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暁の彼方〜第十章 深い森〜




 出立の朝は、ほんの数日前が嘘のような晴天だった。
 半泣き顔のリディスと抱き合い、座長にこれまでの不義を詫び――そんなことをしているうちに、出立の時刻が近づいていた。
 旅芸人の一座は基本的に、一所には落ち着かない。特にこんな、もうすぐ冬を迎えようという季節にはなおさらのこと。今回は王宮襲撃の事件の際に姿を消したテラを案じて王都から離れず、しかもあえて最初に彼女に出会った王家の森の近辺に滞在していてくれたというのだから、ありがたい。あの時は必死過ぎて気がつかなかったけれど、今思い返すなら、随分とよい人たちに出会っていたものだと思う。
「あなたにはとても世話になったと、ル……いえ、あの人が言っていました」
 荷造りを終え、一座の芸人達が荷馬車に乗り込んでゆく。最後にその場に残ったオウカと、テラは向き合っていた。
「こんなことを、言っていいのかわからないのだけれど」
 ――嵐と雷鳴に弄ばれた一夜。
 炎を囲んで肩を寄せ合って、一晩中、とりとめのないことを語り合って過ごした。
 おそらくテラもルーカスも、あえてとめのない話題ばかりを選んでいたのだろう。だけど、何気ない動きに合わせて触れてしまいそうになる肩先や、時折ちらりと向けられる視線、息を吐き出すたびに揺れ動く空気の振動に、こちらは胸が高鳴って仕方なかったなどと告げたなら、それでも彼は笑ってくれただろうか。
「……あの人を助けてくれて、ありがとう」
「わたしがギルドの女だってこと、黒宰相に聞いたのでしょう?」
「……」
「だったら、礼はクラネットに言うのね。よっぽどテラ、あなたを守りたかったんでしょう」
 <戦乙女>の娘は母親ほどの腕がなく、間諜としてもさほど優秀であったとは言いがたい。そんな娘に武芸を教え、敵(かたき)討ちがしたいといえば真っ先に王宮に送り込んだ。あげく正体がばれ、逃げ出したテラを責めるでもなく、次は俺も行く、の一言で済ませた時、里の中で、頭領の真意を問う声が上がったことを知っている。
 そんな娘を傍に置き、誰かの血で手を汚させることもなく、守ってきた。クラネットにとってテラは最後までカウラの化身でしかなかったかもしれないけれど、それでも守っていてくれたことには違いない。
 ――もう、どうやっても、礼の言いようはないのだけれど。
 無意識のうちに、懐にあった短刀を握り締めていたらしい。不意に、その手を掴んで引き寄せられた。テラが声を発する間もなく、柄に銀の龍を刻んだ短刀が鞘と刃に分け放たれる。
 磨きこまれた刃身に2つの影が映る。おかしなことに、ほっそりと優美な刃物に映った自分の姿は、歪(いびつ)にゆがみ、記憶の中にある母親の姿に驚くほどよく似ていた。
「捨てておしまいなさい。こんなものは」
「え」
「ほかのものなら、こんなことは言わないわよ。だけどこれは……これだけは、女が自分の手で、もらい受けるものでしょうに」
 銀の龍の短刀を貰い受ければ、それは男からの求婚を受け入れることを意味する。だがテラはこの刀を、自身を望む誰かの手から受け取ったわけではない。
 知らず、頬の辺りが熱くなった。
 ――今ならまだ、黒宰相なんて奴は死んだことにできる。このまま2人でどこか遠くにでも行くか。
 わざわざ言われなくとも、わかっている。あの言葉に、そんな意味がないことくらいは。
 だけどあの瞬間、逃げてもいい、と本気で思った。過去も未来も何もかも要らない。同じ明日を見つめてみたかった。
「――オウカ、出発するぞ!」
「はあい、今行くわ」
 御者台に腰をかけた男が半身を乗り出してくる。言葉とは裏腹に、オウカはテラの手に短刀を押し返すと、ぞくりとするくらい艶っぽい仕草で笑って見せた。
 世話になったって、一体どういう風に世話になったのだろう……と、どうでもいいことを考えかけてしまった娘の耳に、荷馬車の上から、凛(りん)と響く声が落ちる。
「わたしは、カウラと話したことがあるわ」
「え……」
「何度か、同じ任務についたことがあるの。そのたびに耳にたこができるくらい、聞かされたわよ。可愛い可愛い娘の自慢話」
 お世辞にも口が良い、とは言えなかった母の悪癖を思い出す。そういえばルーカスも以前、似たようなことを言っていた。当の娘の知らないところで、一体、何を言っていたのだろう、あの母親は。
「――幸せになって欲しいって」
「……」
「誰よりも幸せ、なんて野暮(やぼ)なことは言わない。いつか自分は戦いの中で命を落とすだろうから、それまでに、あの子があの子の目で見た基準で、幸せを見つけて掴み取ることのできる人間に、なっていて欲しいって」
 身動きを忘れたテラを取り残し、晩秋の乾いた空に、鞭の音が鳴り響いた。どう、と馬車が前後に揺れ、砂煙が巻き上がる。荷台の布を押し上げたリディスがテラに向かい、ぶんぶんと大きく両手を振った。
「元気でね。また会おうね、テラ!」
 かたかたと弾む車輪の調べを残し、旅芸人の一座が王都を去って行く。彼らを見送ったテラの頭上、青々と澄んだ空の彼方から一羽の鳥が姿を現し、まだわずかばかりの葉を残した木の枝先で、ひゅう、と一声高く鳴いた。
 ――自分自身の価値基準で、幸せを見つけて掴み取ることのできる人間に。
 そう願っていてくれたという母は、娘が自分を殺した男を愛したと知って、それでも同じことを望んでくれるだろうか。
 拳を握って空へ掲げ、鷲を呼ぶ。羽を鳴らして舞い降りてきた鳥の柔らかい喉を、テラは指の節で撫で上げた。
「……愚かなのは、きっと、血筋よね」
 だがテラはカウラではない。カウラの願いは彼女だけのものだ。例え血をわけた親子であっても、誰かの人生をかわりに生きてやることはできないし、誰かの恨みをかわってはらしてやることもできはしない。ようやく、そのことに気がついた。――気づくことが、できた。
 雲の気配一つない晴れすぎた空へむかい、大鷲が弧を描いて舞い上がる。わずかばかりの漣(さざなみ)と羽ばたきを残して、黒光りする2枚の羽は、青々と凍てついた水面の中へと消えた。
  ――自分自身の目で見た、幸せのために。
 結局、人は皆、そんな風にしか生きられないものなのかもしれなかった。



 王都の裏通りからさらに奥まった、しもた屋の立て込んだ界隈で見上げる空は、狭い。王都建立当初から、主に日雇い労働者が暮らす界隈であり、限られた土地に可能な限りの人間を収容しようと、意味もなく2階建て、3階建ての建物を多く詰め込んだせいだ。
 早朝より、少し雲がかかってきた空の中央を黒いものが横切った。
 しもた屋の一つから、顔をだしてそれを見定めていた男が一人、口をすぼめて、ひゅう、と鳴いた。途端、頭上の黒いものが弧を描いて旋回しながら舞い降りてくる。羽音が聞こえるくらい近くまでやってきた時、それは鋭い爪を鈍く光らせた、大鷲の姿をしていた。
 ぐるる、と喉が鳴る。鷲を従えた若い男の剥き出しの肘の内側には、銀色に輝く龍の文様が刻まれている。
 グリジア王国には過去に数百年ほど、罪人に刺青刑が処されていた時期がある。西に暮らす蛮族の風習として蔑まれていた刑罰は、先々代の王、ラズヴェルト4世の時代に廃止され、現在にはその技術を持った技師や職人も、ごくごく一部の世界、それも極めて少数しか残っていない。
「戦乙女の娘、だと……?」
 鷲の足首に結わえられていた羊皮紙の切れ端を押し開き、ぐしゃぐしゃと手の中で押しつぶす。しばらくして階段を上ってきた別の男が、怪訝な顔をして彼を見た。
「どうしたんですか、若頭目」
「どうもしない。どうもしないが――」
 黙っていても鋭さを感じさせる眼光が、さらに鋭利(えいり)に切れ上がる。2階の窓枠から、大鷲が飛び立った。山奥ならまだしも、こんな民家のたてこんだ界隈に鷲の姿は珍しい。どこかで歓声があがったのは、朝が早い職人の子供達にでも見つかったのかもしれない。
 握り締めた紙を再び押し開き、結局丁寧に懐にしまいこむ。狭い部屋から階下へつながる扉に手をかけながら、男は開け放たれた窓の外に広がる世界に、言葉を吐き捨てた。
「今更、こんなものをよこして。何を考えているんだ。テラ――」



 グリジア王国暦シリウス3世6年初冬。
 後にシルーズ動乱と名づけられる波乱の幕が、開こうとしていた。





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