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暁の彼方〜第十章 深い森〜




 目を開けて、最初に飛び込んできたのは、煤(すす)で汚れた梁と天井だった。
 その形に見覚えがある。幼い頃には毎朝、長じてからは時折、目が覚めるたびに見あげてきたものだ。
 身を起こし、頭の芯に走る痛みに顔を歪める。ひどい寒気は薄れていたが、喉の奥が引きつれたように痛い。しばらく寝込んで、体力が落ちていたのだろう。突然外の風に吹かれて、普段なら素通りする風邪のひとつでも引き込んだのかもしれない。
 2度、3度と首を振って無理やりに疼痛を追い払い、ルーカスはようやく今、自分が1人ではなかったことに思い至った。
「少し眠ったのか……」
 この状況で眠れるとは、相当に図太い神経である。もしかすると少々鈍いのかもしれない。思わず笑みが漏れたが、もっとも、それほど長く眠っていたわけではないだろう。荒れ模様の風の声こそ多少収まったものの、黎明(れいめい)はまだ、その気配すらもない。
 わずかに視線を下ろした先では、今は熾火(おきび)となった炎と同じ色の髪を頬に張り付かせ、テラが静かな寝息をたてていた。
 ぼんやりと自らの額に掌をあて、のろのろと息を吐き出す。どこまでが夢と幻で、――どこから先が現実だろう。
 襲撃を受けて王家の森に踏み込み、追っ手の何人かを打ち倒したところまでは覚えている。そうしているうちに天候が荒れた。だからこの小屋にまでやってきた。そしてその場所で――
 ――何か、とんでもなく愚かなことを口にしたような気がするのだが。
 痛みと発熱で朧になった意識の狭間で、ほとんど歯止めも利かずに真情を吐露してしまったという自覚はあった。いや、あんなものは真情ではない。ただのやつあたり――子供じみたわがままだ。思い返すと、我ながら情けなくて泣けてきそうになるほどの。
「何をやってるんだ……、俺は」
 よほど疲労が深いのか、指を伸ばして頬に触れてみても、テラが目覚める気配はなかった。彼女を起こさぬよう、指の先だけでそっと顔にかかる髪をはらってやりながら、ルーカスはほうっと息を吐く。
 初めて見た娘の寝顔はあどけない。王宮で舞っていた時の姿や、長剣を軽々と扱う姿からは想像もつかないが、こうしてみると本当に、ただ1人の華奢な少女だ。
 ――と、わずかな刺激に弾かれたように、硬く閉じられていた瞼が開いた。
「――あ……」
 目を開いて、最初に男の顔を見たことに、さすがに戸惑いを感じたらしい。ほとんど飛び上がるようにして起き上がる。一瞬、引っぱたかれるか何かされると思って身構えたルーカスの顔をしげしげと見て、囁くような声で言った。
「え、嘘、あたし……寝てた?」
「の、ようだな」
「熱は?」
 眉を寄せたテラに間近まで近寄られ、ルーカスは身を引いて瞬いた。白く冷たいものが額に触れ、どうやら熱の具合を気にしてくれているらしいが、しかし、それにしても――
「テラ、お前、あのな……」
「よかった、下がってる。刃傷で熱を出すと、後が怖いのよ。――何か言った?」
「いや」
 薄明かりの下で腕だけを伸ばして、片手で剣を、もう一方の手で積み重なった荷を手繰る。そう探ることもなく現れた古びた毛布を、ルーカスはテラの膝に投げかけた。
「被ってろ。これだけ荒れるとグレイでもなかなかここまで辿りつけないだろう。まあ、その分あの連中も今頃、どこかで難儀しているかもしれんが」
 さすがにそれを気の毒に思うほど、人がよいわけではない。
「……って、グレイが来るまで、ここで一緒に待っていて……くれるの?」
「ああ。その件については、……俺の負け、だな」
 口にしながら密かに、自分が誰かに敗北を認めた事実に驚いていた。
 勝たなければ守れない。国も王も、人も自分も。だからいつも勝ち続けることばかり考えていた。それこそが彼の――ルーカス・グリジアという男の人生そのものだった。
 しかし今、敗北を認めることへの恐れや焦りは微塵もない。むしろ酷く暖かな感情が、胸の奥にせりあがってくる。
「よかった……」
 深く息を吐き、少し疲労した顔でテラは笑む。思わず息を飲み込み、それがどんなにささやかなものであれ、この娘の笑顔を見たのがはじめてであることに思い至る。気まずさと多少の照れも手伝って、ルーカスはテラにむけ、思い切り唇の端を持ち上げた。
「しかし、まあ」
「え?」
「まさかお前が、それほど俺と夜を明かしたいと思っていたとは、知らなかった」
「な?」
 肩から被った毛布の割れ目を握り締め、身体ごと思い切り後ずさる。その瞳に始めて浮かんだ不審と警戒の色合いに、ルーカスは肩を抱えて笑った。
 初めて出会った時に、とんでもないことを口にしたかと思えば意外と初心(うぶ)、守ってやりたいと思えばするりとすり抜けるくせに、かと思えば、想像もつかない時に限って目の前に現れる。
 ――おもしろい。
「そこまで笑うことないじゃないの!どうせ、本気でもないくせに」
「……何だ、本気ならよかったのか」
 距離をおいたといったところで、狭い小屋のこと、腕を伸ばせば容易に届く。愚かな思いが伸ばしかけた指をきつく握り締め、ルーカスはその中に自らの感情を握りつぶした。
「――お前達を、信じる」
 こくり、と華奢な喉が動く。
「ただし、ギルドがもう2度とシリウスを狙ったり、王宮に侵入したりしないと誓うなら、だ。もしまたこの間と同じことが起これば、もう俺でも庇いきれんからな」
「……ええ。約束するわ」
 ――王たる人に見捨てられ、安全を買うだけの軍費も、逃げ出すことのできる土地もない。
 ならば今目の前にあるできることから、やってみるしか道はないのだ。今目の前にある道を、ただがむしゃらに突き進んでみることしか。
「王城に戻ったら、旅券と――必要なものはすべてこちらで手配する。どう転ぶかは正直、俺にもわからないが――」
 力を貸してくれ。ルーカスの言葉に、テラは小さく頷いた。


 
 近衛隊長グレイとその部下達は、すっかり日も昇ったころになってやってきた。
 無事に王家の森をぬけ、近衛隊に収集をかけたまではよかったものの、そこで本格的な嵐がはじまってしまったのだという。本来なら、刺客を片っ端から捕らえて雇い主を吐かせたいところだったが、鍛えぬかれた兵士にとっても、王家の森は決して容易い場所ではない。無駄に兵を損ねるよりは、良かったと思うべきなのかもしれない。
「思ったより、元気そうで何よりだ」
 久方ぶりに再会した友人に肩を貸し、ようやく王宮内の自邸にまで送り届けてくれた幼馴染の言葉からは、怪我人と若い娘を嵐の中に置き去りにした罪の意識など微塵も感じられなかった。それどころかこちらを見つめてくる灰色の視線には、隠しようもない好奇の光が浮いている。
「もしかして、……ちっと迎えに来るのが早すぎたか?」
「は?」
「……あの娘と、うまくいったんだろう?何だか顔つきからして、変わったぞ。お前」
 うまくも何も、変わるような何かがあったわけではない。あの後はただ炎を囲み、とりとめのないことを語り合っただけだった。他の何にも変えがたいと思うほど楽しい時間ではあったし、一生分の給金を払うから売ってくれと言われても譲り渡す気はないが、だからどうした、と言われればただそれだけだとしか言いようがない。
「グレイ、お前――」
 とりあえず何か言ってやろうと思って、何気なく見やった自分の掌に、一度は握りつぶしたはずの感情の断片が、くっきりと浮かび上がっていた。そのあまりの鮮やかさに、ルーカスは一瞬、ぎょっとした。
 ――逃げてもいい。あなたが本当にそう望んでいるのなら。
「……」
「おい、どうした、ルーカス?」
「……あ、いや、なんでもない」
 頭を振って幻聴を振り払い、再び拳を握り締める。ふと、問うてみたくなった。10年以上の付き合いのあるこの若者への感情は、友人というより最早、身内に近い。――こいつは普段、何を考え、何を求めて生きているのだろう。
「グレイ」
「あ?」
「――お前、欲しいものって、あるか?」
 ――国じゃなくて、民でも……たくさんの誰かが望むことじゃなくて。あなたの、あなただけの欲しいものはないの?
「――ある」
 即時にそう答えた友人にむかいながら、それは何かと反問することはしなかった。ただ、躊躇うことなくそう告げることのできる目の前の男を羨ましいと――この10何年ではじめて、そう思った。





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