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西明り


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 4
 本拠地の出雲を出立した尼子軍が、今まさに郡山に到達しようとしている。
 その報せを受け取った明くる日には、隆元は身柄を築山屋形の一角に移され、厳重な監視の下にいた。
 折しも夕刻頃から降り出した雨に雷鳴が混じり、吹き荒れる風が土塊や小石を音をたてて巻き上げている。人間なら誰もが頭を抱えて家の中に逃げ出したくなるような空模様の下、監視にあたらされる人間達もたまったものではなかろうが、松明の朧明りに浮かぶ人影の数に、今のところ変動はないようだ。
 枯山水の掛け軸も置き壷もない殺風景な部屋の中、眠れぬまま寝床の上に置き上がって、障子で揺れる無数の影に目を向ける。隆元が大内に在るのは、有事の際に大内の後ろ盾を頼んだ故のこと、大内が毛利を見捨てるのなら、彼が今ここにある意味はない。
 ――父上、母上、次郎、徳寿丸……。
 決して心地がよいばかりの家ではなかった。父のことは人並みに尊敬していたが、尼子と大内の間で右往左往する姿を情けなく感じたこともあったし、母の小言はひたすら煩わしく、まとわりついてくる弟達に苛立って、邪険に扱ったこともある。
 それでも郡山を立つ前夜、隆元を居室に呼んだ父の目には光るものがあったし、母はとうに自分の背丈を追い越した息子を抱いて離さなかった。幼い弟達は隆元の乗った馬が見えなくなってもなお、小さな手を振り続けていてくれた――。
「俺さえいなければ……」
 思わず、本音が口をついて出た。
 隆元さえいなければ父は尼子に降伏することができる。隆元の母は尼子方の吉川家の出身なので、毛利の尼子への寝返りは、今なお、不可能な話ではない。
 枕元にあった短刀を引き抜いて、その刀身に己が姿を映し出してみる。白々と光る金属の内側で、汗まみれの額に髪を貼り付けた少年が、全身を惨めなほど震わせている。
 どこをどう斬れば、人の息の根は止まるのだったか。冷えた切っ先を喉元に押し当ててみた瞬間、するりと障子が開いた。
「――何をしておるのじゃ」
「姫……?」
 またもやお忍びで内藤館を抜け出てきたのか。夜着の上に小袖を被っただけの軽装で、白い足は土と泥で汚れている。
「どうやって、ここに……」
 人質である隆元の居室への人の出入りは厳重に監視されている。大内屋形の周囲なら勝手知ったる姫君でも、そう簡単に出入りはできないはずだ。
「隆房が手配してくれたのじゃ。これで借りは返したと言っていたが……そなたら、いつの間に仲良うなった?」
 数ヶ月前、後先も考えずに殴りあった少年の姿を思い出す。その後間もなくに父親が亡くなり、隆房は陶家の当主となっていた。内藤と陶の双方の力を使えば、一時見張りの目を緩めるくらいは容易いのかもしれない。
 あまりに驚いた所為で、一時、刀を抜いたままであることを失念した。動いた拍子に切っ先が擦れて、一筋、赤いものが着物の袖に染みこむ。
 しばし無言で隆元を見つめた後、姫君はすとんとその場に膝を突いた。姫君が脱ぎ捨てた小袖が肩を包み込み、微かな花の香が、鼻先を漂う。
「……そなたは、阿呆か?」
「は」
「こんなところで、何を呆けておるのじゃ。早くその着物をまとって、わたしのふりをしてここを抜け出すのじゃ。外れに馬が止めてある。今夜中に山口を出られれば、誰もそなたを追っては来るまい」
 あの海辺での出来事以来、こうして姫君と顔を合わせるのはこれがはじめてのことだった。いや、海辺での出来事以前だって、二人きりで顔を合わせたことなど一度もなかった。いつも他に誰かがいる場所で、目線を交わし、口元を綻ばせ、ただそれだけのことで、どれだけ心が安らいだことか。
「それは……できません」
「隆元殿……?」
 隆元の応えが余程意外だったのか、見開いた姫君の瞳の奥に揺れるものが見える。怒っているのではない。泣き出しそうになるのを、必死で押し殺しているのだ。
「私の父はお館様も認める程の戦上手ですので。きっと今頃には、尼子の軍を押し返していることでしょう」
 おどけたようにそう言って、花の香りのする着物で細い肩を押し包む。少し躊躇って、細い身体を胸の内に抱き寄せてみた。隆元の無体を姫君は拒絶しなかった。氷のように冷え切った白い指が、まるでそれがこの世の果てでみた最後の救いであるかのように、胸元にきつくしがみついてくる。
「大丈夫です」
「だいじょうぶ……?」
「……ええ。きっと、大丈夫です」
 尼子の軍勢にとって毛利など一のみ、間もなく毛利は滅亡し、尼子と大内の一騎打ちとなる。山口の人間は皆そう思っているし、実際、わざわざ言葉に出して隆元に告げに来る者もいる。これまで誰も――ただの一人たりとも、毛利が尼子を倒せるなどと、口に出して言った者はいなかった。
「大丈夫……きっと、きっと大丈夫」
 耳元で唸るのは、故郷を踏み荒らす軍馬の嘶きか。今、そこで砕けて散ったのは父母の屍だろうか、それとも弟の骨なのか。
「だいじょうぶ。……きっと上手く行く」
 はじめは隆元が少女を抱いていたが、いつしか少女が隆元を抱いていた。終わることのない夜の片隅で。ただひたすらに。祈るかのように。



 結局、郡山に向かっていた尼子の軍勢は、毛利の決死の抗戦によって撤退を余儀なくされた。とはいえ尼子はすぐに第二陣の派兵を決定しており、依然、状況は予断を許さない。
 予断の許さぬ状況の中、山口の地にはささやかな変化があった。ろくな援軍もなしに尼子を撃退した毛利の戦いぶりに気を良くした義隆が、隆元の帰還を決定したのだ。ただの帰還ではない。大内家重臣陶隆房らと共に、軍勢を引き連れての三年ぶりの帰郷である。
 毛利と大内の間で、何度早馬が行き来しただろう。慌しく準備が整い、決定から一月たたぬうちに、隆元はささやかな宴の席にあった。
「――隆元よ。家族に土産は用意したか」
 三年を過ごした山口との別れの夜、築山屋形には、大内義隆をはじめ、陶隆房、内藤興盛ら大内家の重臣が顔を揃えている。重臣達の家族――娶ったばかりの隆房の正室や、緋奈姫もまた、父親に連れられていた。隆元の郡山への帰還に合わせて、少なくない数の武将が山口を旅立つ。彼らにとっては父兄息子との別れの席だ。
「――は。ご厚情に感謝いたします」
 大内からは餞別にかなりの金銭が与えられたので、母と弟妹には着物を、父には硯と筆を用意した。
 そう告げると、盃を傾けながら、義隆は盛大に破顔した。
「そうか。そうか。後は自分の土産に、何か欲しいものはないか。何しろ、今度はいつ山口に来られるかわからないのだからな」
 いつ山口に来られるどころか、郡山に戻った途端に尼子に攻撃されて、二度と太陽を見られないかもしれない。血が滲むほど強く唇をかみ締めて、隆元は義隆に向き直った。
「お言葉に甘えて……頂戴したいものが御座います」
 それぞれに盃を酌み交わしていた一同の空気が、一瞬にして固まった。それはそうだろう。ようやく人質生活を終えて親元に帰る前夜、下手なことを言って、義隆の機嫌を損ねれば、帰還も、毛利への援軍も台無しになりかねない。
「ほう。何が欲しい。言ってみよ」
 痛いほどの視線を全身に受けながら、隆元はその場に平伏した。
「――内藤興盛様がご息女、緋奈姫様を、我が妻に賜りたく思います」
 




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