×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



永遠より長く


扉へ/とっぷ

 1
「せめて叔母上様の四(し)分の一でもお美しければねぇ」
「殿も御方様も姫様の行く末には頭が痛かろう。あのご面相では嫁の貰い手もなかろうに」
 幼い頃、周囲の心無い言葉に傷つくたび、叔母は彼女を居室に呼び、白くたおやかな手で何度も髪を梳いてくれた。
「気にすることはないの。女子(おなご)の幸せは、顔立ちの良し悪しで決まるわけではないのだから」
 近隣に知られる程、美しい人だった。年頃を迎える頃には、縁談は降るようにあったという。しかし嫁いだ先の夫は妻を厭い、祝言からわずか数年で、実家の城に戻されてきた。
 以来、再嫁の話には目もくれず、城奥でひっそり暮らす彼女を訪れる者もない。だがその美貌だけは、年月を経ても色褪せることはない。
「人は皆、心の中にそれぞれ、その者にしかない宝を持っているもの。いずれ、そなただけの宝を、美しいと言って下さる殿御が現れましょう。それまで己を見失わず、損なわず、大事に守って行くのですよ」



 昼餉を終えると同時に城を抜け出すと、顔馴染みの爺やが呆れた顔で、飼い葉桶から顔を上げた。一月(ひとつき)の半分はこうして城を抜け出しているのだから、爺やが呆れ顔になるのも無理のないことだった。
「また城を抜け出てこられたのですか。――沙紀(さき)姫様」
「だって退屈なんだもの。父様と母様には言わないでおいてね。爺や」
 安芸国(あきのくに)三入荘、三入高松城。城主熊谷信直は、源平争乱期、源氏方について平家を苦しめた、熊谷直実の子孫である。信直もまた、勇猛果敢の将として知られ、はじめは安芸守護武田氏に、後に毛利氏に従属した。
 そしてもう一つ。
 熊谷氏には信直の勇猛果敢の評の他に、あまり大きな声では語られない風聞がある。
 ――熊谷の大姫は天下の醜女(しこめ)。目が三つに口は耳まで裂けていて、鬼も逃げ出す風貌だ。
 熊谷信直の姫は四人、下の三人は母親似の可愛らしい顔立ちをしていたが、一番上の姫は、戦場の鬼瓦(おにがわら)と呼ばれた父信直とそっくり同じ風貌をして生れ落ちてきた。男顔負けに体が大きく、顔も体も骨ばっていて、目も鼻も口も大きすぎて収まりが悪い。
 もっとも、幼い頃には父親そのままの風貌も、歳月を重ねるうちに、娘らしいまろやかさを帯び、かろうじて十人並――否、十人並みの下の下あたりといったところまでは浮上した。
 とはいえ、どれほど贔屓目に見たところで、美しくない。おまけに、月の半分は城をこうして抜け出し、馬を操り、果てには大刀を振るうとなれば、これはもう、嫁の貰い手などありはしない。
 ――それが十八になった沙紀に対する周囲の見方だった。



 爺やに借りた馬を繋いで街道に出ると、そこには陽炎がたっていた。季節は夏の最中(さなか)で、黙って立っていても、着物の襟がじっとりと汗ばんでくる。周囲を山に囲まれた安芸の冬は長く険しいが、短い夏も暑く、過ごし難い。道脇の湧き水で口を潤していると、唐突に、背後の木立が割れた。
「――誰か!誰か助けて!!」
 濃緑の茂みから転がり出たのは、二十を少し越えたばかりの若い女だった。抜けるように肌が白く、紅を刷いた唇は柘榴のように赤い。着物の襟を大きく抜いて、随分と婀娜っぽい格好をしている。
 どうやら裸足で駆けてきたらしい。剥き出しの脹脛に点々と浮いた血の跡を見て、沙紀は愛用の刀を抜いた。
「おい、女、どこに行った――」
 次いで現れたのは、武家の装束に身を包んだ若者だった。どこか貴公子然とした整った風貌で、着ているものの質もかなりよい。もっとも道なき道を掻き分けた所為だろう。鬢の髪が千々に乱れ、着物もいかにも慌てて着たように襟元が乱れているあたり、随分と興ざめではあったが。
「――このならず者!」
 刀を振りかざした沙紀の一撃を、若者は斜めに飛んであっさりとかわした。次いで繰り出した攻めの手は、抜刀することなく鞘だけで打ち払われた。思いもよらぬ素早い身のこなしに、沙紀は若者と距離を置き、肩で大きく息をした。
 ――この男……使える。
 武士の娘に武芸は必須とはいえ、その大半は小太刀や薙刀で、沙紀のように大刀を使う女子というのは珍しい。男顔負けの上背があるからこそできるわざだが、今、向かいあった若者の体格も沙紀に負けてはいなかった。長く打ち合えば男女の体力の差で押し負けるだろう。となれば、勝敗は一瞬で決まる。
 沙紀の気迫に圧されたように、若者の切れ長の眼差しが険しくなる。その手が刀の柄に触れたのと、沙紀の足が一歩踏み出たのは、ほぼ同時だった。
 頭上の枝から鳥達は一斉に飛び立つ。首の後ろで結わえた長い黒髪が、一筋、宙に舞って辺りに散った。
「……すまん。女子相手につい加減を忘れた。大丈夫か?」
 気づいた時、若者を捉えたはずの刀は身体の横の地面に突き刺さり、目の前には褐色の掌が差し出されていた。貴公子然とした風貌に似合つかわぬ、ごつごつと節くれだった掌だった。
「おい、どこか怪我は?立てるか?」
 熊谷の家は武勇の家、その家に生まれた娘は皆、幼い頃から武芸を習う。特に沙紀の刀使いは父信直のお墨付きで、これまで並みの男に打ち負けたことなどなかった――のだが。
 今、目の前にいる若い男の額には、汗の一つも浮かんでいない。大人が挑んできた子供を跳ね除けるように、呼気さえ乱さずに、若者は沙紀の攻めをかわして見せた。
「わが家(いえ)の領内で、かよわい女子に乱暴を働くような、ならずものの手は借りません!」
 なけなしの矜持で、差し出された手を振り払うと、ぱしっと想像以上に鋭い音がした。打たれた己の掌を見て、若者はまともに傷ついたような顔をした。
「か弱い女子って……どちらかというと、俺は被害者なんだが」
「――被害者ですって?」
「ああ。街でしなだれかかってきたから、そこの破(か)れ寺までついてきたら、荒れくれ者に囲まれた。あれは、最初からそのつもりだったな」
 言いながら木立の枝を折り、その向こうを指し示す。この街道のすぐ脇には、住職がいなくなって十数年たった寺がある。そういえば最近、この辺りがならずもののたまり場になっていると、父が嘆いていたのを聞いた。
 気がつけば助けを求めた女の姿はなく、木立の向こうの荒れ寺には、ならずもののなれの果てらしき屍骸が点々と転がっている。
 つまりはいわゆる美人局(つつもたせ)の加害者が、返り討ちにあったということか。仲間が次々打ち負かされる光景に、女は我を忘れて街道に転がり出た。……しかし、昼日中から仮にも神仏のおわす処で、一体、何をするつもりだったのか。
「さっき、我が家の領民と言ったな。……ということは、そなた、もしかすると熊谷の姫か?」
 地面に突き刺さったままの刀を取って、若者が柄の部分を差し出してくる。かよわい女子をかどわかしたというのは濡れ衣だったとしても、信用のおけぬ、得たいのしれない男であることには違いない。抜き身の刀を奪うように抱いて、沙紀は若者から距離を置いた。
「熊谷の姫は四人いたな。――確か、上の姫は沙紀姫といったか」
「……」
「しかし、熊谷の姫は天下の醜女と聞いていたが、噂とは当てにならんものだな。充分、可愛らしいではないか」
「なっ!」
 城主の娘の名前は普通、他領の人間には伝わらないものだ。その沙紀の名を、この男は知っている。
 貴公子然とした風貌。明らかに上物の衣服。常人ならざる身のこなし。
「……貴様、何者だ?」
 問いかけに、はじめて、若者は破顔した。
「ああ、俺はも……少輔次郎(しょうじろう)という。上に兄が一人いてな。継ぐ領地もない、気軽で気楽な次男坊だ。次郎と呼んでくれるか。――沙紀どの」





扉へ/とっぷ/次へ