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ラスト・イニング第二章 キャッチャー




 「健也、お前は野球をやめるなよ」
 そう言って笑ったその日の夜に、二つ年上の従兄は自室で首を吊った。十六歳の春のことだった。

 四番の打球がレフトスタンドに突き刺さった時、周囲の観客たちの大半が帰り支度を始めた。六回表を終わって、得点差は七対一。ビジターチームの北海道日本ハムファイターズが六点リードに変わり、西武ドームには独特の諦めムードが漂っている。
 こんな試合の何が面白いんだか。ストローから口に含んだウーロン茶は、すでに氷が溶けてぬるくなっている。苦いだけの液体を飲み下し、柳健也は隣席で、一心にグラウンドを見つめる少年を見た。
 今日の野球観戦のチケットは、市内スーパーの福引でチームメイトの塚原勇人が引き当てたものだった。八月三十一日土曜日、日本ハム・西武の内野席二名様ご招待。招待席は内野席の中でもバッターボックスにかなり近い特等席で、まともに二人分金を出して買ったなら、多分、一万円を超えるだろう。英語と数学の参考書と新しいノートを買った三千円一回の抽選で、二等賞を引き当てるなど、並みのくじ運ではない、ぜひとも組み合わせ抽選のくじ引きを代わってほしい。今年の七月、県大会の四回戦敗退後に三年生が引退して新チームのキャプテンに指名され、対戦相手を決めるくじ引きが負担で仕方なく、半分冗談、しかし半分は本気で言った健也の言葉に、当の本人はにっこり笑っていいかえして来た。
「昔からくじ運は良かったんだよね。でも、僕が引くと、初戦から常陽学園とか引いちゃいそうだけど、それでもいい?」
 八月も下旬に差し掛かり、最高気温は依然、三十度を超えているものの、陽射しは真夏のようにぎらぎらと照り返してはこなくなった。以前は西武球場だったものに、どういうわけか屋根だけつけた西武ドームは、壁が吹き抜けのように空いている。三時の試合開始から一時間半が経過し、吹き抜ける風がほんの少しだけ冷気を帯びて心地よい。
 七月に三年生が引退し、新チームが指導し始めて一か月あまり、秋の大会に向けてチームの土台を固める重要な時期に、バッテリーが練習を休んでプロ野球観戦とはいかがなものか。最初に塚原にチケットを見せられた時、一抹の不安が脳裏を過ったが、監督の宇田川は、新チームのエースとキャッチャーが、レベルの高い野球を間近で見てくることに、価値を見出してくれたらしい。もっとも、練習を早めに切り上げて部室に戻る寸前、健也の耳元で「お前ら、ただ遊びに行くんじゃねぇぞ」と釘を刺すことを忘れなかったが。
 けど、絶対、こいつはただ、遊んでいるよなぁ……。
 中学まで長野県で育った塚原は、高校から茨城にやってきた。長野時代はプロ野球を生で見たことがなかったと言って、球場に足を踏み入れるなり、テンション上がり過ぎだろう、と突っ込みたくなるくらいはしゃいでいる。はしゃぎすぎのあまり、西武ライオンズのマスコットである白ライオンに抱き着いた時には、一緒にいた健也の方が恥ずかしかった。今時、小学生だってただの着ぐるみにあそこまで喜ばない。お前は幼稚園児か。
 ウーロン茶の最後の一滴を飲み下した時、三塁側のスタンドが急に騒がしくなった。これまで日本ハムの先発に抑え込まれていた打線が不意に息を吹き返し、連打で一点を返したのだ。ツーアウトながら、まだ、ランナーが一塁と二塁にいる。日本ハムのベンチから、ピッチングコーチがマウンドに向かった。
 日本ハムファイターズのマウンドには、濃いグレーのユニフォームに身を包んだ、小柄な左投手が立っている。数年前に渡米したピッチャーの影に隠れてあまり目立っていないが、四年連続二けた勝利を上げている好投手だ。技巧派の代表のようなピッチングスタイルが持ち味で、百三十キロそこそこのストレートと制球の良さで、バッターを打ち取って行く。同じ左投手ながら速球派の塚原とはタイプがまったく違うし、まるで追加点を奪われる為だけに出てくるような西武の中継ぎ陣を見ても、リードの参考にはなりそうもない。結局、俺もただ遊びに来ただけだったか、と思いかけた時、それまでものも言わずにグラウンドを見つめていた塚原の顔が、こちらを向いた。
「やっぱり、プロはすごいね。こんなたくさんの人のいるところで投げられたら、楽しいだろうな」
「お前なら、狙えるんじゃねぇの、プロ。ドラフトとか、狙ってみればいいじゃん」
 阿諛でも追従でも世辞でもない。心から本当にそう思う。去年の秋、千葉にある野球名門校と練習試合をしたことがある。そのチームのエースは超高校級と呼ばれた逸材で、その年の甲子園で準決勝まで勝ち進み、ドラフトでプロ球団に指名された。
 確かに、真っ直ぐはそこそこに早く、変化球もそこそこに切れていて、コントロールもそこそこに良いピッチャーだった。だが、普段自分が受けているボールと比べて、格段に優っているとは思えなかった。事実、その練習試合で、健也はホームランを放っている。あのピッチャーがプロで通用するのなら、今、目の前にいる少年にだって可能性はある。
 健也の言葉に、塚原はまともに噴出した。よほどおかしかったのか、目に涙まで浮かべている。
「それは僕のピッチングじゃなくて、柳君のバッティングがすごいんだよ。僕にはあのピッチャーからフェンス越えは無理だ」
 塚原は新チームの三番バッターであり、内野の間を綺麗に抜くヒットを打つ好打者でもある。決して長距離ヒッターではないが、フルスイングでなら、県営球場で本塁打を打ったこともあるし、状況によっては送りバントも右打ちもこなし、足もなかなかに速い。
 日本ハムは先発投手の続投を決めたらしい。内野陣の輪が解けて、コーチがベンチに帰り着く。やや、というよりかなり腹の出たバッターがゆっくりとバッターボックスに入る。ホームランなら二点差だ、とどこかで誰かが叫ぶ声がする。
 ホームランならば二点差、しかし、バッターの打球はぼてぼてのサードゴロだった。こちらもやや腹の出た日本ハムのサードが難なくさばいて、スリーアウト、チェンジ。西武ドームが、ため息に包まれる。
「今の球、チェンジアップだよね」
 紙コップのオレンジジュースを飲んでいた塚原が、真顔で問いかけてくる。サードゴロに打ち取られた最後のボールは、真っ直ぐと同じ腕の振りで球速が真っ直ぐよりかなり遅かった。最後は打者の手元で沈んだように見えたから、多分、チェンジアップだろう。
 塚原の球種は現在、ストレートとスライダーとカーブの三種類しかない。ストレートとスライダーに比べると、カーブは制球が今一つで、おまけに三球に一球はすっぽ抜けるから、ランナーがいる時は恐ろしくてサインを出せない。
「僕も投げてみようかな。チェンジアップ」
 幼児園児並みにはしゃいでいた少年の横顔が、一瞬、マウンドに立つ投手の眼差しに変わる。普段は大人しくて口数も少なくて、チームメイトの雑談にも加わらずにおっとり笑っているだけの塚原は、マウンドに立つととたんに攻撃的になる。どれほど言葉や態度で取り繕っても、ボールは嘘をつかない。気持ちが逃げているピッチャーのボールには、打者をねじ伏せる力はない。
 塚原が投げるボールは、いつだって攻撃的だ。勝負球だけではない。変化球もボール球も、敬遠のボールでさえ、真っ向から挑みかかって来る。
 おもしろい奴だ。時々、しみじみとそう思う。自分を「僕」と呼ぶ一人称や、同級生を君付けする言葉遣いを、変人あつかいしているチームメイトもいるけれど、健也は自分がバッテリーを組む少年のことを、友人しても嫌いではない。
「いいんじゃないか、チェンジアップ。俺もリードの幅が広がるし。帰ったら監督に言ってみようぜ」
 試合の前のように、背中を平手で軽く打ち据えると、小さな子供のようにはにかんで頷く。もしかしたら、監督はこれを狙っていたのか。ちらりと、そんなことを思った。

 柳健也は、市内で三代続く総合病院の家に生まれた。祖父が院長で、祖母が理事長、伯父が外科部長で、健也の父が内科部長を務める典型的な同族経営病院である。
 病院の経営は順調で、祖父母は市内の一等地に、広大な土地と邸を有している。次男である健也の父もその地所の一角に自宅を構えており、徒歩三分の距離には、伯父の家がある。柳家の長男と次男の嫁、つまりは健也の伯母と母は市内の名家の出で、健也の母方の祖父は教育委員会の委員長を務めたこともある。
 俗に言う何不自由のない家で生まれ育ち、健也は幼い頃から、ずいぶんと色々なことを諦めて来た。
 母子家庭の友達の家には、遊びに行くことも家に連れてくることも許されなかった。社会科見学で見に行った新幹線の運転手がどれほど格好よいと思っても、運転士になりたいとは言い出せない。家族旅行で行ったアメリカで、行きたくもなかったディズニーランドには連れていかれても、行ってみたかった大リーグの球場は、車で素通りしただけだった。
「医者になるのはいいけどさ。どうせだったら、無医村とか行ってみたいよな」
 高校受験前、従兄の剛志は口癖のようにそう言っていた。伯父の息子であり、二歳年上で、共に兄弟がいなかったから、ほとんど兄弟のように育った。今でも昔のアルバムをめくると、二歳の剛志が赤ん坊の健也を抱いている写真がある。
 剛志が小学四年生の時に少年野球のクラブチームに入部し、その後を追い駆けるようにして、健也も同じチームに入った。キャッチボールも素振りの方法も、グラブの手入れの仕方も野球にまるわるすべてのことを、健也は剛志から教わった。
 中学卒業と同時に野球を辞め、都内の名門進学校に進学していた剛志が茨城に帰ってきたのは、健也が十三歳、剛志が十五歳の秋のことだった。学校と下宿でひどいいじめにでもあったのか、地元では秀才で通っていても、東京では落ちこぼれでしかなかったのか、以前の快活な印象はなりをひそめ、自室に閉じこもるようになった息子を見かねた剛志の母に手を合わせて懇願され、何度も部屋に遊びに行った。
「健也君、お願い。あの子、わたし達には何にも言ってくれないのよ。でも小さい頃から仲が良かった健也君になら、何か話してくれるかもしれない。お願いよ」
 別に剛志の母に拝まれなくとも、剛志さえ拒まなければ、健也にとって剛志の自室は第二の家のようなものだ。勝手知ったる従兄のベッドに寝そべって漫画を読んだり、時にはゲームをしたりして、ただくだらない時間を過ごした。野球雑誌を持って行ったことも、買ってもらったばかりのグローブを見せびらかしに行って、剛志の部屋で磨いて来たこともある。
 その日は、まだ吹く風の冷たい春先のことで、例によって例のごとく従兄弟のベッドに横たわり、テレビの選抜高校野球を見ていた。県内のチームが出ているわけでもなければ、有名校が出でいるわけでもない二回戦か三回戦の試合で、北海道のチームと大分県のチームが戦っていた。
 黒々としたグラウンドを白球が跳ねる。捕球した選手がすばやく送球し、塁審の右手が上がる。 
 歓声が怒涛のように鳴り響き、生まれでも育ちでなくただ一球が、対戦相手を勝者と敗者に振り分ける。
 あの場所を目指したい。あの場所でバットを振って、あの場所でピッチャーにサインを出したい。あの場所で思い切り野球をしてみたい。
 ほかの何を諦めても、野球だけは諦めたくない。
 柳家の子供達にとって、スポーツは中学までの期間限定だった。健全な肉体と精神の育成のために、子供のころはスポーツをさせる。高校からは医学部進学のために、勉学に励む。剛志の父親である健也の伯父は、中学時代陸上で県の記録を持つスプリンターだった。本当は高校総体を目指したかったのだと、今でも酔うと口癖のように言っている。
「健也、お前は野球をやめるなよ」
 机に座って文庫本を読んでいた剛志が、不意に振り返ってそう言った。小さなテレビの向こうでは、タイムリーを打った北海道のチームのバッターが、二塁ベース上で拳を高々と天に掲げている。
 兄弟同然に育った従兄の言葉に、何と返したのか覚えていない。相手に問うてみることもできない。北海道のチームが大分のチームに勝利したその日の夜、剛志は自室の鴨井からベルトで首を吊って死んだ。




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