×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


ラスト・イニング第一章 監督




 ――快進撃を続ける茨城城東のエースは、殺人犯の息子!
 夏の高校野球が波乱を呼んでいる。
 長崎県大会では今年の選抜準優勝・長崎清房高校が準決勝で敗退。北の大地では選抜ベスト四の旭川大付属が敗れるなど、今年の夏の地方大会は各地、波乱傾向にあるようだ。
 その中で今、マニアックな高校野球ファンの注目を浴びているのが、茨城城東高校である。四回戦で選抜ベスト八の常陽学園を打ち破り、まさに台風の目となっている。
 茨城城東高校は茨城市北東に位置する私立高校。過去に甲子園出場経験はない。過去に三度に茨城県大会でベスト十六に勝ち進んだのが最高で、並み居る強豪を打ち破っての県ベスト四進出の快挙に、市民は「茨城から甲子園を」と盛り上がりを見せる。
 そんな快進撃を支えているのが、三年生の左腕エースT投手の存在である。最速百四十四キロの直球とスライダー、チェンジアップを屈指し、与四死球も一試合平均二個程度と安定している。
 T投手が公式戦初登板を果たした二〇一三年の春の大会で、県の高校野球関係者は首を傾げたらしい。これほどの好投手を、県内の野球名門校はじめ野球関係者が誰もしらなかった為だ。
 それもそのはず、T投手の旧姓は「宮越」といい、出身は長野県の松本市で、中学時代はシニアチーム松本山パースで全国ベスト四まで勝ち進んだ経歴を持つ、地元では名の知られたピッチャーだった。しかし、二〇一一年秋、白昼の繁華街で三十代男が包丁で幼い子供を含む男女六名を殺傷した松本繁華街児童殺傷事件により、決まっていた長野県内の野球名門高校への進学を取りやめ、急遽、茨城県に移住を余儀なくされている。
 事件では母親に連れられて買い物に来ていた三歳の少女が出血多量で亡くなり、その一か月後には頸動脈損傷と脳出血で松本市内の病院に入院していた九歳の少年も死亡している。
 現行犯逮捕された宮越明人(三十九歳・無職)は、事件から二週間後に松本拘置所内で首を吊って自殺した。
 T投手は、宮越が二十五歳の時に儲けた長男である。当時宮越は妻と離婚し、松本市内で息子であるT投手と二人で暮らしていた。父親の事件の後、T投手は母方の叔父であるT氏の養子となって茨城市に転居し、茨城城東高校に入学。T投手を知る学校関係者は「まじめで素行もよく、成績も常に学年二十番以内。野球部の練習にも非常に熱心」と口を揃える。だがやはり生い立ちの影響もあるのか「性格は暗くて、野球部員以外のクラスメイトとは打ち解けられずいるようだ」と声もある。

「――君はこのことを知っていたのかね?宇田川君?」
 練習中に校長室に呼ばれて夕刊紙を投げつけられた時、茨城城東高校野球部監督の宇多田川実は、一瞬、訳がわからなかった。自分自身が心血を注いで作り上げたチームを、活字や映像で見せられると、まるで他所の野球チームのように思われることがある。夕刊紙に記された茨城城東の四文字が、昨日の大リーグの結果よりも縁遠いものに見える。
 宇田川が私立茨城城東高校に赴任して来たのは、三年前の四月のことだった。前任校は隣市にある御堂実業高校で、常陽学園と並び、春夏通じて十二回の甲子園出場を誇る。宇田川はそのうちの三回を選手として、二回を監督として、甲子園の土を踏んだ。
 部員総数百五十名を超えるマンモス野球部とは違い、茨城城東の野球部員は一年生から三年生を合わせて、全部で二十五名しかいない。それぞれの部員の顔と名前はもちろん、ポジションも得意球も得意科目も、諳んじて唱えられるくらいに把握している。
「確かに、彼が養子だということは聞いていましたが、ここに書かれているエースが、うちのエース……塚原のことだと?」
 空調の効いた校長室の窓から、守備練習に汗を流す選手の姿が見える。昨日までは晴れていたというのに、今朝にはまた、地面を叩きつけるような雨が降った。どんよりと重苦しい空も、校庭を流れる風や空気までもが湿度を孕んでべったりと肌に纏わりついてくる。
 塚原勇人は、茨城城東野球部のエースピッチャーである。チームで数少ない、特出した才能を持つ選手でもある。教科書通りの左上手投げのフォームから、惚れ惚れするような軌道を描いて、ボールがキャッチャーミットに収まる。紅白戦や練習試合で打者がバッターボックスに立つと、ボールの威力は更に増した。
 打者としてもかなりの実力があり、新チーム結成以来、宇田川は塚原を三番の打順に起用している。グラウンドに立つ時以外は大人しい性格で、真面目に練習に取り組み、成績もよい。指導者としても教育者としても、塚原勇人はまず問題のない生徒の一人だった。
「ここには、彼は今の親の養子だとある。君は部員が養子だと知っていて、実親がどんな人間か調べてもみなかったのかね」
 先の校長が昨年冬、心筋梗塞で急逝し、現校長は急遽今年からこの学校に赴任してきた。赴任してすぐの卒業式で、自分自身の高校の生徒をはっきり負け犬呼ばわりし、何事も一流を目指せと叱咤激励した御仁である。生徒はもちろん、教師からも評判は芳しくない。
「塚原の養父は市内の中学校に勤める教員です。部費や学費の滞納もないですし、問題行動もなく、成績もよい。例え、この記事が本当のことだとして、塚原に何の問題が――」
「いいかね、宇田川君。君もいい年をして、問題の本質がわからないのかね。高校野球はただのスポーツではない。学校の看板を背負っているんだ。選手が問題を起こせば、人は茨城城東の生徒が問題を起こしたという。塚原とか言ったか……あの生徒の性格や成績がどうしたという問題ではない。茨城城東が、殺人犯の子どもの学校だと言われることになるんだ」
 二十二歳で教員となって既に二十年以上、校長の言う問題の本質くらい、宇田川もわかり過ぎるくらい理解している。特に、高校野球が野球以外の様々なものをぶら下げて成り立っていることは、嫌というくらいに実感して、この高校に来た。
 生徒の実父が殺人犯であることは知らなくとも、宇田川にまつわる風聞くらいは聞いていたのだろう。頭頂部が綺麗にはれ上がった顔に、酷薄そうな笑みが浮く。
「まったく君といい、あのピッチャーといい、前の校長も余計なものを残して行ってくれたものだ。学校の評判をこれ以上貶めるようなことになれば、野球部そのものの存続に関わると思っておきたまえ」
 頬が引き攣っているのが、自分でもよくわかった。

 教職員社宅は学校から歩いて十分ほどのところにある。御堂実業では集合住宅だったが、こちらは戸建で、同じような作りの小さな家が、屋根を連ねるようにして並んでいる。午後九時十分、練習を終えた宇田川が自宅に帰り着いた頃には、宇田川の家だけ灯りが灯っていなかった。郵便受けの夕刊を片手に息を殺して、台所のダイニングテーブルに腰かけ、ようやく息を吐き出す。幸い、妻の佐和子を起こさずに済んだようだ。
 佐和子が精神のバランスを崩して精神科に入院したのは、四年前のことだった。
 迂闊だったと、今でも思う。仕事ばかりにかまけて、あまりにも家庭を疎かにしていたと自分を責めたこともある。
 五年前、宇田川は名門、御堂実業野球部の監督として、春と夏の二度、甲子園に出場した。春の選抜は二回戦で敗れたものの、夏の大会で準々決勝に進出し、己の指導者としての力量に、まったく疑問を抱いていなかった。
 順風満帆にも思えた指導者生活に、小さな齟齬が生じたのは、翌年春の県大会前のこと。宇田川が一人の二年生を遊撃手のレギュラーに抜擢したことによって生じた。地元中学の軟式野球出身の内野手で、小柄で俊敏、最初の一年こそ硬球と軟球の違いに戸惑う風もあったが、硬球の扱いに慣れると、守備能力はチームでも群を抜いていた。長打は期待できないものの、チーム一、二を争う瞬足で、ボールをバットに当てる能力も高い。名門、御堂実業のショートストップを担う人材として不足はなかったが、問題は、同じショートのポジションに、県内の名門シニアから野球特待生で入学した一学年上の三年生が存在したことだ。
 リトルリーグ時代に県のホームラン記録を更新した三年生は、名門御堂実業のベンチに一年の夏からベンチ入りしていた。当然、次期レギュラーを期待していたところに、後輩の二年生に先を越されて面白いはずもない。もっとも高校に入ってからは打撃が伸び悩み、ほぼ守備要員として扱われていた。そこに彼より守備能力のある遊撃手が現れたのだから、レギュラーを外されるのも無理はない。
 三年生の父親は県で名の知れた弁護士であり、長男を有名大学の法学部に進学させ、次男をプロ野球選手にすることに異常なまでの拘りをいだいていた。宇田川が息子をレギュラーから外したと知ったその日のうちに、父親は校長室に猛烈な抗議の電話をかけてきた。それだけでは事態は収まらず、レギュラーとなった二年生の母親が小料理屋を営む寡婦であったことから、宇田川と母親との間柄を邪推し、弁護士懇意の地元紙が、選手の母親と不適切な関係を結び、レギュラーを決める監督として宇田川を批判する文章を掲載する。まったくもって事実無根、迷惑極まりない。
 父親がマスコミを利用したのとほぼ同じころ、レギュラーを外された三年生から二年生に対するいじめが発覚する。二年生が不利を被らないよう、できるだけ心を砕いていたつもりではあったが、監督の目の届く範囲には限界がある。練習終了後、学校近くの河川敷で、数人の三年生の共に、灯油を被せた上で火をつけると脅しているところを、巡回中の警官に見つかり、御堂実業は春・夏の大会を辞退、宇田川は御堂実業の監督を辞任した。
 心を砕く相手を間違えたと気が付いたのは、すべての騒動が終わったあとのことだ。
 中学までは逸材としてもてはやされても、高校で伸び悩む選手は大勢いる。己の実力の限界と父親からの過剰の期待の狭間で、三年生の内野手はもがき苦しんでいたに違いない。その懊悩を理解して掬い上げることこそが、指導者たる宇田川に課せられた役割ではなかったか。宇田川がようやくそのことに気づいた頃、妻の佐和子が自宅で大量の精神安定剤を服用し、救急車で搬送される。その時になってはじめて、いわれなきバッシングの嵐が、自分自身の家族にまで及んでいたことを知った。
「お父さんみたいな人は、結婚したり子供を作ったりしたらいけなかったのよ。これまでずっとわたし一人にお母さんの世話を押し付けて、その上、お母さんの入院の世話までさせるつもりなの?わたしは確かにお父さんとお母さんの娘だけど、あなた達の人生のつけをわたしにまわすのはやめて!」
 娘の美咲が、家を出て行った時の言葉だ。多感な年ごろに、いわれなきバッシングによって精神を病んだ母を支え、原因となった父親には気づいてもらえず、高校卒業と同時に、美咲は家を出ていった。現在は結婚して息子も一人いるが、結婚式にも呼ばれなかったし、出産の時にも親を頼らなかった。
「帰っていたの。ごめんなさい。気が付かなくて」
 ダイニングテーブルで缶ビールを開ける音に気付いたのかもしれない。真夏だというのに、長袖のパジャマにカーディガンを羽織って、佐和子が起きだしてくる。幸い、主治医の治療と投薬が功を奏して容態は安定しているが、かつてはふっくらとしていた頬がえぐれたようにこけ、隈の目立つ目が明らかに病人だ。
「構わなくていい。勝手にやっているから寝ていろ」
 出会った時の情熱は耐えて久しい。だが、共に同じ年月を生き抜いてきた同志としての感情はある。佐和子が精神科に入退院を繰り返していると知って、宇田川の両親は離婚を望んだが、精神を病み、結婚後はパートでしか働いてこなかった妻を見捨てることは、男としての矜持が許さなかった。
 冷蔵庫の麦茶をコップに注ぎ、佐智子は宇田川の晩酌に付き合うつもりでいるようだった。頬のこけた顔に笑みが浮かぶ。やつれた四十三歳の妻の向こうに、ほんの一瞬、高校時代、甲子園の応援席でクラリネットを吹いていた少女のふっくらとした横顔がよぎった。
「今日ね、いいことがあったのよ」
「いいこと?」
「美咲から手紙が来たの。あなたにも見せてあげるわ」
 食器棚から取り出された絵葉書で、夏の海辺で、幼い男の子を抱いた美咲と美咲の夫が笑っている。家族で海水浴に行った時の写真らしい。美咲の夫は公立高校の教師で、美咲が在学中の副担任だった。在学中の女子生徒と教師の恋愛は御法度だが、当時の美咲の孤独と苦悩を掬い上げ、和らげる存在となってくれていたのは親ではなくこの男だ。未だに、礼の一つも言えていない。
「聡は少しあなたに似ているわね。大きくなったら野球をやりたがるかしら」
「だとしても、美咲がやらせないだろう」
 御堂実業から茨城城東に移動し、自宅に帰る時間は以前より格段に早くなった。夏休み前の合宿時期を除けば、週に一日は休みも確保できる。これまでやって来なかった家事や料理もできるだけするようにして、佐和子と穏やかに会話できる時間も増えた。
 今の生活を守りたいと切実に願う。ただがむしゃらに栄光を求めるだけではない野球の仕方も、茨城城東に来てはじめて知った。
 一本目の缶ビールを飲み干した時、リビングの電話が鳴った。時刻はもうすぐ午後十時を回る。こんな時間に家の電話にかけてくる知り合いは、宇田川の知る範囲内にはいない。
「あら、誰かしら」
「いい、俺が出る」
 ツーコールで受話器を取った時、受話器の向こうからざわめきが聞こえた。ゲームセンターか居酒屋のようなところから、携帯電話を使ってかけているらしい。相手の吐き出す息の音が、やけに大きく耳に響いてくる。
「もしもし?茨城城東の宇田川監督の家だよね?」
「そうだが、そちらは――」
「子供を二人も殺した犯人の息子をピッチャーにして、何が監督だ。さっさと死ね!」
 複数名の人間の笑い声を残して、電話は唐突に切れた。途切れた電話の切断音だけが、夜の闇の中に、いつまでも響き続けた。




扉へ/とっぷ/次へ