が折り重なり、既に徒歩で国境を越えられるくらいに埋めつくされている。血潮の匂いに馬がいななき、戦陣の熱気で崩れ落ちた今朝方の積雪は、どす黒い色で染め変えられていた。
 グリジア王国東部軍指令官ランヴェルト・グリジアはあまりの惨状に息を呑んだ。王都の命を受け城砦に滞在中であった彼は、敵軍を散らして自軍の兵士を撤退させ、戦闘を終結させる目的で戦場に赴いた。しかし川辺はすでに敵味方が入り乱れており、撤退を命じようにも、どこから手をつけてよいのかわからないのだ。
 一体、最初に渡河(とか)し、国境を越えたのはどちらだったのだろう。末端の小競り合いではなく、敵軍にとっては、想定内の戦闘だった可能性もある。いずれにせよ、この状況でグリジア軍が退却すれば、サイファ軍が雪崩打って攻め込んでくるのは目に見えている。指揮官として、自軍の兵をみすみす死なせる道は取りかねた。
「――東軍指令官、ランヴェルト将軍とお見受けいたします」
 襲い掛かってきた敵軍の兵士を槍で突き通し、後方から近づいてきた騎兵を剣でなぎ倒した瞬間、背後から名を呼ばれたような気がした。鳴り渡る馬蹄と男たちの怒号の中にあって、それは異質な程に、高く柔らかい。まるで――若い女の声ででもあるかのような。
「退却命令を出してください。全軍を、国境の砦に撤退させて」
 剣を手に後方を振り仰いだ彼はそこに、馬に跨り剣をたがえた一人の女の姿を見つけて度肝を抜いた。戦場に女がいたことに驚いたわけではない。その姿が、ランヴェルトにとって意外なものではなかった所為だ。
 ――グリジアの<戦乙女>。
 王家の分家として「グリジア」の姓を名乗ることを許されているランヴェルトは6年前、反国王軍――当時の皇太孫シリウス軍に従軍した。当時の皇太孫軍は<戦乙女>と呼ばれる女が常に先陣に立ち、国王軍との戦闘の上、王都に攻め入り先の王を討ち倒したのだった。
 しかし彼女はその後、王家と敵対し、<黒宰相>の命により討ち取られたはずであったのだが。
「貴女は――」
「近衛隊長より仔細は聞いているはずです。これ以上事態が大きくなる前に、早く!」
「しかし、容易に退却するわけには!」
 もともと、密貿易を取りしまる目的で配置されていた地元兵達は、ほとんど戦慣れしていないと言っていい。ランヴェルトが率いる東軍の一隊こそ精鋭ではあるが、殿(しんがり)を努めようとも、圧倒的に数が少ない。
「……わかっています」
 高い位置で結わえた赤髪がゆらりと揺れる。槍(やり)を番えて襲い掛かってきた敵兵を、振り向きざま倒した女の目が痛ましげに歪んだ――と思ったのは一瞬だった。
「――私たちが、殿(しんがり)を努めます」
 その時、叫喚(きょうかん)の最中(さなか)の戦場に、新たな声が響き渡った。サイファ兵からは悲鳴、そしてグリジア兵からは喚声が。
 戦場を斜めに見上げる丘から駆け下りてきた一団。シルーズの街より南の方角から現れた騎兵の鎧には、グリジア兵ならば誰もが一度は聞いたことのある、一つの紋章が刻まれている。
 銀の龍の紋。それはかつて、皇太孫シリウスと手を携え先王を討ち果たし、その後王家と袂を分かって姿を消した、戦闘者のギルドの紋章だった。



 さすがに王都で鍛錬された兵は精鋭揃い、数の優位を得れば、敵を散らす剣さばきも、馬を操る技量も、地元兵の非ではない。さらにサイファ軍の兵達は、予期せぬ敵の援軍に動揺していた。テラが声をかけてわずか半刻あまりで、全軍に撤退の意が伝わった。
 追いすがろうとする敵の胸元に剣を払い、血の滴る刃を今度は横手に振るうと、弓矢を番えて並走していた騎馬の一騎が、馬を斬られて横倒しに倒れこんだ。
 初めて戦場を見たのは、14の春のことだった。それからは幾たびか任務に同行し、人が死ぬ瞬間も、両手の指で足りないくらいは目にしてきた。とはいえ、実際に我が身に降りかかった戦場は、これまで目にしてきたほかのどんな戦いの場よりも色鮮やかに見えた。
 敵を散らし、命を奪い、自分の命を守る。戦いにおける行動のすべてが、その一点に集約する。殺さなければ殺さられる。死にたくなければ、戦うしかない。無駄なものをぎりぎりまでそぎ落とした、極めて純粋な一念が、今ここにあるすべての人間を結び付けている。
 他の兵にとっても、それは同じなのだろう。命のやりとりにがあまりに身近になってしまうと、それが敵か味方かの、一点でしか物事を考えられなくなる。戦闘者のギルドは現在、王国内のお尋ね者だ。だが今この場において、そんなことを言及するものはいなかった。
 ――もうすぐ、国境を越える。
 天然の河川は複雑に入り組み、今ある場所が国境の西であるか東であるかの区別がつきにくい。しかしニジェール河を渡ってしまえばそこは既にグリジア領であり、前方にそびえる城壁の向こうはシルーズの街だ。撤退の意を汲み取ったサイファ軍が後退してくれればそれで良い。――しかし、追撃してきた場合は。
 次第に目の前にそびえる、灰色の石壁が大きくなってきた。開門を報せる角笛(つのぶえ)の音が、鳴り響く。他の兵士たちと共に馬上にあって、テラはちらり、と背後を見やった。
 二シェール河の水深は浅く、また、浅瀬を選んで撤退をはじめたとはいえ、進軍速度は陸地とは比べるまでもない。次第に後方の敵との距離が近づいてくるような気がしていた。サイファ軍に退く気はないらしい。ならば、あともう少し。祈るような思いで、上流の方角を仰ぐ。
 あと、ほんのわずか。今朝方の積雪で上流の水位は常より上がっている。だから、グリジア兵最後の一騎が、国境の河を渡り終える、その瞬間に。
 戦場の上空に、開門を告げる角笛とは明らかに違う響きの調べが響き渡った。
 同時、ごう、と不穏な地響きが、音をたてて近づいてくる。既にグリジア軍は一兵残らず、撤退を終えていた。異質な物音に、思わず後方を振り仰だ、彼らの目前で。
 ――轟音と共に押し寄せてきた濁流が、追いすがるサイファ軍を呑み込んだ。
 




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