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暁の彼方〜第十一章 国境の街〜



 1
 グリジア王国北東に位置するシルーズは、かつて、どこの国の王にも属さず、自由都市と呼ばれた土地であった。
 この街がグリジア王国領に組み込まれたのは、シリウス3世から数えて4代前、オズワルド2世の御世(みよ)のこと。長らくこの地方を領有していた大公家が断絶し、血縁関係にあったグリジア国内の一公家がそれを継承したことによる。
 とはいえ、そのことによって、この地方の領民が、グリジア国王に忠誠を誓ったわけでは決してない。またグリジア王国側も、シルーズの街の人事や税制に、深く関与しようとしなかった。グリジアから西へ抜ける街道はこの土地にしか存在せず、東西交易の荷は必ず、この街を通らなければならない。ことさらに服従を求めなくとも、一定の税を見返りとするだけで、それなりの利益にはなったのだ。
 以来、百十数年、グリジア国王の保護下にありながらも、常に王国とは一線を画してきたシルーズの街は、同時に、隣国サイファ公国と国境を接する、政治的・軍事的にきわめて深い意味を持つ土地でもあった。



 一曲舞った後に酌(しゃく)をしてやると、サイファ公国辺境軍司令官の使いだと名乗った男はものの見事に相好を崩した。シルーズ地方を防衛し、国境を守護するために設けられた城砦の、簡素な広間でのことだった。
 最前線の砦は、外交に対する権限を有しない。国家間の交渉はあくまでも継続中、よって訪れる使者殿は丁重にもてなせ、とは王都からの指示であるそうだが、舞っている踊り子の舞台にまで上がって肩や腰を抱いたり、楽師の頭に酒を浴びせて演奏を中断させるとなれば、はっきり言ってやりすぎである。城砦の主や王都から遣わされている国王直属の正規軍の将軍も苦笑気味だったが、さして眉をひそめていないところを見ると、これまでにもこんな騒ぎが幾たびか行われていたのかもしれない。やがて疲労を訴えた使者が踊り子の肩を抱いて広間を出て行くと、無数のため息が、彼女の背中を追いかけてきた。
 ――そんな乱痴騒ぎの名残も、闇色の帳に溶け消えた深夜。
 格子状に切り取られた夜の空間は、静寂で満ちている。城門に焚かれた篝火(かがりび)の薄明かりも、寒々しい肌をむき出しにした木々の樹影でさえ、しん、と静まりかえったまま動かない。
 さらさらと音をたて、天蓋から垂れ下げられた絹が揺れた。その内側では、あきれるほ広い寝台の隅で仰向けになり、四十がらみの男が1人、酒臭い寝息をたてている。
 これ以上触れてくるようなら、急所でも殴って気絶させてやろうと思ったが、きわどいところでようやく、薬がきいてきてくれたらしい。衣の乱れを直して寝台を抜け出したテラがため息をつくと同時に、客室の扉が開いた。
「ようやく眠ったか」
「――カイザック」
 現れたのは、剥き出しの腕に龍の文様を刻んだ、17、8の若者だった。掌程度の大きさの素焼きの笛を首からぶら下げている。並みの楽師よりもっと鮮やかに笛を操る細く長い指は、彼がその父親である先の頭領から、受け継いだものだ。
 クラネットの長子である彼は、戦闘者のギルドを率いる次代の頭領――<若頭目>と呼ばれる立場にある。テラは頭領家に引き取られた13の年から、彼と同じ屋根の下で育ち、武芸を習い、競いあった。もっともそうして育ちあがった若頭目は父親と反目し、それ故に、王宮舞踏会に潜入する際もクラネットは彼ではなくテラを連れて行った――といういきさつがあるのだが。
「城砦の見取り図とグリジア側の地形図は手に入れた。あとはサイファ側の地形を把握しておきたいが、こればかりは、この男に問いただすしかないな」
 ずかずかと土足で室内に入り込み、だらしなく寝こけた男のわき腹を爪先で蹴り上げる。ぎり、と音が聞こえそうなほど爪先に力を込めても、目を覚まそうとはしない。
 先ほど酌をした時に、かなりの量の眠り薬を仕込んでやったから、まだしばらくは目覚めないはずだ。このまま首筋に刃を突き立てられても、何の苦痛も感じないだろう。――しかし。
「使者には手を出さないで。目的のものが手に入ったなら、引きましょう。もうここにいる必要はない」
 テラの返答に、戦闘者のギルドの若頭目は、大仰に顔をゆがめて見せた。
 グリジア王国軍が王都から派遣されているように、サイファ公国軍も首都から派兵されている。万が一グリジアが正式な使者を傷つけたとなれば、即座に戦端が開かれても仕方がない。今ここで、戦端を開くわけにはいかない。――少なくとも、今はまだ。
 しばらく見あった後、どうやら従う気になってくれたらしい。しかし、無数の燭台(しょくだい)で照らされた城砦の廊下に出た瞬間投げかけられた言葉に、足が止まった。
「――裏切るぜ」
「え?」
「何を思って王国と手を結ぶなどと言い出したか知らんが、黒宰相は裏切るぜ。息の根を止めない限り、何度でも。その前に、こっちから裏切るという手もある」
「――ルーカスは、裏切らない」
 何気ない呟きのつもりが、夜の静寂(しじま)に、それは思った以上に鋭く響いた。
「何だと?」
「裏切らないわよ。ルーカスは。絶対に……ね」
 かつて手を結んだ王国の裏切りにより、戦闘者のギルドは幾人もの手練(てだれ)を失った。起こってしまったことをなかったことにはできないし、裏切りは罪だと断罪することはできる。
 ――だけど裏切った側の胸だって、痛まなかったわけじゃない。
 ルーカスは知っているはずだ。テラが決して、彼を裏切りはしないということを。そしてテラも知っている。彼がもう決して、誰かを裏切ったりはしないということを。
 裏切りの罪は裏切られた側の心に、刃で切りつけるよりなお深い傷を負わせるけれど、それを犯してしまった者の心にも、同じだけの――いや、もしかしたらもっと根深く癒えにくい傷を残すのだ。
「……」
 無言を通した後、若者はおもむろに手を伸ばし、テラの腕をつかみとった。そのまま壁に背中を押し当てられる。彼が掌を壁に突き立てたので、この季節だというのに剥き出しの腕に刻まれた銀の龍の目が、テラの目の近くで、ぎらりと光った。
「ルーカス……だと?」
「え?」
「お前、いつの間にそんなに黒宰相と親しくなった?」
「べ、別に、親しくなんか――」
「自分で言っていて、気づいていないのか?お前はさっきからずっと、奴を実名で呼んでいる」
 とっさに、言葉を返せなかった。母親ほど組織の役に立たない<戦乙女>の娘が、それでも組織の一員たることができているのは、先の頭領の保護と、誰も皆、母親を殺された娘が他の誰よりも<黒宰相>を恨んでいると思っている所為だ。前者を失った今、後者をなくせばテラは戦闘者のギルドとしての意義を失う。
「なるほどな」
「……」
「どういうわけかと思えば、お前、黒宰相に惚れたのか」
「なっ」
 顔の辺りが熱くなったのは、怒りのためか、それとも別な感情のためだったのか。
「……まあ、いい」
 そんなことはどうでもいい、と言わんばかりに鼻先で笑って、若者はテラを解放した。口の辺りは笑っていても、鋭い視線は笑ってはいない。窓にはめ込まれた格子の影を、まるでそこに憎い仇が潜んででもいるいるかのように透かし見る。
「俺はどちらかといえば、黒宰相よりも戦乙女の方が憎い。今でも思っている。――あの女だけは、どうしてもこの手で殺してやりたかった」





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