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暁の彼方〜外伝 暁に咲く花〜




 人ごみのざわめきが、むっとするほどの熱気となって、身体にまとわりついてくる。
 雪解けを終え、完全に春を迎えたグリジア王国の王都は、もっとも賑やかな季節を向かえようとしていた。西から生糸や磁器を持った商人が通り過ぎ、東の土地から小麦や大豆を運んできた商人が、道の端で荷を降ろす。
 そんな喧騒の中、ともすれば雑踏の中に紛れそうになる細い背中を見失わないでいるのは容易ではなかった。少しでも油断すればふらふらとあらぬ方向に流されていって、あげくかつ上げにあいそうになったり、妙な軟派(なんぱ)男に引っかかって、いかがわしいところへ連れ込まれそうになる。
「おい、これで何度目だよ」
「す、すみません……」
 何度目かにはぐれていきそうになった少女の腕を、いささか強引に掴んで引き戻す。すれ違った男が胡乱(うろん)な目を向けて気はしたが、そんなことを気にしているゆとりはない。
 今度の休みに街に出てみないか。そう誘ったのはグレイの方だった。なかなか気の合う仲間ができないのは同僚の王宮勤めの侍女達と、話題が合わない所為もある。そう思って、王都の街や商店を眺めてみることを提案したのだ。通常の手段で彼女を自分から引き離すことが難しいのなら、少々迂遠(うえん)でも、からめ手でいってみるのも一手ではある。
 しかし、一刻もたたないうちに後悔した。これではこちらははらはらしどうしで、久々の王都の街並みを眺めている暇もない。
「君さ、君の父上の領地にだって、街の一つや二つあったろ?出歩いたりしなかったわけ?」
「わたくしずっと、お邸の敷地から出たことがなかったんです。一度に、こんなにたくさんの人を見たのはじめてで……」
 頬を染め、肩で息をしながらも、目を輝かせているところを見ると、彼女もそれなりに楽しんではいるのだろうが――いや、だからこそ、危なっかしいこと、この上ない。
 近くにあった物売りの露店に目を取られて離れていったカシスタの背中を追いながら、グレイは深く息を吐き出す。休日に独身の男女が二人きりで街に出る。グレイの若い頃なら、逢瀬とか逢引とでもいったものだが、実質これは保護者と被保護者――年の離れた兄妹か、もっと悪くすれば父と娘の関係である。
 こみ上げるため息をかみ殺して、頭ひとつ分は小さな身体を上から覗き込む。膝に手をあて、興味津々の呈で、カシスタは布の上に並べられた装飾品を見ていた。色鮮やかな宝玉で彩られた――もちろん模造品ではあるが――細工物である。実は名のある職人によるものなのかもしれない。こんな路上で売られているものの割には細工が繊細で、確かに、若い娘が喜びそうなものではあった。
 行儀見習いの為、王宮に送られてくる侍女に賃金はない。もちろん仕事に応じていくらかの駄賃は与えられるし、生活に困ることはまるでないのだが、自分の自由になる金は実は極めて少ないのが現状だ。
 目の前にある装飾品の数々は、一般的に見れば、それほど高価なものではない。しかし今の彼女の手持では、確実に手が届かないだろう。
「――買ってやろうか?」
「え?」
「俺もあんまり金持ってきてないから、どれか一つだけ。選びなよ」
 驚いた、といった風に顔が上がる。わずかに見開かれた鳶色の瞳を、グレイは妙に懐かしい思いで見た。
 ――俺もそんなに金はねえから一つだけ。何でも食いたいものを一つだけ選べよ。
「そ、そんな!いいです。そんなこと!」
「遠慮すんな。――そうだな。ずっと昼飯を食わせてもらっている、その礼」
 躊躇う少女の肩を押して促してやると、おずおずとした仕草ながら、一つの髪飾りを取り上げた。細かな銀細工でできていて、櫛の部分に鮮やかな青い石がついている。金を払ってカシスタにそれを渡してやると、彼女はすぐにそれを身につけた。豊かな亜麻色の髪の上で、髪飾りは複雑な光輝を描いて揺れる。
「……結構、似合ってるよ」
「――ありがとうございます!」
 その笑顔にグレイが、やはり誘ってよかったと思いを改めかけた、その時のことだった。



 唐突な悲鳴と同時に人ごみが割れた。血走った目をした男が雑踏をかき分け、露天商の中へ駆け込んでくる。酔漢かはたまたおかしな薬物の中毒者か、こんな人間が現れるのも、春という季節に特有の出来事だ。
 さほど職務熱心なわけではなかったが、これでも一応、この国で暮らす人々の平和と安全を守る立場ではある。咄嗟、腰に刷いた剣に手をかけていた。飾り物の露店に集まっていた女達が甲高い声を上げ、通りの中央に空間が開く。その中心に躍り出たグレイは、女の一人に掴みかかっていた男の肩を後ろから掴んで、石の地面に押し付けた。そのまま両腕をねじりあげて拘束し、騒ぎを聞きつけて駆けつけてくるであろう衛士に突き出すつもりだったのだ。――が。
 ちくりと右腕に微かな刺激。赤い飛沫が中空に舞い、同時、異様に血走った男の眦が、にや、と歪む。
「――グレイ様!!」
 どこかで自分の名を呼ぶ声がする。そう思った時には、既に腰の剣を引き抜いていた。丸腰と思われた男の手には、いしつか鋭利な刃が握られている。打ち合った衝撃で震えた剣を構えなおし、グレイは相手の顔をまじまじと眺め見る。
「お前……、もしかして戦闘者のギルドの残党か?」
 十年前、グレイが騙して使い捨てにした組織の生き残り。王宮炎上事件の後、後に宰相の妻となった一人の娘を残して、彼らは完全に表舞台からその姿を消した。
 何度目かに斬りつけた瞬間、手にした剣が相手の身体を貫いた感触があった。かなり実践むけに特化した――いわゆる邪道の剣だ。それを街中で振り回す。それもこんな、明らかなに何かに憑かれたような風体の男が。
 奴らも落ちたものだ。奇妙な感慨が胸に沸いたが、剣を振るう手に迷いはなかった。無傷で捕らえるだけの余裕はなかったし、そんなことをすれば、間違いなくこちらがやられる。二度、三度と確実に急所をついて止めを刺し、人の血に塗れた剣を引き抜いた瞬間、ようやく街の治安を掌る衛士達が束になって駆け込んでくるのが見えた。
「よお、ご苦労さん、後始末頼んだぞ」
 戦闘の名残を感じさせない、のどか、とも取られるグレイの言葉に、衛士達は呆気に取られた顔をした。それでもこちらの服装と剣から、王宮の兵士であることがわかったのだろう。敬礼を返して自らの職務に取り掛かる。見るともなくそれを眺め、やがて視線を周囲に向けると、人だかりの空気がざわり、と震えた。たった今、人一人の命を奪ったばかりの男の存在を、明らかに忌避(きひ)している。
 ……結構なことだ。流血沙汰や人の死が忌まれるのは、世の中が平和になった証拠だ。
 そこで、ようやく気がついた。――そういえば、今の自分には、連れがいなかったか。
「――グレイ様!」
 唐突に降って沸いた自分の名と、首筋にすがり付いてきた細い腕の感触に、グレイはぎょっとして腰を引いて、結果、煉瓦色の壁に背中を押し当ててしまった。豊かな亜麻色の巻き毛が顎の下あたりでぐらぐらと揺れている。グレイの身体に自分の身体を押し当るようにして、カシスタはぼろぼろと泣いていた。
「おい、君、もしかしてどこか怪我……」
 肩を掴んで引き離すと、大きな鳶色の瞳から涙の雫が無数に零れ落ちている光景とかち合った。大粒の涙を流しながら、少女は問いかけにぶんぶんと首を振る。
「悪かったな、こんなことに巻き込んじまって。――怖かったろ?」
 父親の邸から出たことのない箱入り娘が、突然こんな血なまぐさい出来事に巻き込まれれば、さぞかし恐ろしかろう。その当事者となった相手に対し、恐怖し忌み嫌ったとしても不思議ではない。そう思って放そうとした腕を、しなやかな指先が絡めて取る。
「ち、違っ……、これは、そんなことじゃなくて」
「そんなに泣くくらい怖かったのに、何言ってんだ」
「――違います!」
 思いの他、強い言葉で遮られ動きを止められた。涙を流し、肩で息をしてしゃくりあげながら、カシスタはまっすぐにグレイを見ている。不意に脳裏に初めてであった時、何ら躊躇いなく噴水の中に飛び込んで行った、あの時の光景が描かれた。
「わたくし、嬉しくて。グレイ様がご無事で、お怪我がなくて……、本当によかった」
 人垣は雑踏を作りあげ、人の流れが再び、起こった出来事を覆い隠そうとしていた。しばらくは噂になるかもしれない。けれどきっとすぐに忘れ去られる。春のグリジア王国を吹く風は速い。一所(ひとところ)にとどまりはしない。風も季節も、人の思いも、何もかも。
 そんな中、一つの出来事を契機に、確実に何かが変わろうとしていた。





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